薩英戦争のきっかけとなった“生麦事件”という日本の歴史上重要な事件がある。薩摩藩主島津三郎久光一行の大名行列を馬上のままで突っ切ろうとした4人の英国人のうち一人が行列の最前部にいた侍に腹を切られ数分後に出血死・・・ほとんど無傷であった一人の女性と、重症を負った残る二人の男性が九死に一生で逃げのびたという事件だが、この事件の被害者C.L.リチャードソンの墓が横浜外人墓地内にある。この事件の後薩摩藩からの謝罪がなかったと言うことで英国艦隊が薩摩を砲撃し町は焦土と化した。この戦いの結末が、欧米の戦闘能力の実力を日本国内に知らしめる大きな契機になったわけだ。さて歴史研究家と共に外国人墓地のなかにある歴史的墓碑を前にした私は、急遽研究家の提案で“生麦事件”の現場を訪れることになった。電車を乗り継ぎ到着した事件現場は国道沿いにあった。今では敢えて訪れる人のないその場所には小さな社が作られていた。歴史研究家はこの実体験(その場所を体験する・第一次資料に触れる)を大切にしており満足そうであったが、この訪問は私には大きな感動をもたらさなかった。しかし研究家というものの行動の動機が、少し分かったような気がした。最近損得関係のない研究家と付合うようになり納得できたことがあるのだが・・・歴史研究家に悪人はいない!お金にならないことに子供のように熱中できる人は善人に違いない。これは間違いなさそうだ。 だから少し研究家気取りの私も悪人ではないだろう。信用していただいても結構かと思うが、そこまで言うと怪しく感じられるだろうか・・・ |