教える事で自分も成長してる、と言う事に気が付くか否かで、教え方も変わると思うんだよなぁ・・・ 俺の場合、目的・目標から逆算して教えるようにしている。 目先の事だけを潰していけば良いと思ってる人は俺の教え方に戸惑うし、それは癖を矯正するのと同じだから、結局は本人(教わる側)の資質に帰結するんだけど。 先入観が強い人は馴染まない。 でも教えている俺は素もこうだからそんなには疲れないけど、人の話を聞かないヤツは何度も同じミスをするからね。 そう言う場合はちゃんと聞かせるようにすれば良いけど、これも本人の資質に帰結するんだなぁ。 勿論、自覚の無い発達障害だと、俺の教え方は苦痛だろうね。 (本当の発達障害なら、それを前提にして教える。要するに相互理解が必要で先入観を取り払う事から始めると言う事) それでもこちらも成長と言い切れるのは、色々教えながら学ぶ事が多いからね。 だから、こういう積み重ねで相手の人間性が見えてきやすくなったりね。 色々見えて来ると、自分自身も自然とシンプルな性格になる。 だってシンプルは楽だし。 でも、無知で単純ってのとは違う。 その区別がつかないのは、年齢に関係無く経験の浅さだろうね。 何が必要で何が要らないかを判断するのが瞬時って意味でシンプルなんだけど。 人の痛みを知れば、本当の意味で優しくなれるし厳しくも出来る。 痛みを知らない人は甘くてヒステリー(笑) 上辺を求めたら後者だね、幾つになっても。 |
甘い言葉は時には必要だろうけど、其処には本当の優しさなどないような気がするね・・・
たまには心の足の裏のツボを押されたほうがいいぜ?ほら、痛いけど気持ちいい、みたいな、アレです・・・