大すき 小泉 周二 遠くに見えたらワクワクします 近くに来たらドキドキします 目と目が合ったらズキンとします あいさつできたらポーッとします 離れて行ったらシーンとします 見えなくなったらキューンとします 小泉周二は、1950年生まれ、小・中学校の教師をしながら、詩を書いている詩人で、「海」「放課後」「こもりうた」などの詩集がある。 誰が誰に〈ワクワク〉しているのだろうか。 この詩の話者が、「大すき」と思っている相手に、〈ワクワク〉しているのだ。 この話者は、男の子だろうか、女の子だろうか。 どちらにしても、中学生から高校生くらいではないだろうか。それとも、年齢は関係ないのだろうか。 この詩には、2つの特徴がある。 1つめは、見てすぐわかるように、声喩(〈ワクワク〉〈ドキドキ〉など)がとてもうまく使われていることだ。 題名が「大すき」となっているので、わかりやすくはなっているが、もし題名がなくても、みごとな声喩のために、この詩の世界は鮮明である。 声喩でなりたっている詩、といってもいいと思う。 声喩は、感覚的なことばなので、イメージの文芸である詩には、声喩がよく使われているが、この詩ほど声喩を連続させて、詩の世界を表現している詩はあまり知らない。 2つめは、すべての文末が、〈します〉になってい.。 〈します〉と、現在形になっていることで、臨場感がある。 すべての文末が〈します〉となっているので、まるで、この詩を読んでいる人の目の前を、詩の登場人物が、歩いて来て歩き去っていくような感じがする。 このように、すべての文末が、同じことばで書かれていることを、脚韻を踏むという。 日本の詩では、脚韻を踏んでいるのはあまりないが、西洋の詩や中国の詩では、脚韻を踏むことが、詩の条件となっているほどである。 中国の四行詩の「絶句」で、脚韻のみごとさを味わってみてほしい。 この詩の話者は、これからどうするのだろうか。 毎日毎日〈ドキドキ〉〈キューン〉としていくだけなのだろうか。それとも、相手に「大すき」だと、伝えるのだろうか。 でもそれは、また別の詩の世界のことである。 詩とは、ある日ある時の鮮烈な思いを、ことばにすることなのである。 そして、そのピュアな思いに、読者も共感して、作者と読者が一体となって、詩の世界を創りあげていくのである。 |