木 草野 心平 葉っぱをおとした。 冬の木はいい。 裸の木々のすがたはいい。 ごつごつした古い木などは特にいい。 硬くて落ちついていて実にいい。 霜柱にかこまれて。 寒さのなかにたっている。 裸の木々の美しさ。 木々や幹のなかを。 力が流れているような気がする。 夢がいっぱいつまっているような気がする。 白い炎が燃えているような気がする。 草野 心平は、独特な詩世界を持った詩人だ。 「木」の詩は、葉を落とした冬の木が描かれている。 この詩の話者は、冬の木が〈いい〉と言っているのだが、私なら、緑の若葉を豊かに繁らせた初夏の木のほうが、いいと思う。 なぜ、この詩の話者は、冬の木が〈いい〉と思うのだろうか。 3連で、 〈 夢がいっぱいつまっているような気がする。 白い炎が燃えているような気がする。 〉 と言っている。 〈 葉っぱをおとした。 裸の木々 〉 に、なぜ、 〈 夢がいっぱいつまっているような 白い炎が燃えているような 〉 気がするのだろうか。 〈 葉っぱをおとした。 裸の木々 〉 であっても、決して枯木ではない。 だから〈 冬の木 〉が〈 いい 〉と言っているのだと思う。 枯木も、葉っぱを落とした裸の木だ。 でも、〈 葉っぱをおとし 〉ていても、〈 裸 〉であっても、枯木ではなく、春になれば芽吹き、若葉を繁らせていくであろう〈 冬の木 〉だから、〈 いい 〉と言っているのだと思う。 枯木ではなく、生きている〈冬の木〉だからこそ、 芽を出す、 〈 夢がいっぱいつまっているような気がする。 〉 のだろうし、 葉を繁らせる 〈 白い炎が燃えているような気がする。 〉 のだろう。 私が、この詩のなかの〈 冬の木 〉ということばと比べた枯木は、この詩のなかには出てこないことばである。 詩の世界をイメージするとき、その詩には書かれていないことと比べることによって、その詩が、より豊かにイメージできることがある。 低学年や中学年では難しいかもしれないが、小学校の高学年になれば、その詩に書かれていないことと比べて、その詩をより豊かにイメージすることも、できるようになるのではないだろうか。 私も、冬の木が好きになってきた。 |