手 八木 重吉 電気が消えた お手手ないない お手手ないないって もも子がむちゅうで両手をふりだした 死んじまうようなきがしたんだ 手がないとおもったんだ 八木重吉は、1898年生まれで1927年に30才という若さでなくなった詩人。 八木重吉の娘の名前が、桃子だ。 キリスト教徒でもある八木は、心の内面を深く見つめた詩を、数多く書いている。 八木の詩は、ことばもやさしく、表現方法もやさしく、子どもにわかりやすいように思われるが、詩の内容は、深く思案的で、むしろ大人むきだと思う。 八木の詩のやさしさに、心を癒されるのだろうか、おおくのファンがいる。 八木の詩の、やさしさとともに深い思案的な部分に、魅力を感じるのだろう。 やさしさのなかにほのかに感じる悲しみ、それも八木の詩の魅力だろう。 八木の詩を、もう一つ紹介しよう。 わが子の「いのち」、わが子が存在することへの深い慈しみを、読みかえすたびに感じる。 春 八木 重吉 ほんとによく晴れた朝だ 桃子は窓をあけて首をだし 桃ちゃん いい子 いい子うよ 桃ちゃん いい子 いい子うよって歌っている 「手」にしても「春」にしても、なんとやさしい詩の世界だろうか。 日常生活のありふれた光景を、スケッチ風に描いているのだが、この詩人の描き出したものは、かぎりないやさしさと、かすかな悲しみだ。 ことばもやさしく、情景もやさしい世界なので、子どもにもすぐ読み取れそうな詩だが、この詩の世界の意味するものを感じとり、意味を読み取るのは、子どもには無理だろう。 でも、この詩のやさしさは、きっと子どもにも、伝わると思う。 |