石 草野 心平 雨に濡れて。 独り。 石がいる。 億年を蔵して。 にぶいひかりの。 もやのなかに。 草野心平は、富士山とカエルの詩をたくさん書いた詩人だ。 草野の詩は、そのほとんどに、各行に句点(。)を打っている。 内容的には、読点や、それらが打ってない場合と変わらないが、視覚的には、一行一行が独立している感じで、一行一行を、そしてことばを大切にしているように思える。 「石」の詩に描かれている石は、なんら特別な石ではない。 ましてや、宝石などでは決してない、ふつうの石だ。 その石を人物化して、〈いる〉といわれたとき、その石がなにか「特別」なものに思えてくる。 詩を読むとき、感性が大切だとよくいわれる。でも、感性というのは、知識や認識に裏打ちされてこそ、より深くより豊かになっていくものである。 地球ができてから、四十六億年といわれているが、そのなかで、生命が誕生して、さらに人間が登場するのは、数万年前のことである。 それに対して、石は、それこそ何億年何十億年も前にできたものだろう。 そういう知識があって、この詩を読むと、なんらへんてつもないふつうの石が、私には、「特別」な石と思えてくる。 さらに、 雨に濡れて 石がいる 独り 石がいる 億年を蔵して 石がいる にぶいひかりのもやのなかに 石がいる と、「いる」ということに、意識が集中するように書かれているので、なおさら、この石が「特別」な石と思えてくる。 自然を大切に、ということばを聞いたとき、石を思い浮かべる人はあまりいないだろう。 でも、この詩を読んで、自然のなかに石もあるのだと、思わずにはいられないのではないだろうか。 いのちをもたない石に、そのような思いを抱かせるように、この詩人は、この短い詩のなかで描きだしているのだ。 |