三日月 松谷 みよ子 いかついくちばしを胸ふかくさしいれ くらい森をみはりながら ふくろうは かんがえる 生まれてくる子には 赤い三日月をとってやろう 上にのってゆうらりゆれたり ころがしたり くわえたりしてあそぶだろう 森がそこだけ ぼうっと ひかるだろう きのこなんかも ひかるだろう やがて父親となるふくろうの いかついくちばしが つぶやいている 松谷みよ子は、「竜の子太郎」などの創作民話や、「ふたりのイーダ」など命をテーマにした作品を書いている作家だ。 「三日月」も、民話的な雰囲気をもった、とても印象的な詩だ。 この詩は、民話的な雰囲気の詩であるとともに、ファンタジー詩でもある。 1連と3連は、現実のふくろうという鳥のことを書いたのだとしても、おかしくない文章の内容になっている。 しかし、2連で書かれていることは、現実の世界ではありえないことである。 そのありえないことが、父親が子どもにしてあげたいこととして思うと、すべて納得できるものだ。 ことがらとしては、現実ではありえないことだけど、イメージとしては納得できる、ことばを変えていえば、リアリティがあるというのが、ファンタジーとしての作品の価値を決定づけるものである。 〈いかついくちばし〉という、同じことばが、詩の最初と最後にでてくるが、最初の〈いかついくちばし〉のふくろうと、最後の〈いかついくちばし〉のふくろうのイメージが、変わってくる。 ふくろうは、「夜のギャング」といわれるほどの猛禽類なので、最初の〈いかついくちばし〉のふくろうのイメージは、怖さを感じるだけだ。 そのふくろうが、子どものことを考えている2連は、父親としてのやさしさがイメージされてくる。 この2連のイメージがあるために、3連の〈いかついくちばし〉のふくろうのイメージが、同じことばであっても、1連の〈いかついくちばし〉のふくろうのイメージとは、ちがってくるのである。 詩は、イメージの文芸といってもいいだろう。 もちろん、ほかのすべての文芸も、イメージをもとにして、筋をたどって読みすすめていく。 だがとくに詩は、題名も含めて、一つひとつのことばのイメージで、詩全体のイメージを作りあげていくのである。 |