高校生の頃、安部公房の短編集を読んだ記憶がある。“他人の顔”か“箱男”だったと思うが、仮面をつけたり、段ボールを被って穴から世界を見ると普段の自分と違う解放された人格が表れる…なんてストーリーだったように思う。 昨日、ハロウィンイベントのゴールで子供達にキャンディーを配っていた私は、子供達がやってくるまでの数分間路面に面したベンチに座り人前ではじめてギターを弾いた。ファースト路上ライブである。演奏会ではガチガチに緊張したのに、三つ目の目を額に描き、スパイダーマンの仮面をかぶった私は、違う人格ではなく、いつもの私でいられた。 仕事の難しい話も仮面をつけてたら、うまく運ぶだろうか? 平常でいることは、大切なことだと思う。 |
その人のためを思って、真剣に話をしても、伝わらなかったことが何度もあった。 思い返してみると、その時…私は“客観的にみて、あなたは○○○な状況だから、○○○した方がいい!”と言っていた。 最近、少し話し方を変えてみた。“あなたを見ていると○○○に見えるんだけど、私は○○○したほうがいいと思う。私のいう事も少しは考えてみたら…。” あくまでも、本人が決断するしか動かないのだから、私が心配し過ぎても仕方ない。 押し付けはやめて、提案らしさを強く出すようにした。 簡単に自分の思いは通じない…と言うことを原則と考えたら、言った私も気が楽だし、相手も押し付けでないほうが少しは気にとめるだろう。 それにしても、私も含め、人間は他人の話をあまり聞かない動物だ。 |
なんとなく最近…ここに書き込む時間がとれなくて残念です。 でも、それなりに楽しい時間を過ごしています。 わたし…なんだか脱皮する時が近づいているのかもしれませんね。 うまく変化できればいいな…と思います。 |
アメリカから絵本を送ったことに対する礼状が届いた。 これで、メインストリートにある図書館に寄贈した本と合わせて、2冊の私の絵本が、あの町に現存することになる。 それにしても、あの町の唯一のホテルのオーナーや美術館から依頼されて31年前に送った20冊あまりの私の本は、いったい誰の手元にあるのだろう? 改めて、かすかに空しさがこみあげてきた。 あの町を訪ねてからの私の人生の旅が一つの区切りをつけたと悟った。 |
一作日、特急電車に乗り損ね各駅停車で帰宅途中…、ある駅に着いて扉が開いた途端に、ドタッという音が聞こえた。その方向に目を向けると、電車を降りようと扉附近にいた人達が“だいじょうぶですか?”と誰かに声をかけている。それで床に視線を移すと男性が倒れていることが分かった。その後も“だいじょうぶですか?”という問いかけが続く。電車が発車しないよう、扉を押さえている者…、ホームから駅員を呼ぶ者…、それぞれが緊急対応している。しばらくすると倒れていた男はスクっと立ち上がり、なにごともなかったように電車の外に出た。数秒後またドタッという音がして女性の悲鳴が聞こえた。 駅員がかけつけてきて対応したので数分後に電車は発車した。 私は、離れて見ているだけだったが、みんな見ず知らずの人に素晴らしい対応である。なんだか嬉しくなった。 それにしても二度も倒れた男性は、地面で頭を強打しただろう。おそらく脳梗塞かなにかに違いない。今後、私の近くで同じ状況に遭遇したら、倒れた人を絶対動かさないようにしようと思った。 それと帽子をかぶったほうがいいと思った。 明日は我が身に起こるかも知れない。 |