午前中に会社の近くの主治医の医院に行き、血液検査の説明を受けた。尿酸値と血液の活性を表すプロトロンビンが上昇していることが問題だと指摘された。 前回の検査ですべての数値が良かったのでワーファリンの量を減らしてもらった。その際普段の水分摂取量を多くするように言われたが、正直言ってこのところ、全く意識しない生活を送っていた。 そして昨年末から1月にかけて宴会が続き、パーティー料理を食べる機会が続いたものだから尿酸値が上がって当然ともいえる。そのなかで、ほとんどアルコールを避けてソフトドリンクで凌いでいたことが救いのようだ。肝臓含む内臓そしてコレステロール値は逆に改善していた。 血液検査は正直だ。普段の生活態度がそのまま数値として表れる。 皆さんも是非、定期的に検査してください。数字は嘘をつかない…? 人生なにが起こるか分からないが、事前に察知できることは手を打っておきたいものだ。 主治医は私に「大変申し訳ないが、薬を増やします。」と言った。 そして私は「先生に謝られる筋ではないことは、良く分かっています。」と答えた。 二人の会話を聞いて、看護師が笑っていた。 だれかが謝ってくれたら救われる。 だが、自分に関する全責任は自分にあることを肝に銘じて、今から節制しようと思う。 |
今日から我が町に、アフリカ人が30名やってきた。会社の近くの大学で歓迎会があり、私も誘われていたが、昨日身内に突然足が動かなくなった人がいたもので、見舞いに行くためキャンセルした。来賓者のなかには、スラムドッグミリオネアの原作者もいたようで残念だ。 アフリカ人達は、中央部の後進国の7か国から選抜された将来自分の国を背負って立つエリート達である。 現在は、世界の生産拠点は、中国、韓国を中心としたアジアであるが、近い将来インドそして、アフリカの後進国へと生産拠点の拡大と消費拡大が起こることを見越しての日本財界のコネクション作りの目論見が見て取れる。 アフリカ人達は昼食に1000円の現金を支給されるそうだが、彼らにとって、それは凄い大金のようで、スーパーで野菜や豆を買って自炊し、ほとんど使わずに現金を持って帰ることになると聞いた。 そんな話を聞くと、いかに自分たちが贅沢に日々過ごしているかと思う。尿酸値が高いなんてとんでもない。明日から、さらに節制し、食べ物に感謝して生きていきたいと思った。 |
今日の昼、仕事の合間を縫って久しぶりにギター教室に行った。3週間ぶりだ。こんなに、間が開いたのは習い始めて1年半で初めてである。実は弾きたかった曲“アルハンブラの思い出”が弾けるようになり、少し緊張の糸が解け練習意欲が低下していた。次の目標曲“カバティーナ”に向かっていく気力が生まれてこなかった。 そんな私の気持ちを悟ってか…、先生は今日たった20分間の手写しによる指導で“アメージング・グレイス”を伝授した。(手写しと言うのは楽譜なしに、抑える指の形と弾く指の形を見せて教えるということ。) 目標を失った生徒が教室を去っていくという現実を良く知っている先生は、私の気持ちがギターから離れないようにカンフル剤を打ったに違いない。 確かに私は楽しくなって、また練習する意欲が湧いてきた。 ギター教師としての先生の懐の深さを感じた。 人になにかを伝えるためには、引出が多いほうがいいに違いない。 何事にも深く入り込まない私は、やはり、他人に何かを教える役目には向いてないと再認識した。 先生の思惑にはまった私は“アメージング・グレイス”を次回のレッスンまでに徹底的に練習するだろう…。 |
私より10才以上若いIT関連の仕事をする優秀な友人がいる。彼とは震災の後に知り合ったからもう17年の付き合いになるだろうか…。 インターネットが情報伝達の手段として一般人に注目を集めるようになったのが、ちょうど震災後だったように思う。震災の前後にITで富を築いた多くの人達が彼からITの将来についての教えを受け、六本木ヒルズに移り住んだ。 彼は、幾つかのIT関係の特許を取得していて、海外を含む世界的な企業と契約しており、いわゆる特許料が自然に口座に入ってくるという生活を送っている。 そんな雲の上のような存在だが、奢ることなくあくまでも普通の人として私の町で生活している。 そんな彼が、つい最近彼のfacebookに自分の好きな言葉として次の言葉を投稿していた。 『立ち止まってしまう人へ。頭で正解を探すのではなく。足でできることを探してみるのがいい。』 忙しくて眠る暇もないと言いつつ、自分の目の前に起こるすべてのことを勢力的にこなしていく彼は、失敗を恐れて足踏みすれば、何も得られないことを良く知っている。成功するためには動きながら答えを求めていくことが大切だということを知っている。 きっと、考えこんでいる人は、大きなものは手に入れられないに違いない。 彼を見ていると、私は馬鹿なのに、彼より考え悩む人生を送っていることに気が付く。 私は、今から彼のような前のめりに歩む人生を生きようとは思わないが、友人として彼がこれからも成長していくことを心から祈りたい。 |
今世界で有名な日本人アーティストが二人いるらしい…、一人は由紀さおりと聞いて驚いた。もう一人はもっと驚いた。その人?の名前は“初音ミク…”。 日本ではすべてのジャンルで男性より女性のほうが世界に通用するみたいだが…、名前だけ聞けばやはり女性の若手歌手かなんかだと思ったら、実は彼女は人間ではないと聞いた。 この当たりのところ、私は知らない人にうまく説明できない。まだよく分かっていない。 小中学生で彼女を知らない人はほとんどいないという事、外国ではお宅っぽい大人?を中心にカリスマ的存在であること、パソコン上のスターであって実在していないということ…その当たりのことは、おぼろげに分かってきた。 数年後に日本の人口が1億人を切ってさらに減少することが予想され、適齢期男性の6割近く、女性の半数がパートナーがいないという現実のなかで、みんな実在しない電影にうつつを抜かしてどうするんだろう? 人間が死ななくなり、子供を作らず、老人ばかりの世界がやってくることは、SFの世界ではなく誰もが想定できる現実だ。 そうすると、歴史的な繰り返しで疫病か、戦争が、大災害が起こるに違いない。 わけの分からん世界がやって来るまでに、私は一足先…幸せのうちに死んでおこうと思った。 |
今の土地に引っ越してきた頃、来る日も来る日も朝の5時半に家を出て、急な丘をのぼる山道を、犬を連れて散歩していた。星が瞬き空気は澄み鳥の囁きもまだ聞こえない…そんな静寂のなか、毎日まっすぐな道の遠くのほうに初老の男性が見え、数分後に“おはようございます”と、互いに一言だけ声を交わしすれ違っていた。そんな朝の一コマが2年ほど続いただろうか…。 ある日、今ではどんなきっかけで道順を変えたか覚えていないが、今のルートに変え、もう5年ほど経った。 先日いつものように散歩に出たら、見知らぬ男性から“お元気だったんですね。”と声をかけられた。よく見ると以前に散歩の途中にすれ違っていたあの初老の男性だった。 懐かしく思った。 言葉を交わさなくても、同じ時間に同じ道を歩く人同士、お互いに共感できる思いが生まれるのだろう。 半年ほど前まで、私が通勤のため車を運転する山道の途中…、すごい勢いで山道を駆け上がってくる老人とすれ違っていた。最近その人の姿を見かけなくなった。お元気なんだろうか…。 またあの人の年齢を感じさせない走りを見てみたい。 お元気でいらっしゃいますように…。 |
今日の正午前に、私を訪ねてきた知人がいて、ランチをいっしょにとることになり会社の近くのレストランに行った。知人と言ったが実は私の叔母で、私のことを自分の子供より頼りにしていると言って、ときたまふらっと表れ、愚痴を聞かされる。 今日は、文化サークル内の仲間のことを話し始めた。叔母には気に食わない女性がいるらしく正義感の強い叔母にすれば、その人の近くにいると、叔母にとって許せない言動や行動が頻繁にあるらしい。先日その彼女と電話で話しをしていて、腹が立ってきて、今までになく心臓がバクバクと音を立て始め、思わず電話をたたき切ったと言う。時間が経っても、その興奮が収まらず、私にそんな気持ちをぶつけにきたようだ。 食事中にだんだん声を荒げてくる叔母に冷静になるように促しながら、私が思ったことを話した。 “話を聞いて、叔母さんにとって腹が立った人の態度や言動のことより、そんなことで心臓の鼓動を高ぶらせている自分をコントロールできなくなった自分自身の問題が大きいと思うよ…。もの事の筋や正義はそれぞれの立場や考え方の違いで、それぞれの形で存在しているわけですよ。納得できないことがあって、腹を立てていたら相手を中心に自分が回ってしまうことになる。世界の宗教問題をみても相手に自分の正義を押し付けたら殺し合いになっちゃうでしょ…。中心を自分に置いて生きるという事は、相手を思い通りに従わせるということではなく、自分の正義で相手を包むということだと思いますよ…。” 叔母がなにを話していたか全く聞くつもりはなかった。叔母のしゃべり方や態度を見て、感じたことだけを伝えた。 叔母は笑顔を取り戻して帰って行った。 叔母は素直な人だと思う。 もう少し大人になってくれたらいいのになぁ…と、後ろ姿を見送りながら思った。 |
昨日の早朝、会社の近くにある文化財指定を受けた異人館が火事になったことを、訪ねてきた叔母の話で知った。私は10年前までその建物に仕事で週に一度は訪ねていたこともあり、内部の隅々まで熟知しており親しみを感じる洋館だった。 昨夕、帰り道に焼け跡の前を通れば、木造火災特有のきなくさい匂いが立ち込め、熱のためにガラスが砕け、かろうじて窓枠だけが残った明かりの漏れることのなくなった外壁が目に入った。 おそらく、数年後に建物は復活するだろう。しかし私は新しい建材を使用して美しく蘇る建物を訪ねることはないだろう。 家の主たちが、生活するなかで傷つけた柱や真鍮の取っ手の傷が私のなかで蘇る。 ふと、私の記憶のなかにのみ存在するものが多くなったと感じた。 これが年をとったという事か… 私の周囲のものが、消えて行き、 私も消えて行く。 私の記憶は、誰かの脳裏に焼きつくだろうか… あなたは、覚えていてくれるだろか… |
私の兄は、単身赴任で北陸にある会社の社長を任じられ5年目をむかえる。それまで上場企業の大阪営業本部長をしていて、関連会社のトップになって出て行ったから、一応サラリーマンとしては順調な道を歩んだと思う。 彼は、私と違い人間関係をうまく築くことのできる人だから、一昔前の営業職の定番のおつとめだった麻雀は一切せずに、ゴルフと酒の接待だけで、他人を蹴落とすこともなく周りから押されて今の地位を築いた。 いや、接待だけが上手かったというのは、彼に失礼に違いない。勿論数字がたち、損得が計算できたからこそ接待が生きたと言わねば怒られる。 彼は、震災直後からメールを使いこなし、予定やメモも携帯に残していた。 私はと言うと、メールを多用するようになったのが5年ほど前…。しかし手帳も常に手放せず、携帯と手帳を併用する期間がしばらくあったが、昨年暮れにスマートフォンに機種変更し、使いこなせないジレンマを乗り越え、最近自分が手帳を身につけなくなったことに気が付いた。 私も、スマートフォンの時代に追いつたと喜ぶべきなのかも知れないが、そのうち何かが欠けていく自分も見えてくる。 そう思うと、もっと本を読んでみたり、筆を購入して書道なんかもしてみようかと思う。 世の中の進化で、自分の一部分が退化していくことへの、ささやかな抵抗を始めてみようか…。 私の兄は、私より4歳年上であるが、さすがに上場企業の戦士である。新しい考え方や、新しいツールを手に入れ、バランスよく使いこなしているようだ。 さすが、私の兄… もうすぐ彼も定年をむかえるが、まだまだ私が見習うべきところが多い兄である。 |