真心 黒木 瞳 あなたのために 心をみがいている ほんとうの私を あなたに知ってもらいたいから 一点の曇りもないほどに 私の心をみがいている 嘘がつまった体を捨てて ほんとうの私に戻ったら あなたに伝える 私の真心 女優の黒木瞳が書いた詩。 黒木瞳は、詩集「長袖の秋」「夜の青空」やエッセイ集「わたしが泣くとき」などを刊行。 この詩は、恋の詩か。 恋ということばも、愛ということばも出てこないが、〈一点の曇りもない〉心を、〈あなたに伝え〉たいと言うのだから、〈ほんとうの〉〈私の真心〉を〈あなたに伝え〉たいと言うのだから、恋の詩と思いたい。 生きていくうえで、〈一点の曇りもな〉く〈嘘がつまった体を捨て〉ることができるか? 恋とは、そんな不可能にみえることをしてまでも、〈あなたに伝える〉ために、〈私の心をみがいてい〉くものなのだ。 恋とは不思議なもので、相手がいてはじめて起こることなのに、自分のことも、はじめて見るような思いになってしまう。 そして、相手のことを知りたいのと同じように、いやそれ以上に、自分のことをわかりたいと思う気持ちが深まってくる。 子どもたちが、自分をみつめる、という思いをもちはじめるのには、いろんなきっかけがあるだろうが、誰かに「恋」をする、という時がいちばん多いのではないだろうか。 この詩は、3連が、1連のくりかえしに、4連が2連のくりかえしになっている。1連と2連のつながりも、3連と4連のつながりに、くりかえされている。 これらのくりかえしが、それぞれに発展して、くりかえされてもいる。 1連のあとに3連があっても、2連のあとに4連があってもおかしくはない。 しかしこの詩は、くりかえしが輻輳しているので、イメージが重なる。 この詩には、対比はあるか。 話者が、心に曇りがあると思っているイメージがあるし、体に嘘がつまっていると思っているイメージもあるす。だから今は、あなたに伝える真心がない、と思っているイメージにつながってくる。 そのことは、この詩のなかには、書かれてはない。書かれてはないが、イメージとしては、そのように対比的に感じられる。 さて、その話者だが、女性だろうか、男性だろうか。作者が、女優の黒木瞳だから、話者も女性と思ってしまうが、この詩の話者が男性であっても、すこしもおかしくはないと思う。 |