黙っていよう 黒田 三郎 愛していますでは よそよそしく 好きですでは 不足です さあ 何と言ったものか 何も言わないで 黙っていよう 黒田三郎は、1919年うまれで、もう故人になっいる詩人だ。子どもの詩だけでなく、大人むけの詩も多く、「小さなユリと」「もっと高く」などの作品が有名だ。1977年に、「定本黒田三郎詩集」を刊行している。 恋とは不思議なもので、相手に何も言えなくなってしまうもののようである。 ふつうは、相手に自分の考えや思いを知ってもらいたいときには、話さなくてはわかってもらえないと思って、なるべくたくさん話すようにするものだ。 それが、恋の相手となると、とたんに何も言えなくなってしまうのだから不思議だ。 でも、「黙っていよう」の詩の内容は、それとはすこし趣きがちがうようだ。 もう結婚をしている相手に、 〈 何と言ったものか 〉 と、思っているイメージがある。 〈 何も言わないで 黙っていよう 〉 も、何も言えなくて黙ってしまうのとは、ちがうようだ。 黙っていよう、黙っていてもわかるよね、と言っているイメージがある。 〈 愛していますでは 〉なぜ〈 よそよそしい 〉のだろうか。 〈 好きですでは 〉どうして〈 不足 〉なのだろうか。 そのことの説明はなんにもない。 〈 さあ 何と言ったものか 〉と、悩んだあげく、 〈 何もいわないで 黙っていよう 〉となるのだ。 でも、愛している、好きですと、言おうとは思っているのだ。 それでも言えなくて、黙っていようという気持ちの動きには、クスリと笑ってしまうようなところがある。 思いを伝えたいけど恥ずかしくて話せない、のとは微妙にちがっているが、やはり、愛している、好きですとは言えない、男の人の感じがよくわかる。 いま、男の人と書いたが、この話者は、男の人なのだろうか。女の人ではありえないだろうか。 まぁそのことは、それぞれの読者のイメージに、まかせることにしよう。 詩の読み方に、こう読まなければならないというものはない。 ですから、私が書いていることも、あくまでも私の読み方であって、みなさんそれぞれの読み方をされればいいと思います。 |