あいたくて 工藤 直子 だれかに あいたくて なにかに あいたくて 生まれてきた そんな気がするのだけれど それが だれなのか なになのか あえるのは いつなのか おつかいの とちゅうで 迷ってしまった子どもみたい とほうに くれている それでも 手のなかに みえないことづけを にぎりしめているような気がするから それを手わたさなくちゃ だから あいたくて 工藤直子は、1935年生まれで、「てつがくのライオン」「のはらうた」などの詩集を書いている詩人だ。 1連で、 〈 だれかに あいたくて なにかに あいたくて 〉 となっている。 2連でも、 〈 それが だれなのか なになのか 〉 となっている。 「あいたくて」が恋の詩ならば、〈だれかに あいたくて〉だけでいいはずだ。 〈なにかに あいたくて〉の「なにか」は、仕事でもいいし、将来の夢でもいいが、自分の行動を主体にした「なにか」というイメージがある。 しかも、2連では、 〈 それが だれなのか なになのか あえるのは いつなのか 〉 と、具体的ではないと言っている。 恋に恋すると言うが、それ以前の思いだし、将来の夢も、漠然としてつかまえどころがない、という状況だ。 そのことが、3連でよくわかる。 それでも、4連で、 〈 ことづけを ~~ 手わたさなくちゃ 〉 と、思っている。 〈 だから 〉 5連の、 〈 あいたくて 〉 が、一行ということもあり、つよく印象づけられる。 だから、この詩全体のイメージは、恋の詩だ。私は、恋の詩と読んだ。 詩とは不思議な世界である。 ことばでは恋と言っていなくても、詩全体のイメージは、恋の詩になっているのである。 |