大漁 金子 みすゞ 朝焼子焼だ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう ※ 大羽鰮(おおばいわし) 金子みすゞは、1903年生まれだから、いまから100年も前に生まれたことになるが、そんな時代のこの詩人が、なんと無垢な心を表現できたのかと驚かされる。 金子みすゞの詩は、話すような歌うようなことばで書かれている。だから、金子みすゞは、童謡詩人と言われている。 〈祭り〉と〈とむらい〉という、生活のなかの大きな行事が並べられている。これも一つのくりかえしであり、同時に、鮮やかな対比でもある。 自分(たち)の喜びが、そのまま他の人(たち)の喜びになれば、その喜びは倍増されることになるだろう。 でも、自分の喜んでいることが、他の人の悲しみになっていることを、知らずにいることが多いのではないだろうか。 そのことを、この詩人は、鮮やかに描きだしている。 いま子どもたちは、受験体勢の教育のなかで、自分の喜びが他の人の喜びとなる心を、押しつぶされている。 ことばの上では、「みんなといっしょに」などと、子どもたちに伝えられることはあるが、実際の行動として求められるのは、他の人のことよりも自分のことだというのが、現状ではないだろうか。 そんなことはない、と明確に言い切れない、なんともいえない気持ちを、私自身重く感じている。 この、なんともいえない気持ちを、金子みすゞは、詩の形で示してくれたように思う。 いま子どもたちは、やりきれない思いをことばにできずにいるが、やりきれない思いを抱えているのは、子どもたちだけではなく、大人もそうだろう。 そんな思いに共感してくれるような詩が、金子みすゞの詩だと思う。 詩人というのは、なんとすごい感性を持っているのであろうか。 100年も前に生まれたのに、現在の私たちの思いに、ぴったり共感する詩を作るのだから。 金子みすゞの生涯が舞台や映画になるのが当然なことだと思う。 金子みすゞの詩を読むと、そのことがよくわかる。 |