風邪を~ひいてる~んです~ 我が家は壁が薄いので、ふと隣の部屋から音楽が漏れ聴こえてくることがあります。 とある休日、西日射す四畳半。すっかりやけきった畳の上で、わたしは雑にたたんだだけの布団に寄りかかって本など読んでいる。そこへ流れてくるはっぴいえんど、フォークソングやニューミュージック。そんなのをぼんやりと聴いていると、わたしはいつもこう思うのです。 び、貧乏くせええええええええええ!!!!!!!!!!!!! まあ、粗忽な貧乏人が肩寄せあって暮らす長屋みたいなものなんで、貧乏臭いのはあたりまえなんですけど。ちなみにわたしは隣人から、「夜な夜なおじさんがひとりでしゃべる声が聞こえてくる」といわれています。 それはどうでもいいとして、風邪ひきました。 気圧がどうの、といってたおとといあたりからのどに違和感を覚えてはいたんですが、翌日にも治らずしかしそれ以上ひどいわけでもなく落語会へ。 三三・喬太郎を堪能した後は、南越谷にある吉田類推薦みたいな飲み屋。酒飲めば治るっしょ、アルコール消毒や! という気持ちで終電近くまで飲み、友人宅へ移動してさらに夜中まで遠慮なくやってたんですけどね。そうは問屋がおろさない。え、何問屋? 薬問屋? しかし仕事に行くのが大人、行ったら行ったでやばい悪寒。 発熱したときってすぐわかりますね。あの身体に走るいやーな感じ。 それでもお客さまは待っている。 いつもの漢方に加え、職場でパブロンもらって飲み合わせも考えずイッキ飲みしました。 「普段使いの漢方と、特別な日のパブロン」 こう書くとちょっとした女性誌のコピーのように見えてくるからふしぎ。 そんなのもどうでもよくて、パブロンすげーって話なんですよ。 だって二時間ほどの施術中に熱っぽさがすっ飛んでたんですよ。 とりあえず、なにごとなく仕事を終えることができました。 で、帰ってゆっくり眠れるかというとそんな日に限ってそうではなく。 残業を終え0時過ぎ、入院中の同居人代理で所用があり都の西北・某学生街へ。 男女なかよく入り混じり、いい気分で大声をあげて縦横無尽にばらんばらん歩きながらドッカンドッカンぶつかってくる学生たち。無邪気で未来があって、今という流れ星のような瞬間を存分にたのしんでいる彼や彼女らに、こんな猫背で咳き込むおばさんなんて目に入らない……。 これは、あの、あれですかね、あのー、不謹慎ですが小学生無差別殺傷の犯人なんかは、このときのおばさんの気持ちをもっともっとこじらせて根を深く複雑にさせたものが原因、ということでよろしいでしょうかね。 そんなことを考えながら荒んだ気持ちでドンキいったり富士そばなんか入って、縁石に腰掛けたりして二時間弱ほど待ったものの、同行者の仕事が終わらずリスケに。 大好きなタクシーに乗って帰宅しましたとさ。ゲホンゴホン。 あ、待ってる間に三回ナンパされたよ!べつにうれしくないけども! |
この二ヶ月弱、医師いわく「タフレディになれる」漢方薬を飲んでおりまして、漢方のおかげかそれともただ時間の経過か、雨戸締め切り時代にくらべるとずいぶん精力的に動けるようになりました。 そして周囲からも「よっ、タフレディ!略してフレディ、今日もタフいね!」などと言われるようになり調子にのっていたため、この数日ちょっとサボっていたのですが、今日いきなりものすごい倦怠感に襲われました。 夢見が悪くて何回も目覚めてはめそめそしてるし、頭痛はするわ耳鳴りはするわ鼻はつまるわ乾咳でるわ集中力はないわ、なにより二年前に粉砕骨折した腕が痛い。 あー、これが躁鬱でいう「揺り返し」ってやつか~。そういえば過去に身に覚えもあるなあ……いや、待て、骨折した腕が痛い? 外は雨。 気休めにチョコラBBとか飲んでむりやり出勤したのですが、職場について目に飛び込んできたものを見てすべて合点がいきました。 上司のくせっ毛の広がりっぷり。ボワンと。 こりゃただの気圧のせいだ。 明日にはもうちょっと落ち着いてたい。つーか高まれ、気圧よ。 だって明日は三三と喬太郎の二人会に行くのだもの。 しかし越谷、馴染みがないぶんよけいに遠く感じるわ。 |
都民の方々におかれましては、都議選投票おつかれさまでした。 (都民で“選挙権があるのに”行ってないってかたに向けてはなにも話すことないんで読む価値ない日記です。“”内は修正追記) わたしは忘れてたわけじゃないんだけど、なんかぜんぜん興味が湧かなくて。今日うっかりいつもどおりの時間に起きてしまったのであわててトイレで選挙公報を読みながら、遅刻覚悟で投票所へ向かいました。前回の都知事選と比べて超ガラガラで、スムーズに次ぐスムーズで遅刻どころかいつもより早く職場についちゃった。 わたし、東京オリンピックにはとにかく反対。けどそのへんはもう論点ではなかった感じだからなんかもうどれでもいいやって。なんだったら全席公明党でいいくらいに思ってたんだけど、やっぱり今回も自分で投票する気にはなれなかった。 なんか、公明党っていちばん説明もわかりやすいしほんとうにわたしにとっては身の丈の問題に取り組んでくれる党って気がしているんだけれど、この反射的な拒否反応はなんがなんだろうっていつも思っている。 宗教が政治に介入することへの拒絶なのか?だとしたらなぜその気持ちが生まれるのか。すこし学んだり考えたりしてみたい。 でもこないだ駅前で公明党の候補が街頭やってたんだけど、 「つまり大事なのはみなさんの財布が厚くなるかどうかです!」 とか言ってて、けっこうえげつない言い方するんだなーとおもったものでした。まあ実際そのとおりだし、わかりやすいですけどね。 わたしも昔、お手伝いでウグイスをやったことがあるのですが、自分のことばで赤の他人に、自分のおもうとおりに伝えるってほんとうにむずかしくて、あのときは泣きたくなるほど悔しかった。 そんなわけで今回も死に票を入れてきました。ていうか、捨ててきた。 選挙がギャンブルだったら、わたしは一度も勝ったことがない。 人生アウト状態。 _________________________________ 仕事から帰ってきたら同居人が喘息発作おこしてた。病院行けよっていってるのに夜間診療行くの迷ってたから、昨日今日のおもしろい話を次々と繰り出して笑いすぎでさらに悪化させてやり、ようやくかかりつけの医院にタクシーで行くことを決意させた。 タクシー降りて病院の門を叩くところから点滴を打たれるまでの一部始終を動画に納めてみた。もちろん面白半分と、ドキュメンタリーを撮るってどんな感じなのかなっていう興味半分。ざんねんながら面白が半分混ざっているだもんで、わざと平野勝之を意識して撮ってみたら案の定あとから見ると自分が超きもちわるかった。まさに、平野作品(監督失格だけじゃなくてAVのときから)で「わーこのひときもちわるいなー」っておもってた部分へ見事に自分も入り込んでた。 事実をありのままに伝えたいという思い、の、なかに入り込む自意識。これってドキュメンタリーの鍵にもなるんだろうなとおもった。監督の自意識に自分の波長が合えば好意的に見れるのだろうけれど、そうでなければ本当に不快なだけだし、かといって自意識が一切入らないただの記録のようなものではさほど引き込まれることがなかったりするし(記録が見たい場合は別として)。 ドキュメンタリーに関わらず、「伝えたい」ってことそのものがもう自意識のあらわれなんだ。 結論:「平野勝之はやっぱりきもちわるい」 |
きのう近所に映画観に行ってきました。 タイトルにある「先祖になる」という作品で、3.11の大津波で息子と家を失った陸前高田に住む77歳の佐藤直志さんというひとが、仮設住宅に避難せず元の場所に家を建て直すことに挑む姿を追ったドキュメンタリー。 病魔や身体の不具合に冒されながらも田畑を借りて米を作り蕎麦の実をつくり、農業と林業を営んでいたご自身で木を伐採して家を建てるまで、おなじく陸前高田の町内に残る人々の姿やインタビューとともに映し出されていた。 直志さんの奥さんは家を建て直すことに反対して、亡くしたご長男の奥さんと仮設住宅に移り住んでいる。それでも成し遂げようとする、すごい頑固でパワフルなおじいちゃんだった。 この映画を撮った池谷薫監督、中国山西省に残留させられた日本兵である奥村和一さんを追った「蟻の兵隊」という映画で知ったのですが、この奥村さんも頑固でパワフルなひとだった。 どちらの作品も、土地であったり人間の尊厳であったり、なにかを守るために一歩も譲らない人の姿勢をこれでもかと見せつけられるのですが、守ろう守りたい守らなければ、というものもないまま日々ぼんやり生きているわたしなので、こういう人々の生きざまというものを見るといつも共感の以前に圧倒されます。 瓦礫のなかから生え出た草を指して、「これはキュウリだ。種があっちから流れてきたんだろうな」と言っていた。パワフルなのは人だけではない。 恥ずかしながら、震災という出来事、被災地という場所、そこへわたし自身がどのように関わっていくか、いまだ答えは出せずに(出さずに逃げて)いる。ただ、何事が起きようとおそらく必ずそこに誰かが存在していること、当事者がいること。 よく「これは他人事じゃいられない」なんていうけれど、いつどんなかたちで自分も当事者になり得るかということ、そしてそれはすでにそうであるのかもしれないこと。 そんなことを忘れてはいけないなと、こうして映画を見たり誰かと出会ったり裁判を傍聴したりニュースを見たりするたびにおもっては忘れおもっては忘れの毎日を送り続けている。 夜はひさしぶりにゴールデン街に行ってきた。友人がバイトしてるので。二ヶ月ぶりくらいに会った友人は、わたしの最近のあれこれを知っているので「楽しそうな顔が見れてよかったー」と表向き言ってくれていたけど、その後メールで何度も「痩せてきれいになったけど急激すぎて心配」を繰り返していた。 そういわれてみて体重計にのってみたら4,5年ぶりに見るような数字を叩き出していたので、「やっと会えたね」つって中山美穂を前にした辻仁成みたいなことを言いながら記念写真とった。まあそれでも10年前より7,8キロ多いですけど。中年太りがはじまる時期に重ねて、シェア暮らしを始めてからすごい太ったなあ。結婚すると太るってよく聞くけど、こういうことかあ~ ……ちがう! とはいえどうせ昨日酒のんで水分が抜けてただけだから誤差の範囲内だろうし今日夕方ケンタッキーとか食べちゃったし同居人が旅行から帰ってきておみやげにさつま揚げいっぱい買ってきてくれたしで明日にはもう1kgくらい戻ってるとおもう。胃、重いし。今日はもう体重計乗らない。見たくない。 |
昨日は佐川ボーイにハレンチな姿を見せつけたとお伝えしましたが、本日もやってしまいました。ゆうべ蒸し暑かったじゃないですか。と気候のせいにして。 寝起きのまま下着姿で階下におりるとまさか出張中でいないとおもってた同居人がリビングに。帰ってくる日程を一日勘違いしていた。 ルームシェアってたいへんですね~ とかそういう問題じゃない!! おそらくモラルの問題。わたくしの。 ああ、早くおじさんだかおばさんだかわからないくらいに歳を取りたい……。そしてシミーズ姿で軒先にまではみ出た植木に水をやり、ゴミ出しに行くの……。いや、そういう問題でもない。こういうのがもう20年とか経って、きみまろのネタみたいになってくるんでしょ。やだ!!!!! 下半期の目標。 中年であることに甘んじず、もっと恥じらいを!! ※タイトルはあえて自省と開き直りの混在でアパッチ野球軍から拝借しましたがじっさい脳内リピートしてるのは電気グルーヴの「ポパイポパイ」です。セックシーランジェリーのへんなお~ばさ~ん(へんなおばさ~ん!)。ほんとの歌詞はおじさんだけど。 |
蒸し暑かったので窓全開にして自室でくつろいでいたところ、 外から飛脚の宅配ボーイの話し声が聞こえてきた。 うちの一角は袋小路になっていて、戸建が何軒かあるも番地がすべておなじ。まして我が家は五人住まいで表札も出していない。郵便なり友人なりピッツァなり、迷い迷ってしまうひとはよくいる。 「s…さんってかたのお宅はこちらでよろしいでしょうか…?」 同居人の苗字だ。そしてそれに答える女性の声。 よく聞き取れなかったので、もしかしてご近所さんが答えてくださっているのかしら、とおもって窓から、うちですうちです今行きまーす!と元気よくお返事して慌てて階下へ降り玄関ドアを開けたら、佐川のお兄さんの応対をしていたのはちょうど帰宅して軒先で一服していたまた別の同居人だった。 なんだよー! うちのひとだったらはいはいうちですで終わるはずが、そうじゃなさそうだから降りていったのにー! 聞けば、さっき不在票を入れて再びやってきただとか、不意に開けるとネコが飛び出してくるから気をつけてくださいとかそんな話をしていたとのこと。だからごそごそ長話におもえたのね。 ……で、そうとは知らずにあわてて飛び出したわたくしはといえば、 ノーブラにキャミソール、超短パン。 さすがにまずいとカーデガンは羽織って出たけれど、閉まっていると思い込んでいたキャミのボタンが開いていてデコルテほぼ丸出し。ここまで扇情的かつハレンチな格好で人前に出るなんて、できすぎた欲求不満の人妻ポルノか、現実世界じゃ林真須美くらいしか思い浮かばない。 まじで恥ずかしかった!!!!!!!!! |
そういえば、昨日は父の日だったんですね。 わたしは母の日とか父の日とか、小学校で強制的にやらされた以外は、おそらく数えるほどしかなにかした覚えがないです。なにをしたかの記憶すら曖昧だな。 わたしの父親はとにかく「飲む打つ」の人でした。「買う」がないからまだいいかってわけではなく、これが「買う」のではなくとにかく女にだらしがない。お金で割り切る関係じゃないから余計にタチが悪い。まあまあどこへいってもどこかに必ずシンネコな仲の女性がいたようで。姉の同級生のお母さんと、なんてこともあったとか。 そんなわけでまあ、貧乏なうえにバクチで借金こさえるわ女は山ほどつくるわで、夜逃げ同然の引越しも何回もしたし、むちゃくちゃな家庭環境でした。 感謝なんてする余裕がないどころか、そんな父親と、そこから離れない母親を憎んだこともありました。 末期がんで入院中、遺影になるような写真を撮ってくれと父が言うので、病院の前の公園で撮影しました。父親ひとりのものと、孫といっしょに、何枚か。iPhoneのカメラですけど、我ながらまあまあの。 それから数ヶ月もなく父親が、それから一月半、後を追うように母親が息を引き取りました。 晩年でさえも愛人のいた父親をおもうと、あの野郎~、ってなります。 いつも姉兄と比べてはわたしを否定してくれた母親に恨みもあります。 そんで、勝手にやって勝手に死んでいくって勝ち逃げだよ。ずるいなあ。 こっちはもう、すべて許して送り出すしかないんだもの。 あんたらよりもいまのわたしよっぽどしっかり生活してんの。 立派に育ててくれてありがとうなんておもわない。 わたしを大人にしてくれたのはあんたらじゃない。行政。 で、いまとっても楽しいことがたくさんある。 だから、ちょっときつくても生きていけてる。 だから、産んでくれてありがとうねって、最期にそれだけ伝えた。 死ぬ前は、遺影なんて飾る気はこれっぽっちもなかった。 面倒事が片付いた、とおもいたかったから、かな。 だけどいま、わたしの部屋のフォトフレームにふたりがいる。 あの日、公園で撮った写真ではなくて。 ある雨の夜、足の悪くなった母に父が傘をさしかけて、相合傘で歩くふたり。 いつも大喧嘩して暴力まで振るわれて、それでも離れない男女の気持ちがわたしにはよくわからない。ふたりにしかわからない情のつながりがあったとしても、そんなものはただの共依存というやつで、まるで肯定できないし、わたしがそうなりたいかといったらまっぴらごめんです。 傍目からみてどんなにひどい関係でも当事者は聞く耳持たない、というのは経験上知っているけども、やっぱり気づけば心底ばかばかしくて。 なんで、こんな関係が成り立つんだろう。 ふしぎにおもって、ついその後姿を撮ったんでした。 そういえばたしかその日は、 「母の日と父の日、いちいち分けるのめんどくさいからまとめて寿司でもなんでもうまいもん食わせてやるよ!」 といって誘い出した、梅雨に入る少し前のことだったっけな。 と、この日記を書きながらそんなことを思い出したのでした。 顔も写ってないし、ピンボケしてる。 遺影どころかスナップにしてもまったくしょうがない写真。 でも、その写真がいちばんわたしの両親らしいなあ、とおもうのです。 |
・このサイトを開くと高確率で「ぽっちゃり女子のファッション誌」のバナーがでてくる。 ・まさかの緊急休日出勤。 予想外だっただけにいろいろあって予想外に早めに終わったので夜は急遽中野へ。 ・同居人の友人が北海道から遊びに来ておいしいものを食べるという。 「しかし北海道よりもおいしいものが東京にあるのだろうか、いやない」 と、同居人は一ヶ月ほど店選びに頭を悩ませていた。 ・わたしがすすきの交番を目の前に「警察24時の!」と感動したように、結局は下町とか歩かせて雰囲気でもんじゃとかそばとか食わすしかないのではなかろうか、などと話していた。 ・札幌になくていかにも東京っぽいものってなんだろう、というので代官山タツヤカワゴエを推薦したら即却下された。なんだよー。 ・中野ブロードウェイに行ってみたいとのことで、あのへんをブラブラ。 ・わたしはサブカル少女だったので、ブロードウェイ=聖地だったが、大人になり実際に中野区に住んでみるとまったく行かなくなった。まれに行ったとしても、あの三階直通のエスカレーターには乗らず地下へ降り激安肉屋で食材を買うくらいになった。 ・生活するということはそういうものだとおもえる。 ・とかいいながら、ブロードウェイ三階エスカレーターのぼってまんだらけについた瞬間まんがを買ってしまう、自分はそういう人間。 青池保子「イブの息子たち」読みたかったんだよー。 ・そしてさらに、友人らが雑貨屋さんを眺めているのをいいことにひとりでタコシェへ。そしてまたまんがを買う。自分はそういう人間。 いましろたかし「原発幻魔大戦 首相官邸前デモ編」 ・いましろたかしの作品だけは中古で買わないと決めている。 どんなに作風が変わっても、わたしはこのひとのまんがをはじめて読んだとき、このひとに直接お金が入らない買い方にはなんの意味もないとおもった。わたしにとっては神に等しい漫画家。 ・しかしまずい、本棚が足りない。180×180の本棚から溢れでてすでに押入れにも詰め込まれている本(まんが)、すこし整理しなければ。 ・その他タコシェ店内を物色していると遠くで同居人が 「ほらね、あの子こういうお店ほんと似合うでしょ~」 と悪口をいっているのが聞こえた。 我が家で「サブカル」と称されるものの多くはタチの悪いバカを意味する。 ・大人になるってこういうこと。 ・で、さんざん悩んでいたばんごはんはあっさりと焼き鳥を所望され、大本命の店の予約は取れなかったものの、あっさりと解決してしまった。 ・よく食べてよく飲むひとってほんとうに気持ちがいいな。 わたしは近頃メンタルの弱さでだいぶ食が細くなり酒も弱くなりでくいしんぼうの友人たちのなかで肩身が狭く心底情けないおもいをしている。 |