ミミコの独立 山之口 貘 とうちゃんの下駄なんか はくんじゃないぞ ぼくはその場を見ていったが とうちゃんのなんか はかないよ とうちゃんのかんこをかりてって ミミコのかんこ はくんだ というのだ こんな理屈をこねてみせながら ミミコは小さなそのあんよで まないたみたいな下駄をひきずっていった 土間では片隅の かますの上に 赤いはなおの 赤いかんこが かぼちゃとならんで待っていた 山之口 貘は、日常生活の一コマを切り取ったような、生き生きとした詩を書いている詩人だ。 詩という短い文芸では、どのことばも、詩全体のイメージを作り上げるために、詩人が考えて書かれたことばである。 て・に・を・は、一つでも違うと、その詩のイメージが変わってしまうほど、詩では一つひとつのことばが大切だ。 たとえば、〈赤いかんこ〉が〈かぼちゃ〉でなく、ショートケーキと並んでいたとなったら、この詩の世界は、ずいぶん違うイメージになるであろう。 題名は「ミミコの独立」と、おおげさに書いているが、下駄を〈かんこ〉と言う幼い女の子の、自己主張している様子が、ユーモラスに描かれている。 ユーモアとは、読者がおもわずクスッと笑うような内容のものをいう。 ユーモラスな作品の中の登場人物本人は、コッケイなことをしようとしているのではなく、それどころか大まじめに行動しているのだが、それを見ている読者がおもわず笑ってしまうのである。 さて、〈ミミコ〉のユーモラスないいぐさに、おもわず笑ってしまうのだが、題名が「ミミコの独立」となっているので、こんな幼い女の子にも自尊心があるのだ、この女の子が成長したとき、父親の思いはいかばかりかと、これまた、おもわず考えてしまう。 もちろん、そう考えさせるように、作者が考えてつけた題名なのだ。 題名を「赤いかんこ」や「下駄」または「小さいミミコ」とした場合と、「ミミコの独立」となっている違いを想像してほしい。 詩の本文のイメージからはすこし離れた感じで、しかしそれを包括したイメージに、この「ミミコの独立」という題名はなっていると思う。 詩を読むとき、題名をどのようにみるかと考えるのも、詩を読む楽しみのひとつといえる。 |