おちば 三越 左千夫 おちばを ことりにして そらへ とばしたのは いたずら きたかぜ おちばを ふとんにして はるまで ねるのは やまの どんぐり おちばを さらにして ままごと したのは ふたりの いもうと おちばを しおりにして ぼくは ほんの あいだに あきを しまいます 「三越左千夫少年詩集」「三越左千夫全詩集」などの詩集がある三越左千夫は、子どもの詩をたくさん書いた詩人だ。 「おちば」は、《条件》という考え方をとおしてみると、より深く味わうことができる詩である。 落葉とは、いうまでもなく枯れた葉であり、なんの役にもたたないもの、むしろ厄介なものというのが、一般的な見方だ。 その落葉を、 きたかぜは ことりにして とばします。 どんぐりは ふとんにして ねます。 いもうとたちは さらにして ままごとをします。 ぼくは しおりにして ほんのあいだにしまいます。 つまり、ふつうは役にたたないと思われているものを、りっぱに役だつものにしているのだ。 それだけではなく、それぞれの人物たちの、目的に合うように見ることによって、落葉に多様な価値を見いだしているのだ。 そのときに、人物たちに合うように見る、ということが大切だ。 どんぐりが、春まで寝るのに、落葉を皿と見るわけがない。ふとんだからこそ、春まで寝ることができるのだ。 つまり、どんぐりは、寝るという条件があるから、落葉をふとんと見るわけである。 これは、ほかの人物たちもおなじだ。それぞれの人物の、条件に合ったものとして、落葉を見たからこそ、役にたたないと思われていた落葉が、りっぱな価値をもって、役だつことができたのだ。 条件にそってものを見れば、人物たちにとっても、落葉にとっても、役にたたないと思われていたものが、新たな価値をともなって、役だつものになるのだ。 このように、ものごとをみるときの、《条件》という考え方は、ものごとの価値がわかり、さらに、あらたな価値をみいだすことのできる、わたしたちが生きるうえで、大切な考え方なのである。 |