町の会議に積極的に参加し、イベント企画等、そつなくこなす女性がいる。彼女には今年キンダースクールに通い始めた娘がいて車で送り迎えしている。。彼女はほとんど会議に娘を連れて来て膝の上にだいて参加する。 その間......娘には英語の子供向け番組アイパッドで見せていて、大抵はおとなしくしているが、愚図ってきたら子供をあやしに外にでる。 彼女の娘は、将来どんな人間になるだろう?小さい時から大人に 混じって育ち社交的な女性になるだろうか?それとももの静かな作家にでもなるのだろうか? 少なくとも、確かな英語力を身に付けるに違いない。 彼女は豊かな家庭で育った。彼女も自分の子供に、ただ与えるだけではなく、我慢することを教えている。 教育 それも、豊かな者が許される愛の表現のように思える。 |
今夕、思わぬ人から時間をとってほしいと言われ、待ち合わせの場所に行くと、同じ会のメンバーの裏の顔…?を教えられた。唐突に利害関係でゴマをする人だと聞かされびっくりしたが、話してくれた人は間違いない人だから、参考にすると言って別れた。 そう言われてみれば、そんな感じの人のようにも思えるし、二人の人相を比較して、この話を信じるかと言えばウンと答える。 私には人を見る目がないようだ。 他人にことはともかく、ただただ、私は裏表なく、生きて行くしかなさそうだ。 |
人はみな経験値0から人生をスタートする。 空気を吸い、光を見…、空気の震えで音を感じ、母親の胸の温かさに心地良さを感じ、ハイハイし…、歩き始めて… 誰しもが経験を重ねて人として成長する。 誰でも諦める…と言うことを経験する。諦める…を経験することは悲しい事だ。諦める…ということを沢山経験すると、人は夢を見なくなる。それも経験が人生を決定する所以である。 夢をみるために、諦めないで生きて行きたい。そのためには相撲の土俵際で、俵で踏みこたえるような気力と体力が必要だ。押されても俵の内はまだ負けではないのだから…。 諦めたら負けや。 |
一昨日の夜に、私の管理する建物で、共用部の電灯の一部が突然切れた。管理室から電話がかかってきて、タイマーの3番スイッチを触っていたら復旧したが、その後またダウンして、今度は復旧できないと報告があった。結局一部暗いままでその日を終えた。 昨日の朝、私が確認すると停電したタイマーは1番の回路だとわかり、どうして3番のスイッチを触って復旧したのか疑問が湧いた。昼過ぎに点検に来た担当者にそれらを説明し、後日タイマーの専門家を同伴して再点検することになった。 その夜…やはり夜になって停電があった。しかも今度はもう一か所増えた。 分からない。なにがどうなったんだろう。 どうして夜にだけおこるんだろう?照明器具の電気容量が増えるからか?どうしてブレーカーが落ちないのだろう? 1番と3番のスイッチの関係はなんだろう? 25年以上前の電気製品(器具)は、家庭ではもう使われていないだろうし、まして建物の設備ともなれば修理しようにも部品が無かろう。 この先、大きな問題に発展しないように祈るしかない。 |
昨日の昼前に一人でマダムの店にランチを食べに行ったら、めずらしく他に客が数組いてしかも満席で、空いたテーブルがないものだから、後から来たマダムの店の常連の女性が私のテーブルに座った。彼女は隣の席で食べていた二人組とも知り合いらしく、早速私の目の前で通路を隔てて話を始めた。私はと言うと、その話題のなかに入るつもりもなく最初の皿が出るまで本を読んでいた。隣の二人組と話を終えた彼女は私の様子をみて、席を立ちカウンターのなかで動き回っているマダムの前で仁王立ちになり、ひっきりなしに話しかけはじめた。 一時に客が重なり、大変なマダムの状況を察することもなく、話続ける彼女を見ていると、なんて自分本位な人だろうと思ってしまった。 それでも、マダムは必至に対応を続けた。 先ほど、またマダムの店に行って、昨日の話をしてみたら、笑いながら大変だった…と明るい声がかえってきた。 そんなマダムを見ていると、この店では、私ももう少しわがままでもいいのだろうか…と思ってしまった。 |
ジャーナリスト・評論家で青山晴繁氏がよく言うことに“ニュースには必ず尻尾が出ている。”という言葉がある。 ニュースはアナウンサーや記者の主観も含め、真実の一部の情報に過ぎないことを知り、映し出された情報だけではなく、その奥に隠されている事実や見方が必ずあることを知り、それを読み解く力を磨くことが大切だという事だと理解している。 このことは、普段の我々の人間関係にもあてはまり、目の前の人が私のことを笑顔で褒めちぎってくれても、裏では逆のことを言いふらす人かも知れない…というような人の本心を見抜く力が必要だということにも思える。疑心暗鬼になれと言うことではない。あくまでも見えている部分だけを見ていても本質を捉えることはできないとうことだ。 私は、初めて会う人には、どんなしっぽがあるか見定めたいと思う。 いやいや、既に知っている人にも、とんだ尻尾があるかもしれんぞ。 |
周囲のことがよく見える人は、冷静な判断ができて失敗をすることは無いけれど、新しいこと、他人がやらないことには手を出さない。悪く言えば臆病で情熱にかける。 ただただ、自分を信じて突っ走れる人は、周囲から見て危なっかしく安定感に欠けるが、けっこう勢いでそのまま走り続けている人も多い。 私はと言うと、周囲が見えているから失敗は回避できているように思うが、最近は新しいことにチャレンジする意欲が減少してすべてにおいて傍観者である。とにかく失敗は許されない。 体力精神両面で、もう走り続ける気力が失せてしまった。 年を重ねるということは、そう知ることだ。 そして、そう納得することが、年をとったということに違いない。 |
昨日、あるパーティーに出席すると、数日前の会議で私の説明に鋭い疑問をぶつけてきた人が目の前にいた。その時、議題が多かったから、結論のでないまま話題が変わってそれっきりになってしまっていたので、良い機会だから私の方から話しかけてみた。 彼は大人だから冷静に自分の思いを話し、私も静かに聞いた。それで分かったことには、互いにある組織に対する認識が全く逆であることが分かった。最初は驚いた。まさかそんな見方があったのか…と絶句した。しかし彼の説明を聞いていくと、彼の主張には組織の認識をベースにしたうえで、ぶれない信念があることに気が付いた。 そこのところが理解できれば妥協点がみつかることを私は知っている。私は頭が良いほうではないので、すぐにではないけれど確実に彼とは一つの方向に向かえると思った。 相手の考えの基本になっているところを、見ぬき、理解し、配慮することが自分のやりたいことを進めていくうえでは大切なことだと思う。 |