人から嫌われていると思ったことありますか? 今から35年ほど前、企業に勤めて2年目…、後輩ができ上司から彼女へ指導する役目を仰せつかった。 私も一人前に仕事ができるまでには成長していなかったが、それでも1年間の経験を伝えたいと自分なりに誠意をもって接した。ところが、ある日を境に彼女が私に対して壁を作り始めた。特に二人だけになった時には、声をかけても返事が返ってこない。 当時の私は人生経験が少なかったので、自分に問題があるに違いないと悩み苦しんだ。それから2年後私が会社を辞める間際でも彼女の態度は変わらず、結局親しく会話をすることなく私は会社を去った。 それから6年経ったある日、突然彼女から電話あり、私に友達といっしょに会い来たいと言う。数日後私は昼間彼女達をエスコートし、夕方二人を駅で見送った。そして次の日の夜…。彼女から電話があり「どなたか付き合っていますか?」と尋ねられた。その時すでに婚約していた私は、口を開きながら事情を話したことを覚えている。 女性の気持ちは分からないと思った。 今でもなにも分からない。 今朝、朝の散歩に出て、例の小学生の登校を安全誘導しているおじさんの前を通ったら、なんと私に気が付いて歩道を渡ろうとする子供をほったらかして、その場を離れ、私が通り過ぎたとみるや、なにごともなかったように、また誘導し始めた。 おじさんは、明らかに私を避けている。 おじさんは、ひょっとすると私がすきなんだろうか… 私にはおじさんの気持ちが分からない。 私には、他人の気持ちが分からない。 |
私は占いを信じている。と言っても特定の占い師にみてもらっているとか、この人の占いは凄いと言う人がいるわけではない。 単に未来と現在と過去は同時に起こっていると信じているので、占いと言う形、予言と言う形で表すことができると思っている。そして普通の人にはない特別の能力を持った人がいる…と…ただ、そう思っているだけのことである。 そして、そのうえで、占い師に自分の未来をみてもらいたいとは思わない。 この人と結婚して上手くいくかどうか…とか、いつ契約すれば上手く運ぶか…とかという単純な質問で答えられるほど未来は単純ではない。それに上手くいくか、そうでないかは個人の主観であってすべての人にとっての絶対ではない。 私はそう思っている。 そんな私ではあるが、ときたまYahooの占いコーナーの“0学占い”に生年月日を入れてみることがある。 知人に言われて、そこをみてみたら、その占いの0地点(すべてを失うべきとき)の時に、そのようになっていたことを知ったからである。 私は、占いの力を借りずに、窮地を乗り切ったので占いを人生の指針にしたりはしない。 ただ、たまに自分の人生の流れを知るために占いを見てみたくなる。 それは、あくまでも参考に…である。 |
人は生まれた時からの悪人はいないとしたら、いつから悪人になるんだろう。 騙したり、暴力ふるったり、殺したり、盗んだり、奪い取ったり、嘘ついたり… なんでも最初があるんだよね…きっと! 慣れちゃうんだよね…きっと! そして、麻痺しちゃうんだよね…きっと! 死んでしまうか、死ぬような思いをしないと、 普通に戻れないんだ。 だから、そんな最初は、避けないとね…。 最初は、一人だけで考えちゃうんだよね。 自分の近くにいる人に、そんな前兆を感じたら、 そうならないように、一言声をかけてあげたいね。 |
アメリカ人画家で、アンドリュー・ワイエス(1917~2009)という作家がいる。私が彼を知ったのは、十代の後半だった。京都国立近代美術館で日本初の展示会があり、大きなインパクトを受けた。 数年後アメリカ周遊の旅に出た時も各地の美術館で彼の作品を探して歩いたものだ。 私は今、はじめてワイエスの作品に出会った頃の彼の年齢に追いついた。 今日の午後、友人と町の空港のカフェに入った。 2年ほど前に一人でそのカフェでお茶を飲んだことがあったが、その時と同じ席に座ることになった。テーブルの横には背の低い木製の本棚があり、そこには以前と同じ数冊の洋書が置かれており、そのなかの一冊であるワイエスの画集を手に取った。 昨秋、磯江毅の展覧会にいっしょに行った友人は、ワイエスのことを知らなかった。私は磯崎毅も山本二三もワイエスの影響を受けていることを知っている。私は、友人にワイエスと他の作家との違いについて熱弁した。 ワイエスは、描きたいと思う対象を描いている。他の作家は上手いと思われる絵を描いている。 作品に向かう姿勢に、大きな違いがある。 友人に話して聞かせた後で、私自身が改めてワイエスの素晴らしさを感じた。 今晩、家に帰って段ボールのなかに仕舞い込んでいる彼の画集を、引っ張り出そうと思う。 若い時の美的感性が、今でも私の血のなかを流れていた。 それが、私なんだと思った…。 |
今朝、ニュースで“死刑”の文字が目についた。 極悪人をいつまでも税金を使って生かしておくことがもったいない…という考え方は、ある意味合理的で理解できる。また、極刑を課されることの恐怖を植え付けることで同じ犯罪を阻止しようと言う考え方も、ある意味方法としては理解できる。近親者を殺された親族の怒りも理解できる。 犯罪者の死刑を望む人と、私の罰に対する考え方の違いは…、私にとっての最も重い罰は死刑ではなく、自由を奪い社会から隔離して寿命がつきるまで拘束することだと思っていることだ。 殺人という重罪を犯した犯罪者に、人間が作った法律で、自分は手を下さずに合法的に同じ死をもって贖わせわせることの矛盾をとやかく言うつもりはない。 ただ、私にとって罰における死刑は、犯罪者が受け続けるべき苦悩からの短期間での解放であるようにしか思えない。 私は、決して死刑反対論者ではない。 何故、極刑として“死刑”を望むのか理解できないと言っているだけだ。 一生社会から切り離され、絶対に社会に復帰できずに自由を奪われることを越える苦痛は私にはない。 |
17年前の震災の時、私は埋立地に住んでいて、液状化現象が起こる様をつぶさに見た。建物の基礎のある部分とそれ以外の区画との境に70cmの段差が突然生じた。全く知識のない変化を目の前にすると言葉を失った。 私の住んでいた人工島は、当時陸地と島を結ぶライフラインが、一本の橋だけであったから、ダメージを受けた橋の車道の復旧を待って、毎日往復10kmの道のりを20l入りのポリ容器を抱えて行き来した。 橋の下部を通っていた水道パイプが復旧するまでに半年ほどかかっただろうか…。 ライフラインが1本しかないことに不安を感じていたら、5年ほどたって、新たに海底トンネルがつながった。人類の災害に対する改善能力の素晴らしさを感じながら、私は離婚とともに島を離れた。 先日、思い出の詰まった人工島に、新しくできた病院を見学に行った。 その病院は昨年完成した。最新鋭の設備を誇る病院である。主に一階部分には病院の機能上主要な設備はない。無人運転の高架の交通機関からのアクセスを考え2階に診察室、手術室を備えている。 先ほど、ネットで病院の自家発電設備がどこにあるか調べてみた。さすが東北の津波以降にできた病院である。それらの設備も2階に集中していた。 だがしかし、10m以上の津波が襲ってきたらどうなるんだろう。 そう考えると、日本中の海沿いのほとんど全ての医療機関の予備電力はダウンするに違いない。発電機はほとんど、地階か一階に設置してあるだろうから…。 人類の英知は、とうてい自然の力に太刀打ちできない。 考え及ばないことが、たまに起こることがある。 そんな、たまに…が、自分にも起こることがある。 |
ギターを習い始めた時、先生から演奏前に指の動きを慣らすために数分間行う基礎練習を教えられた。同時にそのときに、「これを毎回続けている生徒は二人だけしかおらんけどね。」と言われたが、その時は軽く受け流していた。 そのうちに何曲か弾けるようになり、自分はプロになるつもりはないという思いもあり基礎練習を飛ばして、ギターを持つと直ぐに曲を弾きはじめるようになった。 先日、教室以外の場所で同じ教室の二人の生徒が基礎練習をしっかり行ってから弾き始める姿を見た。先生が言っていた二人の生徒だと思い当たった。 その二人の姿をみて、最近ギターの練習で、以前のように気持ちが深く入ってけない…なにかもやもやとしていたものが吹っ切れるものがあった。 私は誰に聞かせるわけではなくギターが楽しく演奏できたらいいんだと軽く考えていて、自分の演奏能力が増すにつれ、より高いレベルを求めるようになった自分に気が付いていなかったのだ。 さらに良い演奏をするためには、もう一度基本をしっかり練習しなくてはいけない…と思うと、また練習する意欲が湧いてきた。 いつまで経っても大切なのが基本…初心に帰ることが大切だと思った。 バレりーナも、スケート選手も、バイオリニストも、オペラ歌手も一流はみんなそのことを知っている。 先週から曲を弾きはじめる前に、10分間程度の基礎練習をするようにしている。 |
最近朝起きると、起き上がって動き始める時、体全体に軽い痛みを覚える。体が硬くなっていると感じる。若い時にはなかった感覚だ。 死に近づいてくると体が硬直する準備を始めるのだろうか…。 そこで、以前よりストレッチを入念にするようになった。体の筋が伸びきる時に、やはり痛みを感じるが、この痛みは心地良い。そして緊張を緩めると苦痛の余韻のなかで、生きててよかったと言う幸せを実感する。 私の日記を読んでおられる方は、おそらく、まだお若いだろうから、どんな類の幸せかお分かりにならないと思うが、年をとって経験を重ねると、ちょっとした刺激に幸福を感じるようになる。 そして私は、皆がそう感じられる人生を歩むべきだと思う。 私は、ストレッチの後に腹筋、背筋、側筋を首の筋肉を意識して鍛えている。 医学的、理学的に人間の体のことは専門ではないから、正しい考えかどうか分からないが、人間には力や瞬発力の筋肉と同じに普段意識しないけれど、姿勢を維持するために必要な筋力があり、これが衰えると重い頭部を支えられず、背骨が湾曲を始めるイメージを持っている。そのために体幹を鍛えておく必要があると思うのだ。 医学や介護、そして食べ物の進歩のおかげで、長生きするようになった人類が、寝たきりの人生を送らなくてすむように、いつまでも自分の足で移動できる生活を送るために、自分の意志で日々のトレーニングを続けることが大切のように思う。 若いあなたも、今のうちから始めておいた方が懸命だ。 ますます、死ねない世の中になってくるのだから…。 …あなたより少し死に近づいた先輩より… |
他の町のケーキ屋はどうか分からないが、洋菓子の町と言われる私の町では、修行して独立開業する場合、親方の商圏内では商売ができない不文律があり、この掟を破ると仕入れ業者に圧力がかかり食材を回してもらえなくなって営業できなくされることがあるらしい。 数年前にあるケーキ屋に勤めていて国際的な菓子コンクールで金賞をとった職人が独立した時、その場所はまわりに何もない田舎の住宅地の真ん中であった。それでも口コミで客足はどんどんと伸び、オープン前の1時間前から、いつも他府県ナンバーの車が列を作るようになった。 私もどんな様子か実体験したく、噂のロールケーキを買いに行ったことがあったが、平日だと言うのにやはり2時間並ばされ、気の短い私は、数時間並んでまで買うほどの味ではないと実感し、二度と来るものかと思って帰ったものだ。 ただ、ロールケーキ売り場の横に、こじんまりとしたやはりロールケーキ屋のチョコレートショップがあり、誰も客のいない店内に並べられたチョコ―レートは、実に美しく、もとめてみれば味もよく…どうしてここに人が並ばないのか不思議に思ったことを覚えている。 昨年、ロールケーキ屋の主人がフランスのチョコレート菓子コンテストで、初出品で金賞をとった。 今年のバレンタインデーでは、大阪の百貨店でも飛ぶように売れたと聞く。 きっと山のなかの、あの客の気配のなかったショップも今では様変わりしていることだろう。 日本人は、ブランドとか、なんとかコンクールで金賞をとった…とかに、滅法弱い。 主観のない国民だと…服やバッグの世界だけでなく、お菓子の売れ行きをみてもそう思う。 |
20才代の前半に、ロサンゼルスのディズニーランドに行った。アメリカ一周の旅を終え、帰りの飛行機の予約をコンファームし、ほっと一息つき、旅の思い出に憧れの夢の国を訪ねてみようと思ったのだ。 その時、一人旅の私には一緒に行ってくれる知人もなく、もちろん一人でゲートをくぐった。 潜水艦・お化けのキャスパーの館・スペースマウンテン…今でもその時、心臓の高鳴った記憶が鮮明に思い出される。同時にどのアトラクションでも私の隣の席が空いていた寂しさも思い出す。 その時の心の隙間を埋めようと、日本にディズニーランドが出来た時、好きな人といっしょに行きたいと願った私であるが…まだ一度も訪れていない。 先ほど、友人から、ディズニーランドのなかにある大きな地球のモニュメントの前で首をかしげて微笑む友人の姪の写真が送られてきた。 私の年でも、子供の頃に戻って楽しめそうな気がした。 今年こそは、長年の思いを果たしてみようか… さて私の隣の席には誰が座ってくれるだろう… |