今朝、電車に乗って座っていたら、老人っぽい身なりのおばあさんと若作りのおばあさんが乗ってきた。思わず席を立とうとしたが、一瞬気になったことがあり機会を失った。 最初、二人のおばあさんは母娘のように見えたので、私はお母さんに席を譲ろうと思ったのだが、よく観察すると友達同士の会話だと分かった。その状況で年寄に見える方に席を譲るのも失礼な気がして結局座り続けてしまった。 身なりや化粧、髪型で、これほど年齢の違いを感じるのかと思い知った。 私も若作りしよ…っと。 でも年寄に見られたほうが譲ってもらえて得かな? 私が席を譲られるようになるのはあと何年先だろうか? いつまでも元気でいたな! |
昨日、私のホールで、あるピアノ教室のピアノの発表会があった。半年毎に開かれ今回が3回目である。このピアノ教室では生徒の要望にきめ細かくこたえているようで、習いはじめて1ヶ月の人からプロの演奏家まで20人あまりの演奏が続く、またクラシックからジャズまで幅広いジャンルの演奏が聞けることが楽しい会だ。 腰は曲り歩くこともままならないある年配の女性に順番が回ってきた。 その彼女が弾き語りを始めると、会場が一層静かになった。大きな震えた声…ピアノが上手いわけでも唄が上手いわけでもない。しかし彼女の歌声は私の心に突き刺さるのだ。 彼女の演奏が終わり、先生が彼女にインタビューした。 すると…、彼女はマイクを握り“こんなところで、お話しすることではないけれども…、私は若い時に死のうと思って崖から飛び降りたんです。それでこんな体になってしまった。みなさん、私のような人生を歩まないでくださいね。諦めないでね。死のうなんておもわないでね。生きてくださいね!” 会場から大きな拍手がおこった。 コンサート後に、先生から彼女の話を聞いた。彼女は大きな百貨店の社長の娘として何不自由ない生活をしていたが20歳前半の時に、思う事があり自殺を図ったと言うのだ。それ以来障害を持つ身となり、今日は彼女が20歳代で作詞作曲した曲を皆さんに披露するために必死で練習してきたと言う。 彼女のおかげで、心に響く歌声があることを知った。 シャンソンが…どういう音楽か、分かったような気がした。 |
今日は私のホールで、女性ばかりの歌の発表会が行われている。ほとんどの方が70才を越えている。発表会と言っても家族や知人が聞きに来ている風ではない。歌謡教室の20名くらいの生徒が集まって順番に歌っているようである。 聞いていると、はっきり言って…みんな下手である。だが、真剣に歌っている…これは間違いない。 真剣に歌われると、それほど不快感はない。 さっきの人は“シクラメンの香り”をうたった。学生時代を思い出した。今歌っている曲は“川のながれのように”である。懐かしくて口ずさんだ。いい歌だ。 彼女たちは、誰かに聞いてもらうためではなく、みんな歌いに来ている。そう感じた時にこの会の趣旨が理解できたような気がした。 二日前に行われたコンサートの腰の曲がったおばあさんの弾き語りを思い出した。おばあさんの歌には伝えたいとう叫びあった。 今日の彼女達とあの時のおばあさんの歌との違いは、刻まれた人生の皺の深さ、背負ったものの大きさだろうか? 人の心に入り込む歌を歌うには、それなりの人生経験が必要なのだと、今日改めて…思った。 |
昨日は、家でピザを食べようと思いワインの専門店に行った。そこで私は “ピザに合う安くて美味いワインが欲しいんだけど、なにか薦めてくれます…。”と、言った。 すると…販売員は何百種類の在庫のなかから真っ先に店で一番安いワインを薦めてきた。この店はわりとちゃんとした店だから数百円のものから数十万円クラスのものまで取り揃えているのに、一番安いワインを薦めてきたのだ。 私の希望は安くて美味いワインだから、安いという注文だけが満たされたのは分かるが、ピザに合うかどうかと、美味いかどうかという部分に不安を感じ、もう少し高くてもいいよと…と、言った。すると2倍くらいの値のワインを薦めてきて、それに決めた。 ワインを買うときには、値段も条件に入れると話が早いと思った。 それにしても、客の懐具合を伺うにしても、営業として一番安いワインを最初に薦めるのもどうかと思うのだが、安さが第一条件なら店の人に相談はしないものだと分かってもいいのに…と、思うのだ。 |
私のいる町は、一応…都会だから、じっと町の動きを見ていると、世の中の流行りというものが見えてくる。 飲食店を例にとるとバブル時には、歩くとフレンチレストランにあたると言われるほどフランス料理の店が増えた。バブルがはじけた時にはイタリア料理の店がいっぱいできた。それから無国籍とかエスニックの店ができた時期があり、しばらくしてカフェが流行り出した。 カフェとかバールの時代が続いて、次はどうなるかと思っていたら、最近急に日本料理の店が増えてきた。その理由がなんであるか分からない。独立する日本料理の職人が増えている理由はいったいなんだろう。日本人はやっぱりバターやオリーブや香料ではなく醤油と出汁の文化にもどると言うのか…。それともアベノノミクスの影響で世の中が動きが出始めた証だろうか。 なにかうまい具合にまわりはじめたように思うのだが…、明るい未来を楽しみにしてもよさそうに思えるのは楽観的だろうか? なにがおこるか分からんしな…。 油断したら、あかんしな…。 |
昨日、町づくりに、研究結果を利用させていただいているある研究者と話をしていて、“彼女のそばに目先の利益を求めて近寄ってくる人達からガードして、彼女が研究者だと言う立場をまもるマネージャーのような役回りをしたい。”と言ったら、彼女は、“そう、そうなのそうしてほしいんです。”と、言った。 その後で、彼女はこう続けた。“私は研究者だけど、研究者はビジネスマンでもあるの…。私達の時代は研究を続けたければ優れたビジネスマンであれ…と、教えられた。予算を勝ち取らなければ研究室は閉鎖されてしまうんだから、どんなことをしても研究費をとりに行くという姿勢が身に付いているのよ!”と、言った。 iPS細胞で有名な京都大学の山中伸也教授が、マラソンを完走すると公言して研究費の寄付を募ったという話を聞いたことがある。 優れた研究者は優れたビジネスマンである…この意味が彼女の話で腑に落ちる。 そう言った彼女の目が穏やかな目から獲物を狙う肉食獣のそれに代わっていたのが印象的であった。 |
昨日は、同い年の取引先の専務を接待した。はじめて酒を酌み交わしたが、彼は酒が強い。飲み始めると止まらない。ついていくのが辛かった。飲みすぎた。 今日は久しぶりで一日家にいた。こんなことは何か月ぶりだろうか?いや何年ぶりだろう? なにもする気が起こらない。 もう、寝てしまおう。 |
マダムのブログを読んでいると、“風立ちぬ”を観た感想があった。 「風立ちぬ」を見て、久々に泣いてしまいました。 日本が軍国主義へと突入するなかで、美しい飛行機を作りたいと主人公の堀越二郎は、人生の目標を定めます。 夢の中でイタリアの設計家 カプロ-ニ伯爵は「設計家は夢に形を与えるのだ」 「大切なのはセンスだ。技術はあとからついてくる」 「創造的人生の時は 10年 君の10年を力を尽くして生きなさい」と言う言葉が心にずっしり響きました。 限られた短い時を愛しあった二人にも感動しましたねえ。 映画の中の懐かしい日本の風景と貧しいけれど凛と生きる日本人を見て、私も含め、今の日本を恥ずかしく思います。 堀越二郎役の庵野秀明を初めカプロ-ニ役の野村萬斎、里見菜穂子役の瀧本美織、黒川夫人役の大竹しのぶ、二郎の母の竹下景子等どの人も芝居をし過ぎず、ごく自然体で、素晴らしい声優でした。 良くあれだけのピッタリの人を選んだと感心します。 映画のなかの会話が、あまりに見事に再現されていたので“どうしてそこまで覚えているんですか?”と、聞いてみた“素敵な言葉だったから、その場で書き留めたの。”と、マダムは答えた。 私には真似できないと思った。マダムは私より人生を大切に生きようとしている…と、思った。 |
私のスマホは手に入れてから1年9ヶ月めになる。最近電池の消耗がはやくなってきて、ショップに行っては、使用方法が間違っていないか、バッテリーの寿命がきているのかと、担当者に聞いてみたのだが、いつも納得いく説明をもらえずに、店を後にした。 つい1ヶ月前もバッテリー点検してもらったが82%の充電量で問題なしと診断された。 1週間前から一日に二度充電しないといけなくなって困っていたら、ショップから定期点検のお誘いのメールが入り、昨日出かけてみた。 これまでよりも入念にみてくれたが結果はいつもと同じ。 担当者からバージョンアップができていないから1時間ほどかかるがやりませんか?と言われたので、海外旅行用のアプリのダウンロードとともにお願いした。使い始めると、訳わからずダウンするようになりおまけにバッテリーが3時間くらいでなくなり、しまいに突然切れて復活しなくなったものだから、今朝もショップをたずねてみた。 ショップに入った途端に電源が入り、どこが悪いのか探りようがない。そのかわり無用のアプリがいっぱい切断されずに起動したままだと説明を受け、切断の仕方を教わった。考えてみても、そんな説明を受けた記憶がない。教わったのかもしれないが記憶にない。だけどこれまで何度も点検、説明を受けに来たのに、そこのところのチェックはしてもらえなかったのかと疑問が浮かぶ。 こうなると、電話料金を上げるために、無理と教えてくれなかったのではと疑いたくなるのだ それでも電池の減り方が遅くなったように思え、喜んでいたら、また突然ダウンしてうんともすんとも言わなくなった。 また、ショップに行かないといけないと思うと、やけに気が思い。 私のスマホは復活するだろうか? |