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そういえば、昨日は父の日だったんですね。 わたしは母の日とか父の日とか、小学校で強制的にやらされた以外は、おそらく数えるほどしかなにかした覚えがないです。なにをしたかの記憶すら曖昧だな。 わたしの父親はとにかく「飲む打つ」の人でした。「買う」がないからまだいいかってわけではなく、これが「買う」のではなくとにかく女にだらしがない。お金で割り切る関係じゃないから余計にタチが悪い。まあまあどこへいってもどこかに必ずシンネコな仲の女性がいたようで。姉の同級生のお母さんと、なんてこともあったとか。 そんなわけでまあ、貧乏なうえにバクチで借金こさえるわ女は山ほどつくるわで、夜逃げ同然の引越しも何回もしたし、むちゃくちゃな家庭環境でした。 感謝なんてする余裕がないどころか、そんな父親と、そこから離れない母親を憎んだこともありました。 末期がんで入院中、遺影になるような写真を撮ってくれと父が言うので、病院の前の公園で撮影しました。父親ひとりのものと、孫といっしょに、何枚か。iPhoneのカメラですけど、我ながらまあまあの。 それから数ヶ月もなく父親が、それから一月半、後を追うように母親が息を引き取りました。 晩年でさえも愛人のいた父親をおもうと、あの野郎~、ってなります。 いつも姉兄と比べてはわたしを否定してくれた母親に恨みもあります。 そんで、勝手にやって勝手に死んでいくって勝ち逃げだよ。ずるいなあ。 こっちはもう、すべて許して送り出すしかないんだもの。 あんたらよりもいまのわたしよっぽどしっかり生活してんの。 立派に育ててくれてありがとうなんておもわない。 わたしを大人にしてくれたのはあんたらじゃない。行政。 で、いまとっても楽しいことがたくさんある。 だから、ちょっときつくても生きていけてる。 だから、産んでくれてありがとうねって、最期にそれだけ伝えた。 死ぬ前は、遺影なんて飾る気はこれっぽっちもなかった。 面倒事が片付いた、とおもいたかったから、かな。 だけどいま、わたしの部屋のフォトフレームにふたりがいる。 あの日、公園で撮った写真ではなくて。 ある雨の夜、足の悪くなった母に父が傘をさしかけて、相合傘で歩くふたり。 いつも大喧嘩して暴力まで振るわれて、それでも離れない男女の気持ちがわたしにはよくわからない。ふたりにしかわからない情のつながりがあったとしても、そんなものはただの共依存というやつで、まるで肯定できないし、わたしがそうなりたいかといったらまっぴらごめんです。 傍目からみてどんなにひどい関係でも当事者は聞く耳持たない、というのは経験上知っているけども、やっぱり気づけば心底ばかばかしくて。 なんで、こんな関係が成り立つんだろう。 ふしぎにおもって、ついその後姿を撮ったんでした。 そういえばたしかその日は、 「母の日と父の日、いちいち分けるのめんどくさいからまとめて寿司でもなんでもうまいもん食わせてやるよ!」 といって誘い出した、梅雨に入る少し前のことだったっけな。 と、この日記を書きながらそんなことを思い出したのでした。 顔も写ってないし、ピンボケしてる。 遺影どころかスナップにしてもまったくしょうがない写真。 でも、その写真がいちばんわたしの両親らしいなあ、とおもうのです。 |
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