▲
▼
| 1 |
整理整頓が苦手なんですよ。それはそれは苦手。物をコンパクトにまとめるのも苦手。いるものといらないものを選り分けるのも苦手で、隙間なく詰め込むのも苦手。旅行かばんはいつも限界だし、つまりはテトリスも苦手。 部屋の掃除もとても苦手なのだけれど、これは現時点で劇的に改善されたほう。昔は「女として終わった瞬間/汚部屋に住む女・低所得代表」みたいな見出しで週刊誌に載ったほどひどかった。だって一万円くれるっていうから…。 現在はというと、まあ突然の来客は受け入れられない。けど、大好きな人だったら数時間前、それ以下だったら前日くらいまでに言ってもらえればそれなりにできるレベル(押し入れは開けちゃだめよ)まで改善された。たとえばそれまでは手元にある布をかき集めて眠るハムスター並だったのがなんとか人並み以下になったという感じか。 無理やりちょっとイイ話にしてしまうと、あたりまえのことをあたりまえにできなかった人間が、できるようになったからこそ見えてくることもあるわけで。部屋って精神状態に反映するとおもう、ということ。部屋が汚れてくるとどっか調子が悪いとか、なにか無理してるんだと思える。自分の環境を心地よく整える気力がないとか、自分にとって良い環境が見えてこないということは、そういうことなんじゃないかなあと。だからわたしはこのへんをバロメーターにしている。 で、今日は重い腰をあげて掃除にとりかかったんだけど、半分ほどで挫折した。大半が本と洋服とフライヤーが散らばっているだけなので、捨てるかあるべきところに戻すしかないはずなんだけどな。本棚がいよいよ足りなくなってしまったから、いいかげん売るか捨てるかしないとなんだけど、本棚を買い足そうかとかばかなことを考えたりもする。すでに四畳半に180×180の本棚があるのに、さらに設置なんて我ながら狂気の沙汰だ。 そう、部屋の掃除をしていると、本棚に限らずちょっと不満だった部分を改善したくなってついネットショップとか見てしまったり、クリスマスや年末年始はどう過ごそうかなとか、前向きな雑念が溢れてきて集中力が途切れる。 というわけで本棚は言語道断だけど15年ぶりに電源タップ買っちゃった。細かい散財がおおくてまずい。来月は名古屋の大須演芸場に行きたいとおもっているのに。 |
国立演芸場(仲入りから) 滝川鯉津 狸札 笑福亭羽光 親子茶屋 ビックボーイズ 三遊亭遊吉 浮世根問 カンカラ 桂歌春 強情灸 三遊亭とん馬 豊竹屋 桂なん南 長命 ボンボンブラザース 三遊亭遊三 時そば 池袋演芸場 古今亭志ん八 隅田川馬石 元犬 マギー隆司 奇術 林家しん平 なんか池袋の狭い焼肉屋とか上質なタンの話 桂藤兵衛 時そば ひびきわたる(ホンキートンク代演) 五街道雲助 家見舞 お仲入り 蜃気楼龍玉 鰻屋 三遊亭円丈 大須演芸場のまくら、強情灸 林家正楽 紙切り「クリスマス」「スカイツリー」「大須演芸場」「酉の市」 桃月庵白酒 幾代餅 初めて国立演芸場に行ってきた。とにかくきれい。椅子が良い。ばたばたと遅刻して仲入りから。そして終わったら急いで有楽町線で池袋。今席はどれもおもしろそうだったんだけど、行ける日が足りず悩んだ。日が足りないっていうより、休みの日に限って貸し切りだったり目当てが休演だったりで結局昼夜はしご。末廣も行きたかったなー。 池袋について、区切りまで待とうとおもって一服。池袋演芸場は喫煙所のすぐ目の前に楽屋入口があって、たびたび芸人が出入りするのをよく見るのだけど、ほんとに噺家って街で見かけても絶対に気づける自信ない。今日もおっさんが楽屋に入っていくのを数人見届けたけど、気づいたのは席について香盤表広げてからだった。円丈の顔なんか絶対忘れないとおもうんだけど、一致しないんだろうな、脳内で。 今日は時そば二回聴いた。そんな季節なんだよな。飽きっぽいわたくしがほどほどながら一年も寄席通いをしていることに自分でびっくり。紙切りでも「スカイツリーはやっぱり多いなあ」とか「酉の市、去年も見たなあそんな季節だなあ」とか、五街道一門を聞きながら古今亭はいいなあ、そしてやっぱ志ん朝より馬生だなあ、なんてことをえらそうに考えるようになったもんだよなんてことを考えるようになったもんだよ。しみじみ。 国立では「思い出の噺家たち」という資料展示がやっていたのだけれど、北海道の遠征先で馬生の訃報を聞いた志ん朝が「まいったことになったなあ、兄貴に相談しないと…そうか兄貴がいないんだ」と言ったエピソードに涙腺がゆるんだ。そして円丈のまくらで目黒名人会という入った客が皆後悔するという寄席で馬生がトリを取ったとき、無反応な客と静かな語り口が相まって終演に前座が気づかず、馬生自らが追い出し太鼓を叩いたという話。好きだなー馬生。 ところで、仲入り後に斜め前に座った男性にどうも見覚えがある。寄席でよく見る客っていうのはもちろんいるんだけれど、そういう類ではない気がする。誰だっけ誰だっけ、でもさほど親しい人ではないはずだ、うーん……あっあれはそうだあの人だ!……で、あの人の名前なんだっけ?と頭を抱えた。そもそもがそういう人間だから、高座でしかみたことのない噺家を私服姿で見つけるなんてことはそうそうできるわけがないのだ。 たしかカワイさんだったとおもうんだけどなあ。 |
こねえよ!!!!!!!!1 わたしはねー、思考の現実化みたいな自己啓発でよく言うあれが好きじゃないんですよ。 眉唾とかうさんくささだけでなくて、そういう考え方は妄信的というか真っ直ぐが過ぎてバカみたいというか、それもあるけどなんかうまくいえないけど、結果を先にもってきて行動するよりも、もっと手探りで悩んだり迷ったりして気がついたらそこにたどり着いていた、あとから考えるとこれが必然だったのかもしれないね(スピリチュアル的なものも混ぜるとね)と、そういう生き方のほうが断然好ましく感じるんだよね。どこで振り返ってそう感じるかはわからないけれどね。城を構えたときか、子を成したときか、今際の際か。 まあ、ただ単に自分が自分をいちばん信用してないって証拠だし、自分事にしてみれば手探りも悩みも迷いもただ行き当たりばったりで逃げ道ばっかり探してきたし、結果もそのようにその程度にしかついてきていないのが現状だけれども。 そんなわたしにもちょっと目標ができつつある。ほんとに漠然としてるけど。まっとうな社会人ならこの程度の願望なら叶えてる年頃だし。しかしざんねんながら、「ささやかでもしあわせな家庭を作りたい」というものではない。パートナーありきだったり、きちんと現実を見据えて異性と向き合っているならまだしも、顔も見えない誰かといつかどこかで結ばれてしあわせになんてすべてあいまいな途方もないことを目標と据えるにはもう年を取りすぎてしまったな。そもそもそんなことを信じられるほど人間が無邪気にできあがらなかったのかもしれない。 環境のせいとか素地のせいとか嘆いていてもせんなきこと。それは知ってた。ご縁探しに躍起になってばたばた焦るより地味に金貯めるほうが簡単でおだやかなんじゃないのっておもいはじめてる今日このごろ、もっと早くに気づいておけばよかったわ。汚れてもうしろ指さされても、つつましく健気に暮らしていればいつか王子様が迎えに来てくれるっておもっていた頃だってたしかあったからね。 ばかばかしい夢の報いなのかしらとりあえず今日は生き延びた、明日も生きてゆくしかないってことか、ねー。 でもこのサイトはやめない。王子様はこないけど、矢を射って当たれば獲物も狩れし首も獲れるって火の鳥読んで知ってるから。 |
上方から帰ってきてさっそく江戸。 なんか鈴本ひさしぶりだなーとか思いながらボーッと歩いてたら電車も道もまちがえた。そして久しぶりとはいえ一ヶ月とあいてなかった。 11月12日 鈴本演芸場 橘家文蔵13回忌追悼公演 文蔵コレクション 柳家フラワー 道灌 桃月庵白酒 花色木綿 橘家文左衛門 寝床 お仲入り 春風亭百栄 おつとめ(尼寺の怪) 柳家喬太郎 錦木検校 終演後は御徒町で軽く飲み。 後ろの席の男女の会話がいろいろ癇に障った。女のほうが自分は大人なのにアニメ声で小柄で童顔だから仕事に支障がでて嫌だと熱弁していたが、女がその話をするときはコンプレックスと見せかけたアピールであることをわたしは知っている。わたしだけではない、おそらく女は皆知っている。これが世にいう猛禽というジャンルである。 そしてその女だが、アニメ声はともかく小柄でもなければ童顔でもない、ただのスラリとした美人だったので、なおのこと身長こそ低いが中年太りでほうれい線くっきりおばさん(わたくし)と、どこでも男性や外国人に間違えられもはや性別も国籍も飛び越えた存在である友人の怒りに火をつけたのだった。 高いところの物が取れない?チンパンジーだって台と棒つかってバナナとるくらいの知恵はあるんだよ。ばかなことをいってるんじゃないよ。ラッシュでつぶされたり前の席が男で高座が見えないとかはほんと笑い事じゃないが、そんな日常は誰に話すでもなく毎日のなかでストレスとして蓄積されていくだけだ。しかしそんなものでも利用して男にはまるで小動物かのように扱わせ、征服欲や依存心をくすぐるために女は網を張るのである。 とかおもいながら聞き耳を立てている自分の夜明けは遠いなとおもった。 とにかく心根が卑しい。 |
▲
▼
| 1 |