かお 桜井 信夫 きねんしゃしんに みんなで おさまっている あのこが いる あのこだけを みる いくれつもならぶ みんなの ちいさなかお あのこが いる あのこだけで いい 桜井信夫は、1931年生まれで、「コンピューター人間」「シカのくる分校」などの著作があり、児童文学作者でもある詩人だ。 恋がテーマの詩では、「わたしの、何才のときと同じ」と、思い描いてみるのも、楽しいのではないだろうか。 4連でできている詩だ。 2連と4連が、対句になっている。 対句表現のばあい、対比や類比してみると、詩の内容が深まる。 この詩では、2連と4連の1行目は、同じことばですが、2行目が違う。 懐かしい記念写真を、久しぶりに見た年齢の話者のばあい、4連のように、 〈あのこだけで いい〉 と思うだろうか。 記念写真を撮って、出来上がった写真を、ドキドキしながらはじめて見る、そういう話者ではないだろうか。 この道は、あのこが通った道だ。 この花は、あのこが好きな花だ。 ああ、この家に、あのこが住んでいる。 と思っただけで、ドキドキしてくる、初々しい恋だからこそ、 〈いくれつもならぶ みんなの ちいさなかお〉 なんかどうでもいい。 〈あのこが いる あのこだけで いい〉 と思ってしまうのだろう。 となると、2連4連の1行目は、同じ 〈あのこが いる〉 だが、記念写真が出来てきて、まず〈あのこ〉を見る。 そして、みんなの顔が並んでいるが、〈あのこ〉を見る。 というように、微妙に心持ちは違うのではないだろうか。 だから、類比は対比を内包しており、対比もまた類比を内包しているのである。 |