自己責任とは ・青信号…気を付けて渡れ ・黄信号…気を付けて渡れ ・赤信号…気を付けて渡れ と、言うことだと思う。 青で渡って、はねられることだってあるのだから ただ信号を見て渡るように教えることは罪だと思う |
人生のなかで、一番幸せな時間を生きていると思える私は、差し迫って決断し努力が必要なこともなく、適当に軽い愚痴も言いながら一日を過ごしている。このような人生の欠点は生きる目標が不確かであること…。つい数か月前まで明確だった目標は、いつの間にか頭の片隅に追いやられている。まるで高温多湿な閉鎖空間のなかで腐りが始まったような感じだ。 足らない。なににかが足らない。幸せに浸るということは腐敗していくことだろうか? 本当の幸せとは、自分に足らないものを、努力し継続し、一つ一つ埋めていくことなのだろうか? そう思うと、今の幸せがまやかしに思えてきた。 幸せとは浸るものではなく、つかみとるものだと、自分に言い聞かせる。 |
ある日以来…私のことを嫌いになった人がいて…、その日を境に挨拶しても無視されるようになった。私が若かった時には、同じように挨拶もかえらず、目もあわせてくれなかった女性がいたが、彼女の場合、数年間経って私の目の前に表れ、じつは私に好意をもっていたと告白されて、びっくりしたことがあった。だがしかし、今回の相手は70歳の男性で、私には男色の気もない。 きっかけになったやりとりには心当たりがあるが、どう考えてもそこまで嫌われるほどの内容ではなかったように記憶する。 彼とは利害関係があるから、今のままではおさまらない。かといって第三者を立てるほどの事でもないし困ったものだ。 まるで、駄々っ子のようである。人間年をとると子供にもどると言うが、そう納得してしまえる関係ではない。 もうしばらくしてから、声をかけてみようと思うが、彼の態度から察する根の深さをみていると、いまのところ良好な関係にもどる自信がない。 自分では気が付かない一言で、私が彼の自尊心を傷つけたのだろうか? 人間の感情は恐ろしくデリケートなものだと溜息をついた。 |
昨晩、マダムの店のボジョレー・ヌーボーの会があった。21日に解禁されてしばらく経つが、30名ほどのワイン好きが集まった。 以前から私のことを“ドン・キホーテ”と呼ぶセレブのマダムが私の横に座った。彼女はいつでもスポットライトの中心にいないといけない人だから、よく知っている人はうまく彼女を持ち上げる。私も適当に彼女の方に話題をふっていたのだが、同じテーブルの他の人たちが傲慢にも見える彼女の振る舞いに、面白くなさそうな顔をしはじめたから、後半は私がセレブのお相手を買って出た。 彼女と真剣に話をしてみると、純粋で美的感覚に優れ、素晴らしい直感力を持っていて、ともかく興味があれば、どこへでも訪ねていくし、誰とでも臆さず話をする素敵な人間に思えてきた。 自分のことを棘のない薔薇の花だと例える彼女は、確かに人を傷つけるような棘は、持ってないように思えた。 会が終わり表に出て、今日もまた・・・・・“どうして私のことをドン・キホーテと呼ぶのか?” 聞き忘れたことを後悔した。 棘がなければ、悪い意味ではないと思うのだが… |
昨日は、教授といっしょに大学病院の精神化病棟を訪ねた。震災の翌年に他府県から寄贈されたと聞く樹木の生育状態を確かめに行った。精神科病棟なるものの敷地内に初めて入ったが、植えられていた場所は、周囲に新しく建った建物の陰になって樹木にとっては良好な環境とは言えない状態であった。 病院の職員の人達も我々が訪ねて行かなければ、その謂れを知る人もおらず、忘れ去られた樹木となったことだろう。 病院を出て樹木が寄贈されるきっかけになった震災で焼失した病院を訪ねてみた。心当たりの場所には10年ほど前に建った新しい病院があったが、受付で聞いてみても震災の時の様子を知る人もなく、その後医師会、警察、消防署等訪ねてみたがこれと言った成果は無かった。思い切って当時からあったと思われる商店に飛び込んで聞いてみると、確かにこのあたり一体は震災で焼け、以前あった病院は焼けたという。その後病院の近くを通る年配の人に当時の様子を聞いてみたが、思うような答えは返ってこなかった。 建物は新しくなり、人は死に、記憶は受け継がれない。 20年前の記憶が町から消えて行っていると思った。 |
今日も朝から先ほどまで、いつもの教授といっしょだった。 DNA・アミノ酸・酵素・電子顕微鏡・遺伝子解析・ips細胞・遺伝子組み換え・アレルギー・クローン・水耕栽培・無農薬野菜・スパコン…普段聞きなれた言葉なのに詳しくは知らないことをいっぱい教えてもらった。 少しは分かったような気がするが…、ほんの少しだ。やっぱり難し過ぎる。 だけど、口に入れるものは、自分が勉強してもっと納得ししようと思った。 今まで人類が食べたことのない食べ物が世の中には、いっぱいあることが分かったから…。 |
歩きながら、電車のなかで、食事中に、友人との会話の途中で…スマートフォンを使用している人達を見ていると、彼らは大勢の中で自分しか見えていないことがよくわかる。 この現象は、知りたいことを知るためや、会いたい人に会うために時間をかける努力とか、どの情報が正しいかを精査する能力とか、両者の間の隔たりを埋めるためにはどうすべきかを考える力とか、協調性とか、思いやりとか…言う類の人類が人らしく生きるための能力を奪うおうとする宇宙人が仕掛けた陰謀ではなかろうか? だから…という訳ではないが、私はガラ系の携帯電話にもどそうと思う…? |