今日は私のホールで、女性ばかりの歌の発表会が行われている。ほとんどの方が70才を越えている。発表会と言っても家族や知人が聞きに来ている風ではない。歌謡教室の20名くらいの生徒が集まって順番に歌っているようである。 聞いていると、はっきり言って…みんな下手である。だが、真剣に歌っている…これは間違いない。 真剣に歌われると、それほど不快感はない。 さっきの人は“シクラメンの香り”をうたった。学生時代を思い出した。今歌っている曲は“川のながれのように”である。懐かしくて口ずさんだ。いい歌だ。 彼女たちは、誰かに聞いてもらうためではなく、みんな歌いに来ている。そう感じた時にこの会の趣旨が理解できたような気がした。 二日前に行われたコンサートの腰の曲がったおばあさんの弾き語りを思い出した。おばあさんの歌には伝えたいとう叫びあった。 今日の彼女達とあの時のおばあさんの歌との違いは、刻まれた人生の皺の深さ、背負ったものの大きさだろうか? 人の心に入り込む歌を歌うには、それなりの人生経験が必要なのだと、今日改めて…思った。 |
昨日、私のホールで、あるピアノ教室のピアノの発表会があった。半年毎に開かれ今回が3回目である。このピアノ教室では生徒の要望にきめ細かくこたえているようで、習いはじめて1ヶ月の人からプロの演奏家まで20人あまりの演奏が続く、またクラシックからジャズまで幅広いジャンルの演奏が聞けることが楽しい会だ。 腰は曲り歩くこともままならないある年配の女性に順番が回ってきた。 その彼女が弾き語りを始めると、会場が一層静かになった。大きな震えた声…ピアノが上手いわけでも唄が上手いわけでもない。しかし彼女の歌声は私の心に突き刺さるのだ。 彼女の演奏が終わり、先生が彼女にインタビューした。 すると…、彼女はマイクを握り“こんなところで、お話しすることではないけれども…、私は若い時に死のうと思って崖から飛び降りたんです。それでこんな体になってしまった。みなさん、私のような人生を歩まないでくださいね。諦めないでね。死のうなんておもわないでね。生きてくださいね!” 会場から大きな拍手がおこった。 コンサート後に、先生から彼女の話を聞いた。彼女は大きな百貨店の社長の娘として何不自由ない生活をしていたが20歳前半の時に、思う事があり自殺を図ったと言うのだ。それ以来障害を持つ身となり、今日は彼女が20歳代で作詞作曲した曲を皆さんに披露するために必死で練習してきたと言う。 彼女のおかげで、心に響く歌声があることを知った。 シャンソンが…どういう音楽か、分かったような気がした。 |
今朝、電車に乗って座っていたら、老人っぽい身なりのおばあさんと若作りのおばあさんが乗ってきた。思わず席を立とうとしたが、一瞬気になったことがあり機会を失った。 最初、二人のおばあさんは母娘のように見えたので、私はお母さんに席を譲ろうと思ったのだが、よく観察すると友達同士の会話だと分かった。その状況で年寄に見える方に席を譲るのも失礼な気がして結局座り続けてしまった。 身なりや化粧、髪型で、これほど年齢の違いを感じるのかと思い知った。 私も若作りしよ…っと。 でも年寄に見られたほうが譲ってもらえて得かな? 私が席を譲られるようになるのはあと何年先だろうか? いつまでも元気でいたな! |