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ともだち塾の文芸日記

 
2009-03-29

大漁

カテゴリー: 日記
  大漁  金子 みすゞ

朝焼子焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう

 ※ 大羽鰮(おおばいわし)


 金子みすゞは、1903年生まれだから、いまから100年も前に生まれたことになるが、そんな時代のこの詩人が、なんと無垢な心を表現できたのかと驚かされる。
 金子みすゞの詩は、話すような歌うようなことばで書かれている。だから、金子みすゞは、童謡詩人と言われている。

 〈祭り〉と〈とむらい〉という、生活のなかの大きな行事が並べられている。これも一つのくりかえしであり、同時に、鮮やかな対比でもある。

 自分(たち)の喜びが、そのまま他の人(たち)の喜びになれば、その喜びは倍増されることになるだろう。
 でも、自分の喜んでいることが、他の人の悲しみになっていることを、知らずにいることが多いのではないだろうか。
 そのことを、この詩人は、鮮やかに描きだしている。

 いま子どもたちは、受験体勢の教育のなかで、自分の喜びが他の人の喜びとなる心を、押しつぶされている。
 ことばの上では、「みんなといっしょに」などと、子どもたちに伝えられることはあるが、実際の行動として求められるのは、他の人のことよりも自分のことだというのが、現状ではないだろうか。

 そんなことはない、と明確に言い切れない、なんともいえない気持ちを、私自身重く感じている。
 この、なんともいえない気持ちを、金子みすゞは、詩の形で示してくれたように思う。

 いま子どもたちは、やりきれない思いをことばにできずにいるが、やりきれない思いを抱えているのは、子どもたちだけではなく、大人もそうだろう。
 そんな思いに共感してくれるような詩が、金子みすゞの詩だと思う。

 詩人というのは、なんとすごい感性を持っているのであろうか。
 100年も前に生まれたのに、現在の私たちの思いに、ぴったり共感する詩を作るのだから。
 金子みすゞの生涯が舞台や映画になるのが当然なことだと思う。
 金子みすゞの詩を読むと、そのことがよくわかる。