先日より、とあるかたのお手伝いに行くことになりました。 初めはボランティア募集というかたちでそのかたを知ったのですが、ボランティアとはすこし違う気もするので、お手伝いです。 そもそもボランティア、というものにわたしはあまり興味がなかった。 というか、「人の役に立ちたい」「人の助けになりたい」という気持ちが自分の中に少しばかりあったとして、……あったとして、じゃないな。あります。たしかにどこかあるのです。が。 まずそれはただ自己の承認欲求を満たしたいだけなのではないのかしら、と感じていることに嫌悪するのと、これまでわたしはわたし自身が生きることだけで手一杯だと思い込んでいたこと。あとはまあとにかく新しいことを始めることにすごく臆病でとにかく面倒くさがりなので、これまであまり縁のなかった、というか、機会はいくらでもあるけれど、避けて通ってきた世界です。 そのかたは、とある芸事を生業としているかたでした。 いくつかの賞を獲り、真を打ち、これからを期待されている最中だったそうです。再起不能と宣告され、日常生活もままならぬところから奇跡の高座復帰を果たすまで、並々ならぬ苦労があったことは容易に想像できますが、それがどれだけのことなのかは想像を絶します。 プロフィールを知り、彼の抱える障害についてを知り、その厳しさと絶望のなかからどのように這い上がってきたのかを断片的にでも知ったことで、人間の生きようとする力を強く感じ、揺さぶられたのです(こう書くとなんだか安っぽい言葉になってしまって不本意ながらも、うまく言葉で表せないのがほんとうにはがゆいですが)。 だから、自分の中ではボランティア精神とはだいぶちがうのですね。 「このひとだからこそ」という思いです。 先日お会いして、お話しをしているなかでなぜこの世界に入ったのかという質問をしました。すると、 「今だと若いひとがよく“自分探し”なんて言うでしょ、ぼくもそうだったんでしょうね。そのとき、この芸に出会いました」 と話してくれました。 わたしはそれを聞きながら、じつはこれまで小馬鹿にしていた“自分探し”という言葉、この言葉の持つ意味合いがこの一瞬にして変わり、(わたしももっと早くに探しておけばよかったな、見つかるにしろ見つからないにしろ……)などとおもっていました。 が、もしかしたらこれはこれわたしはわたしで、自分という駒を少し動かしたのかもしれないといまは感じています。 お手伝いの内容は、彼のお師匠さんの芸が録音されたカセットテープを、障害のある彼にも、そしてそれ以外のひとが見てもわかるような一覧表にまとめるという作業。 ご本人以外が見てもわかるように。つまり、こちら側からみるとすごく切ないことですが、彼はご自分の最期と、その先へ残すものを見据えているのでした。 わたしは昨年、冗談みたいに立て続けに両親を亡くし、そのとき精一杯の看取りをしたつもりではありましたが、そんなのはわたしがそうおもわないとやっていけないからというだけで、絶対にまだできることがあったのだと後悔することは山ほどあります。そうおもいながらいまだ中途半端にほったらかしていることも。 このお手伝いをその代替にしようなどとはこれっぽっちもないつもりですが、そうしたお話を聞くとやはりそこにはなおのこと自己欺瞞があるような気がしてなりません。それでも、手を挙げずにはいられなかった。 ところで、ヘルパーさんというお仕事は、仕事・芸事に関しての補助はしてくれないということも初めて知りました。 だからわたしなんかはもうそんな「どこそこから派遣されて参りました、規定に添ってお仕事いたします」ではありませんから、なんでも言ってくださいね、それこそ、弟子でもとったつもりで! とはりきって言ったところ、 「もう弟子はとりませんよ。この芸も、もう大衆芸能じゃなくなりましたしね」 と笑いながらおっしゃいました。 古き良き時代というものに想いを馳せ懐古すること、わたしも好きなほうなのですが、そんなのはただの自己満足でしかなくなんの意味も価値も感じません(そもそも“古き良き時代”ということ自体が怪しいとおもってます。本当に“良き時代”だったのか)。 けれど、このときのその言葉は一生忘れないだろうとおもいます。 |
山手線、仕事を終えて乗り込んだわたしが座ろうとする席の隣にはかわいらしいメガネ男子。と、そこにべったりもたれかかる女子。トロンとした目をメガネ男子に向けながら、身体ごと完全に預けちゃってる状態。 わー、わたしもベタベタするのはきらいじゃないほうだけど、さすがに外であそこまではできねえなあ。電車内でああいうのちょいちょい見るけど、盛り上がってんだなあすげえなあ。……いいなあ。 などと思いながら着席。するとどうやら隣席は三人組だったようで、かわいらしいメガネ男子は女子を飛び越えて向こうのこれまたもうひとりのかわいらしいメガネ男子となにやら話をしていた。 わー、ともだちがいてもあんなにべったりなんだ。すげえなあ。……いいなあ。と、おもった瞬間。 とても静かに、そうほんとうに音もなく男子のズボンが濁りのあるワイン色に染まり、半液状のものが床に溜まっていった。慌てる隣のめがね男子ふたり。 「あっやった!」 「うわ、おれ、なーんか生温かいものが伝わってくるなって思ったんだよ~」 「とりあえず次の駅で降ろしましょう」 などと話している。 つまり女子はべつにいちゃいちゃでもたれていたわけではなく、単に泥酔していただけだった。とりあえずかばんをあさってみたら未使用のポケットティッシュがあったので渡す。 しかし止まらない静かな嘔吐。なんでしたら手拭いもありますけど、と声をかけると「いや、もうこれ拭くとかいうレベルじゃないんで、だいじょうぶです」との返答。ですよね。 そうこうしているうちに駅につき、メガネ男子はふたりともズボンをどろどろにして女子を引きずりながら降りていった。 残されたのは吐瀉物とわたくし。 とりあえずまだかばんにあったティッシュを吐瀉物にばさばさとかける。あたりまえだがたいした効果はない。駅につくたび乗ってくる客が驚いたりちいさく悲鳴を上げたり顔をしかめたりして避けてゆく。 あの青年ら、降りた駅で駅員にひと声かけたんかなあ、とそれが気になったのだけど、わたしが降りる駅までまったく駅員が処理に来る様子もなかったので下車駅の改札で、いまの新宿方面行きの3両目ですが先ほど隣のかたが吐いてしまってそのままになっていますといちおう報告。 床ですか?シートもですか?右側ですか?左側ですか?と、けっこうくわしくたずねられたので、へえーっておもった。行けばわかるでしょって話でもないんだなあ。と。 しかし、冗談抜きで右左がよくわかってなくて、教習所でも「右折左折だとよけいに混乱するので指示しないでください」とお願いしたあげく、じゃあ次を右に曲がってねっていわれておもいっきり左折したことのあるわたしなのでちょっとあせったし、右側ですって言ったけど合ってるかどうか自信ない。 酒は飲んでも飲まれるな。 という言葉、まあ飲まれてこそ酒って部分なきにしもあらずなのでべつにどっちでもいいとおもうけど、そうそうほんとに飲み過ぎて吐くときってオエエゲエエっていう派手な音って出ないんだよね~。胃液まで出きってそれでもまだ出そうっていうときは「ガコッ、ガコッ」っていう音がするよねー。 なんてことを思い出したり。 わたしもむかし、ばかみたいにテキーラショットとかやりすぎて帰りの電車でこれは来るぞと懸命に次の駅まで飲み込みながら堪えて、西武新宿線中井駅で飛び降りて、幅わずか1mほどしかないホームのフェンスにつかまって、しかし気持ちだけでもと線路上に身を乗り出して吐いてたら電車が来て危うく命を落としかけたことがあったっけ。そして翌日ホームにおがくずの跡とかみてものすごい罪悪感だった。 酒やめようっておもった。心から。なのにあれから何年経ったのか。 それから、こんな地味な顔立ちのわたくしですが若いころにはキャバクラでバイトなぞしていたこともあり、その日は阪神優勝で大盛り上がりのトラキチが来店し、六甲おろしにあわせて一気飲みして潰れたことがあった。 で、送りの車の後部座席に横になって、ていうかもう送りっていうか搬送されていたのだけれど、嘔吐感に目覚めてしまう。 止めてください、と言おうとした瞬間、耳に飛び込んできたのは運転席の黒服と助手席のホステスの痴話喧嘩。女の子は泣いている。ふたりはわたしがすっかり寝入っているとおもっているのだろう。 わたしは横になったまま自分のバックをこっそりとたぐり寄せてそのなかに、静かに静かにリバースしたのだった。 ああ、このふたりデキてたんだ……とおもいながら。 むかーしむかしの話じゃよ。 でも誰かに介抱されるほどって経験がない(記憶がないだけか?)。人知れずトイレで吐いてまた何事もなかったように席に戻るとか、道っぱたでサッと吐いて「じゃあ行こうか」つってさっさと立ち去るとか、友人と別れてひとりになった瞬間に吐いたりする。 お酒が強いからとかじゃなくて、なんかへんなプライドとか自意識が働いてるんだとおもう。 だから、今日の女子はメガネ男子ふたりに介抱されてたのでちょっとうらやましかった。 ああ、今日はタイトルに「しくじり噺」なんて書いたけど、嘔吐に限定した思い出話をとりとめなく書いただけで、酒の上での失敗なんて山ほどあってもう思い出したくもないよ。あれやあれにくらべたら嘔吐なんてぜんぜんしくじりなんかじゃないよ。でも思い出したくないから思い出話すらできないんだよ。 |
なんか眠るタイミングを逃してしまったので。 ・とことん気分を落とすつもりで、雨戸を閉めきって中島みゆきを聴いてみたらなんかやり過ぎ感あふれてばからしくなったので窓開けて洗濯した。 ・まわる洗濯機を眺めながら、「靴下というものは、本来は対になっているはずがなぜにこうも簡単に別れたり、わたしの元から去っていってしまうのだろうか」とつぶやいたところ、横のキッチンで調理中の同居人に「自由なんだよ」といわれた。 自由、とは、ときとして残酷に響くことばだとおもった。 ・干し終えた瞬間にゴロゴロと雷がきこえた。だいたいいつもこんな感じ。こういう人間。 ・ついでにトイレ掃除。トイレーにはぁ~それはそーれはーきれいなー、とか歌いながらやったけど正直そこしか歌詞知らない。あの歌なんであんな流行っただ? ・ちなみにそんなあれだもんでトイレの神様というものがどういったものかよくわかっておらず、同居人がトイレに入っているときに外から電気をパチパチつけたり消したりして「トイレの神様の祟りじゃあ~」「ひいい」というだけのトイレの神様ごっこが去年だかおととしだか一瞬だけ流行った。 いまやるとふつうに「ふざけんなまじやめて」っていわれる。 ・浅草金曜夜席喬太郎主任、ということでチケット手配が気にかかり、昼の浅い時間にチケット買って夜席だけ観ることは可能ですかと演芸ホールに電話で問い合わせたところ、できますけどあんまり意味ないですよ、とのお返事。昼席終わったころに合わせるのがいちばん席が取りやすいとのこと。そりゃそうか。 お忙しいとこ的確なアドバイスありがとうございました。 わたしも寄席で働きたい。 ・食わず嫌い立川流チャレンジ、今度は談春の明烏。マクラ短め。 お噺を、というよりはキャラ立て重視のような印象。 「(お稲荷様が)どこにあるんだそんなものが」 「なんでもあの、浅草の観音様の裏手にあるんだそうでございます」 「……ある」 というときの間が絶妙でうっかり声出して笑った。 「型」を判断して評価できるほどではとてもじゃないけれど、いままで聴いたものとはだいぶ違った。 ・同居人らで雑なおやつをたべながら半日ごろごろ。 ・特保コーラを飲みながらからあげを食べるという愚行。 自分で買うときはなんかいつも恥ずかしい。たぶん店員に 「こいつあれだ典型的な痩せないひとだ」と思われているとおもう。 あとコンビニでおでん買うときちくわぶばっかり買ってるから たぶん「わぶさん」とかあだ名ついてるとおもう。 おやすみなさい。 |
雨降ってきたね。 わたしはヤフオク評価文体でいうところ 「迅速・丁寧なお取引でたいへん親切かつ誠実な、信頼のおける出品者さま」 からさっそく届いた寄席芸人伝を一気読み… のつもりが、一巻目からまさかのボロ泣き。 ただ寄席芸人の師弟関係、苦労や可笑しさ、はかなさ、 そんなありきたりなものが描かれているだけなのに、 自分でもなんでこんなんで、とおもいながら。 古谷三敏の無駄なくおおげさでもない絵とネーム、コマ運び、 これがおそらく芸事でいう「間」にあたるところなのだろうけど、 そこがきっと自分にハマるのだろうな。 反対に、「このマンガがすごい! 2012年オンナ編 第二位」といわれる昭和元禄落語心中はちょっとどうもいまいちだったです。 なんつーか、BL…。もちろん、直接的なあれではないけれど。 BLはべつにきらいじゃないんですけど、落語マンガだとおもって読んだらBLだったというこのガッカリ感ときたら。 まあ途中まで買っちゃったから完結まで買い続けますけど…。 しかし寄席芸人伝、この調子で全8巻。 とても一気に読める感じじゃないなー。 やっぱ疲れてんだなあ。あたまが。 うまく平衡感覚を保てない。 |
午前中ちょっと病院で血液検査をしたのですが、おじいちゃん先生の奥さまに 「あら、採血のときしっかり見てらっしゃるのね、目をそむけるかたのが多いのよ」 といわれました。だって、せっかくだから。 そして陽気があんまり良かったもので(さすがに暑くて)、閉め切っていた雨戸を半分あけて、ちょっとだけ風を通してみました。 うん悪くない。 でもまた締めようとしたんですが、前にも書いたようにいまどき木の雨戸、しかもうちは完全に傾いているので、そのせいなのか途中で閉まらない! なんでなんで?もしかしてもう閉めるなっていうなんか啓示的なあれ?とかおもいましたがそういうスピリチュアルなのは苦手なので押したり引いたりどついたり。しかしびくともしない。 で、結局よくよく見てみるとなぜかへりのところに飛び出している釘が一本。 もうカッとなって「げんのうでぶつよ!」なんて気になったんですが、そもそも鎹じゃないし。しかもうち玄翁とかないし。ていうかあったとおもってたんだけどみつからなかったし。 うまいこと釘をよけて、無事に雨戸は締まりました。 もうちょっとこうしていたいのよ。 ところで話はがらっと変わり、先日書いた立川流食わず嫌いですが。 志らくさんをyoutube聴いてみました。 立川流ってむずかしそうだしなあ、という気持ちはやはり拭えず、これならとおもって金明竹を選んだのですが…。 安心して聴ける与太郎噺とおもったつもりが、チャップリン曰く「近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である」なんてことがマクラに入る。たしかに、与太郎が家にいること、落語だからお笑いで済みますが、現実で、そして現代では社会問題でもあるでしょう。出生前診断、なんてのもつまりそういうことですよね。 それを踏まえてかふたりのやりとりはやや喧嘩腰のような、のほほんとした与太郎とその失敗に呆れる旦那、という関係だけではないように聴こえました。 なるほどなあ、ほんとうに演者によってこんなにも印象が変わるんだと改めて実感しているところにあれです。えーーーっ!? 中橋の加賀屋佐吉方から参じた「異人さん」!? 上方+英語訛り!? ああ、やられたあ、という気持ちでいっぱいです。 立川流、今後も聴いていこうとおもった次第おります。 やはり食わず嫌いはいけませんね。 |
昨日の日記に書いた内田春菊、読了。 感想文など書きはじめたのだったけれど、男女の性について露骨で生々しく、また男性性に対し批判的な表現もあり、とてもじゃないけど出会い系サイトで異性と関わりをもとうとしている身としてはふさわしくないと考えて全消し。 「今日はお気に入りのカフェでまったり。月刊カドカワという本がナオト・インティライミさん表紙だったのでつい購入、読みふけってしまいました ![]() とかいってラテアートの写真とか載っけてる女子のがモテるんだ。 知ってんだ、そんくらいは。 でも月カドなんてもう軽く20年は買ってないしナオト・インティライミって言ってみたかっただけで実際知らないし。 ていうか月カドの表紙がそのひとで売れてるつーのもいまアマゾンのランキングみて調べたし。 でもだからもうちょっと軽くてたのしい日記にする。 寄席芸人伝、無事落札いたしました! たったいまこんな時間に取引ナビがきたのだけど、 そんな時間でも光の速さで入金。ネットバンクって便利ね。 はよう届いておくれ。 あとはなんだろ、仕事から帰ってきたら同居人がフォークルの「帰ってきたヨッパライ」でポールダンスを踊りたいとか言っててyoutubeで聴いて、そのあと船橋ヘルスセンターの「長生きチョンパ」かけて、「長生きしたけりゃちょとおいでっ」って踊ったあとに「オラは死んじまっただ~」ってつないだら爆笑じゃない? とかいってあそんでいたんだ。 |