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ともだち塾の文芸日記

 
2009-04-01

祖母

カテゴリー: 日記
  祖母   三好 達治

祖母は蛍をかきあつめて
桃の実のように合わせた掌の中から
沢山な蛍をくれるのだ

祖母は月光をかきあつめて
桃の実のように合わせた掌の中から
沢山な月光をくれるのだ



 詩は、イメージの文芸だといわれる。
 そのイメージをつくりあげる、だいじな要素に比喩がある。
 この「祖母」の詩も、比喩表現の豊かな詩だ。

 祖母に桃の実は合わない。ふつう、祖母といえば梅干し(失礼)だろう。
 それを、祖母の手を、桃の実でたとえたのだ。
 桃の実でたとえられた祖母の手は、瑞々しいやわらかなイメージになる。
 さらに、手ではなく、掌として、それを合わせるというところから、合掌しているイメージもうまれる。

 合掌して、蛍の光をくれる祖母。
 合掌して、月光をくれる祖母。
 神々しいまでの、祖母の姿がイメージされる。

 2連で、

〈月光をかきあつめて/月光をくれるのだ〉

となっているが、月光はかきあつめられるものではない。
 でも、1連で、

〈蛍をかきあつめて/蛍をくれるのだ〉

となっているので、そのイメージの残像が、祖母に月光をかきあつめさせることができるのである。

 だから、1連と2連を、逆にすることはできないのだ。
 はじめに、できることを言っておいて、そのイメージにあうようなできそうもないことを言っても、イメージのうえでは、できるように感じるのである。

 なぜ祖母は、蛍をくれ月光をくれるのだろうか。
 その理由は、この詩にはなにも書かれてない。
 では、読者は、納得できない思いになるだろうか。
 そんなことはない、納得する。

 祖母が、蛍をくれ月光をくれるから、納得するのだ。
 ジイジイ鳴く蝉や、ギラギラ輝く太陽の光をくれると言ったら、祖母のイメージにはあわない。
 祖母のイメージ、合掌のイメージ、蛍のイメージ、月光のイメージが、重なり合って、この詩のイメージを創りあげているのである。