都民の方々におかれましては、都議選投票おつかれさまでした。 (都民で“選挙権があるのに”行ってないってかたに向けてはなにも話すことないんで読む価値ない日記です。“”内は修正追記) わたしは忘れてたわけじゃないんだけど、なんかぜんぜん興味が湧かなくて。今日うっかりいつもどおりの時間に起きてしまったのであわててトイレで選挙公報を読みながら、遅刻覚悟で投票所へ向かいました。前回の都知事選と比べて超ガラガラで、スムーズに次ぐスムーズで遅刻どころかいつもより早く職場についちゃった。 わたし、東京オリンピックにはとにかく反対。けどそのへんはもう論点ではなかった感じだからなんかもうどれでもいいやって。なんだったら全席公明党でいいくらいに思ってたんだけど、やっぱり今回も自分で投票する気にはなれなかった。 なんか、公明党っていちばん説明もわかりやすいしほんとうにわたしにとっては身の丈の問題に取り組んでくれる党って気がしているんだけれど、この反射的な拒否反応はなんがなんだろうっていつも思っている。 宗教が政治に介入することへの拒絶なのか?だとしたらなぜその気持ちが生まれるのか。すこし学んだり考えたりしてみたい。 でもこないだ駅前で公明党の候補が街頭やってたんだけど、 「つまり大事なのはみなさんの財布が厚くなるかどうかです!」 とか言ってて、けっこうえげつない言い方するんだなーとおもったものでした。まあ実際そのとおりだし、わかりやすいですけどね。 わたしも昔、お手伝いでウグイスをやったことがあるのですが、自分のことばで赤の他人に、自分のおもうとおりに伝えるってほんとうにむずかしくて、あのときは泣きたくなるほど悔しかった。 そんなわけで今回も死に票を入れてきました。ていうか、捨ててきた。 選挙がギャンブルだったら、わたしは一度も勝ったことがない。 人生アウト状態。 _________________________________ 仕事から帰ってきたら同居人が喘息発作おこしてた。病院行けよっていってるのに夜間診療行くの迷ってたから、昨日今日のおもしろい話を次々と繰り出して笑いすぎでさらに悪化させてやり、ようやくかかりつけの医院にタクシーで行くことを決意させた。 タクシー降りて病院の門を叩くところから点滴を打たれるまでの一部始終を動画に納めてみた。もちろん面白半分と、ドキュメンタリーを撮るってどんな感じなのかなっていう興味半分。ざんねんながら面白が半分混ざっているだもんで、わざと平野勝之を意識して撮ってみたら案の定あとから見ると自分が超きもちわるかった。まさに、平野作品(監督失格だけじゃなくてAVのときから)で「わーこのひときもちわるいなー」っておもってた部分へ見事に自分も入り込んでた。 事実をありのままに伝えたいという思い、の、なかに入り込む自意識。これってドキュメンタリーの鍵にもなるんだろうなとおもった。監督の自意識に自分の波長が合えば好意的に見れるのだろうけれど、そうでなければ本当に不快なだけだし、かといって自意識が一切入らないただの記録のようなものではさほど引き込まれることがなかったりするし(記録が見たい場合は別として)。 ドキュメンタリーに関わらず、「伝えたい」ってことそのものがもう自意識のあらわれなんだ。 結論:「平野勝之はやっぱりきもちわるい」 |