いるか 谷川 俊太郎 いるかいるか いないかいるか いないいないいるか いつならいるか よるならいるか またきてみるか いるかいないか いないかいるか いるいるいるか いっぱいいるか ねているいるか ゆめみているか 谷川俊太郎は、1931年生まれの日本の代表的な詩人。子どもの詩だけでなく、大人むけの詩もたくさん書いている。 谷川の詩は、「生きる」に代表される、人間を正面からとらえようとする作品から、「いるか」や「かっぱ」などの、ノンセンス詩といわれる作品や、生きる意味を問いかけてはいるがユーモラスに書いている「うんこ」などがある。 子どもの詩を語るとき、谷川さんをはずすわけにはいかない。 谷川の詩は、ユーモアのなかに、鋭い人間洞察が含まれている。 この詩の中に、イルカ(動物)は何頭いるか。 それぞれの行の〈いるか〉をどう見るか、つまり動物のイルカと見るか、「居るか」と存在を聞いているのかということで、頭数が変わってくる。 題名のも含めて、十三頭というのが、最大の頭数だ。 そして最後は、イルカは一頭もいないということにまで、なってしまう。 動物のイルカと、存在の「居るか」が、ないまぜになって区別がつきにくく、あいまいな感じだ。 だけど、楽しい詩ではある。 子どものために書かれた詩には、読んで楽しい詩がたくさんある。思わずクスッと笑う詩、ニヤリとしてしまう詩、ことば遊びのような詩などがある。 この「いるか」という詩のあいまいさについて、もうすこし考えてみたい。 あいまいさを楽しむ、ユーモラスな詩ということが一つと、そのあいまいさが、イルカの実態を現しているということだ。 イルカは、群れをなして水中から水面へ、スイスイスイスイと、流れるように飛ぶように、どれがどのイルカやら、区別もつかず数も数えられず、泳ぎまわっている。 人間に捕まって、水族館などで飼われているイルカは別だが、泳ぎまわるイルカの数を明確に見ようとしても、なかなかわかるものではない。 この詩のあいまいさは、そういうイルカの実態を現しているように思える。 そのあいまいさ不明確さこそが、実態を明確にあらわしている、と読むのは深読みだろうか。 |