前に知り合ったひとは、なかなか笑わないひとだった。 わたしは一緒に笑ってくれるひとが好き。 そのひとは、どんな話をしても、少しだけ口が開くことはあっても。 大きな声をあげて笑ってくれるひとではなかった。 だから、わたしはそのひとが笑ってくれるよう、いろんな話をしたのだけれど。 けっきょく、一緒にいても楽しくはなれなかった。 わたし一人が笑っていても、寂しいだけだった。 わたしは、笑ってくれるひとがいい。 一緒にばか笑いするくらい、笑ってくれるひとがいい。 いつも笑って話を聞いてくれて、いつも笑わせてくれて。 幸せだと思う瞬間は、一緒に笑顔でいられる時間をもてるということ。 |
わたしがメールでこだわっていること。 それは、名前を呼ぶこと。 メールのなかで、必ず、相手に呼びかけるようにしている。 相手の意見や感想を求めたり、相手へのあいさつだったり・・・。 必ず、相手の名前を一度は呼ぶようにしている。 もらったメールで、困ってしまうのは。 話の内容が全部、自分で完結してしまっているとき。 自分だけの話で終わってしまうようなメールは、どういうふうにレスしたらいいのか悩んでしまう。 それに、そのメールを送られる相手は、わたしでなければいけないというものではなく、誰でもいいように感じられて、寂しくなる。 コピーメールも、相手の名前が入っていないものがあるし。 見極めのポイントは相手の(自分の)名前があるかどうか?が判断基準にもなったりする。 (ただ、名前の部分だけを変えて送ってくる人もいる?かもしれないから。そのへんは難しいのだけれど) メールって、やっぱり、相手への贈り物だと思うから。 読んでもらう相手がいなければはじまらないもの。 相手に好きになってもらいたかったら。 メールには必ず相手の名前を入れて、呼びかけることが大事だと思う。 |
ほめられて。 嫌な気持ちになるひとって、そうはいないと思う。 たとえば、女性だったら、 「可愛いね」 とか、 「きれいだね」 とか、言われたいもので。 男性だったら、 「かっこいい」 とか、 「仕事ができるって素敵」 とか、 「頼りになるね」 とか・・・???(なのかなぁ?わたしは男性ではないから、どんな言葉を言われたいいのかは、ちょっとわからないのだけれど) きっと。 誰でも、誰かに認められたい・・・っていう気持ちはあったりするんじゃないのかなって思うんだけれど。 ほめられたら。 気持ちがいいはず。 ほめてくれるひとを嫌いになったりしないもの。 (もちろん、ほめかたもあるけれど) 好きになって欲しいひとがいたら。 簡単なこと。 ほめて、ほめて、ほめまくる。 もちろん、本心から・・・ね。 |
メールから、実際に会うことになって。 ネットからリアルに知り合って。 一歩、まずは前進できたとする。 でも、その次はあるか?・・・・で、また逡巡してしまう。 初回は、お互い興味を持っていて、どんどん、どんどん、気持ちが前に進んでいるから、会うまではスムーズにいったりするけれど。 悲しいことに、初回でアウトになってしまうこともある。 また、次へ進む可能性が出てくることもある。 初回を越えたら、次があるのか?ないのか?ーが気になったりするもので。 初回でアウトになってしまった場合は、相性だったり、話がかみあわなかったり、イメージと違うとか、いろんな要素がありつつも「しかたないかな」と諦めきれるし、まだキズは浅いかもしれない。 でも、なんとなく、次を予感させてくれるような出会いがあったときは。 かなり、不安になるものだ。 自分だけが2回目を期待しているのではないだろうか? 相手は初回でアウトのつもりではないだろうか? とか、初回のドキドキよりも、不安なほうが大きくなっている。 自分からは2回目を言い出せないタイプで、自分自身に自信がないひとなので。 初回後のメールや、相手の一挙手一投足が。 妙に気になってしまって、胸が痛くなる。 |
好きになるひととは 抱き合ったり キスしたりすることが 自然とイメージできるもの イメージできないということは やっぱり、まだどこか 遠くの存在で リアルではないのかもしれない 好きなひとがいると 心がポッと温かくなる 好きになると こわくなる 好きでいることを 持続していくのは 簡単ではないけれど ひとを好きになれる ということが 気持ちよく 感じられる ひとを好きになると 自分が好きになる 好きなひとが 一番大事なひとになる 好きなひとがいる この世界を どんどん どんどん 好きになる |
以心伝心というけれど 言葉は 伝えなければ 届かない 何も言わなくても わかることもあるけれど 言ってくれないと わからないこともある 言葉は 相手へ想いを 届けたいから あるんだよ |
自分が相手のことを 好きになるように 相手のことを好きで いっぱいに満たしているように 好きなひとも 同じように 自分のことを 好きでいてくれたらいいのになって 思う いつも 自分ばかりが 好きじゃ 寂しい |
時々、メールをしていて思うのだけれど。 簡単に「癒して」だとか、簡単に相手に甘えてくるひとがいる。 自分が甘えたいときは、やっぱり、相手だって甘えたいときもあるもの。 自分の寂しさを自分でなんとかできないひとは、相手に寄りかかってばかり。 そんなんじゃ、相手だって疲れてしまうし、自分自身も弱いままだ。 自分の寂しさを乗り越えて、相手を甘やかせてあげられるくらいに。 寂しさを優しさに変えられるひとになれるといい。 |
わたしは初めて会う人には、必ず何かしらの小さな贈り物をプレゼントしている。 人によって送るものは違うし、相手が負担に思わない程度のものを選んでいる。 プレゼントをするからといって、見返りを求めているわけではなくて。 ただ、会ってくれて「ありがとう」という気持ちで贈るもので。 自分がしたからといって、相手に同じ様なことを求めてはいない。 ただ、嬉しい顔をしてくれたら、それでいい。 でも、正直なところ。 プレゼントを受け取った後。 何事もなかったようにされてしまうのは、ちょっと寂しい。 見返りを求めるわけではないし、感謝を強要する・・・わけでもないのだけれど。 やっぱり、贈り物を受け取ってくれたら。 送り主の気持ちも受け取って欲しいな~と思うわけで。 プレゼントは、好きな気持ちの第一歩なんだけどなぁ・・・。 |
自分が好きになったからといって 相手も好きでいてくれるとは 限らない それが 恋愛の 難しいところ たとえ 相手が 自分のことを 好きになってくれなくても ひとときでも 出会えたことに 感謝しよう 片思いは 辛くて 切なくて どうしようもなくて 身もだえしてしまうけれど それも また 恋なんだ |