これ、凄く大切。 『自分さえ良ければ良い』 と言う人には、こう言う概念は無いだろうけど、これがあるかないかで、随分と明日が違ったものになる。 共有出来るのは一部分でも良いが、その一部分の重要性が問題。 要するに、妥協点の相違が意識のズレにも繋がる。 例は出さなくったって、それぞれ相手がある個別の事案でわかることでしょ? わからなければ、それは俺が書いている意味すらわからないって事。 意見を擦り合わせて行くってのはね、結構大変。 通さなくても良い自我に固執したら、結果的には・・・見えすぎちゃう程わかる結果が待っている。 それでも、そのように進むなら、それもまた自己責任だし、自分の人生の判断だし。 バンドでも男女同士でも向き合って初めて見えてわかりあえる。 肝心な事を言わずに思い通りにならないと『やっぱり』なんて思う人は、正直、何が『やっぱり』なのか? 向き合って壊れても生まれても、どちらでも良いさ。 壊れたらそれまで、その程度だったのね、と思えば良い。 生まれたら育めば良い。 それすらしないで、何を言おうがやろうが、響いて来るものは無いね。 |
甘い言葉は時には必要だろうけど、其処には本当の優しさなどないような気がするね・・・
たまには心の足の裏のツボを押されたほうがいいぜ?ほら、痛いけど気持ちいい、みたいな、アレです・・・