婚約 辻 征夫 鼻と鼻が こんなに近くにあって (こうなるともう しあわせなんてものじゃないんだなあ) きみの吐く息をわたしが吸い わたしの吐く息をきみが 吸っていたら わたしたち とおからず 死んでしまうのじゃないだろうか さわやかな五月の 窓辺で 酸素欠乏症で 辻征夫は、1939年生まれで、子どもむけのものよりも、大人むけの詩を多く書いている詩人で、「隅田川まで」「落日」などの詩集がある。 見つめあっている二人の、息遣いまで聞こえてきそうな、瑞々しい恋の詩である。 〈こうなるともう しあわせなんてものじゃないんだなあ〉 という、()の中のことばは、話者の内声だろうが、ひらがな書きであることで、なんとなく上擦った、調子っぱずれなことばに聞こえる。 なんで、幸せじゃないんだろうか。 婚約した二人が、 〈鼻と鼻が こんなに近くに〉 あるほど、見つめあっているのだから、幸せの最高潮にあるはずだ。 〈死んでしまうのじゃないだろうか〉 〈酸素欠乏症で〉 というのも、すこし大袈裟なことばである。 この詩の中のことばは、ことばとしては幸せとは反対の意味を持つことばが書かれている。 では、この詩の二人が、幸せではないかというと、とんでもない。 恋の幸せ、婚約の喜びでいっぱいの二人だ。 それは、この二人の状況を読者がイメージするからだ。 読者は勝手なもので、自分がいいように、自分が楽しいように、イメージづくりをしてしまうのだ。 もちろん、そのようにイメージするように、作者が書いているわけだが・・・。 「婚約」という題名からも、幸せな二人をイメージしてしまう。 この詩が、「病室」という題名だとしたら、幸せな二人はイメージできないだろう。 この詩にも対比がある。 詩に書かれていることばと、読者のイメージが、対比しているのだ。 〈しあわせなんてものじゃない〉〈死んでしまうのじゃないだろうか〉と書かれていても、読者のイメージが、「幸せじゃないか」「死ぬわけがないじゃないか」と対比して、よりこの詩のイメージが、強調されるのである。 |