今朝、この冬初めて通勤途中の山道が吹雪いていた。周囲の人は「今年は寒い!寒い!」と、つぶやくが、私の家の近くに流れる小川は、川面の表面全体が氷で覆われることはないし、昨年のように何日もせせらぎが途絶えることはない。多くの人は1年前の寒さの記憶を消し去ってしまったように思う。常に、今が一番厳しい時だと思っているようだ。 去年の冬は、手袋と耳当てがないと朝の散歩に出られなかった。今年は一度も手袋をしていない。雪が降って、いたるところで道路が閉鎖され、普段車中45分の帰路に5時間かかった日もあった。 私は、厳しかったこと、辛かったこと、心から楽しかったこと、幸せだと感じたことを記憶に留めていたい。そうすれば、今から起こる人生の波は、忘れてしまう人生より小さなものに感じるだろうから…。 地震の記憶も、津波の記憶も、大切な人と過ごした時間も、大切なものを失った悲しみも、消し去ることなく心の中に育んでいたい。 そのほうが、強く生きていけるから…。 |
昨晩マダムのお店で二か月に一度開かれるワイン会に参加した。相変わらずワインの説明を受けても覚える気持ちがないから、全く頭に入らない。かろうじて記憶に残ったことは、フランス北部のワインは気候が厳しいから渋みがあり、南部のワインは温暖な気候で育つから概してまろやか…ということくらいだろうか。ひょっとすると、このことさへ間違って覚えたかもしれない。 確かなことは、私に高級ワインを飲ませても、もったいないということだ。 マダムの店を早めに出て、今月で店じまいするというバーに行った。人の好いマスタ―が酒を作るこの店はある時期我が町の酒好き(遊び人)のたまり場になっていたのだが、マスター自身が年をとり時代の流れが変わり、徐々にお客の足が遠のいて店を閉めることになったのだろう。 我々以外にお客がいなかったらどうしようと思いつつ扉を開けた瞬間、然に非ず、以前ように熱気ある空間がそこにあった。カウンターにいた先客に席を詰めてもらい、やっとのこと時間がかかって出されたサイドカーを一気に飲み干し席を立てば、忙しくて行き届かなかったと詫びを言いにカウンターから出てきたマスターが、「どうも有難うございました。ここで失礼します…。」と見送ってくれた。 結局、私が店にいる間、この店が閉まるという話はだれの口からも出なかった。変えられないマスターの運命を知って、以前と同じように店でお金を使い、以前と同じように、また来るねと言わんばかりにマスターの顔を見に来た常連客が集っていたのだろう。 マスターもすべての客も、このままが続かないことを良く知っている。確かにこの店が大人の店だったことを思い知って、私は冷たい夜風の吹く石畳の歩道に立った。 |
昨日あるレストランの55周年のパーティ―に参加した。300人以上が参加していただろうか…。老若男女の客といいたいところだが、ほとんどが30才半ばの三代目の社長の知人のようだから、多くの男女が集まっていたには間違いないが老は少なかった。この店がオープンした時私は2歳だったわけだが、そんな私はこの日の客のなかでは年寄の部類に入る。 この店の一族は、我が町の高額納税者であり豊かな家庭である。昔から子供に対する教育も徹底していて、例えばもの心ついた4人の子供たちと両親…合わせて6人のなかから、毎年一人が自分のやりたいことができる家族予算をもっていて、自分の順番になると留学したり、フランスやイタリアの一流ホテルに勤めに出たり、好きなものを買ったりできたそうだ。 そんな環境で大きくなった子供たちは、医者の妻となった長女を除いて全員が事業家として成功している。55年店が続いて300人の顧客を集める底力の理由がまさにそのあたりにある。 偶然にも、前夜、頑張ったけれど店じまいするショットバーのマスターに会いに行った私は、長年にわたる事業継続を可能にするノウハウを子供のうちから叩き込まれた一族の素晴らしさを思わずにはいられなかった。 昨晩、先代の両親はパーティーに出席していなかった。すでに代が変わった証とでも言うように…。 成功し、代々継続するための方法が確かにあるのだろう。そしてその方法を確立した一族のなかでのみ受け継がれるということが、まざまざと理解できた一夜であった。 そんなことを考えながら、年より客の私は、誰よりも早く店を後にした。 |
もうすぐ知人の命日がやってくる。彼は私の元部下であったが、人生経験の深い年上のこともあり誰よりも私の心中を察し、いろいろ教えてもらうことが多かった。 そんな彼が突然私に自分の過去を話はじめたことがあった。 「このことは、家内にしか話したことがないのですが、私は人を殺したことがあります…。」 決して法的な罪に問われることではなかったのだが…。 話はこうだった。学校を卒業した彼は新聞社に就職し、新聞ネタを探して町に出た。百貨店で万引きを見つけ問いただすと、一流企業の重役の父を持つ女子高生で、出来心と察し警察に突き出さずに放免したのだが、その日彼が新聞社に帰ると上席から、なにかネタはないかとせっつかれたもので、万引きの話を記事にしたと言うのだ。 悲劇の報せは、記事が載って間もなく飛び込んできた。彼は女子高生が自殺したことを知った。 彼は、その直後新聞社を辞め、以来全く別の道を歩んだ。女子高生の月命日には必ず墓参りを続けた。しかし、仏壇に手を合わすことは許されず、それでも毎月通い続け、50年経ってやっと誠意が通じ故人の家のなかに入ることを許されたと言うのだ。 彼が故人の仏壇に手を合わせることができて3年後、癌を宣告され、あっという間にこの世を去った。 誰しもが、自分には重い荷を背負っている。その荷をどうして彼が私に晒したのか、その理由はいまだに分からない。 彼が逝って3回目の命日がやってくる。私は、彼の笑顔を思い出しながら、仏壇に供えてもらう花を注文するため、花屋に足を向けた。 やすらかに、眠られんことを…。 |
今日は久しぶりで顧問弁護士のオフィスを訪ねる。以前事業に行き詰った時に助けてもらった弁護士だ。この弁護士に出会う以前に違う弁護士の指導を受けていたのだが、そこで、ある時私の立場を“座して死を待つ身…。”と形容されたもので、藁をも掴む思いで知人に相談し、紹介されたのが今の弁護士である。 今の弁護士はかなり法的にギリギリの際どい手法で私を救ってくれた。なんにでも得意分野があるのだろうが、今の弁護士はそんな一線で戦える人だった。 以来、 “諦めてはいけない。探せばなにか方法がみつかる。”という言葉が私の教訓になった。自分一人で悩んで解決できないことも、自分とは違う経験と知恵の持ち主なら新しい道をみつけてくれるかも知れない。そお信じて生きている。 今日、弁護士の事務所を訪ねるということは、私の周囲に問題が発生しているということだ。だが早めに手を打っているからあまり心配はしていない。問題は早め早めに潰しておくにこしたことはない。 先人は、“坊主と医者と弁護士は親しくしておけ!”と言ったものだが、確かに医者と弁護士の助けを借りて、私は生きながらえている。しかしながら私の父が坊主と大喧嘩して絶縁されたもので、坊主にはあまり縁がない。 これを機会久しぶりに寺を訪ねてみるか…。いや、やっぱり止めておこう。今以上の問題は起こりそうにないし…。 あなたも、普段から自分と同じレベルの友人だけではなく、プロフェッショナルな人と親しく交流されておくことをお勧めする。 あなたの道は必ず開けるだろう…。 |
日本刀に興味があり収集している人は、怪しく光る輝きや焼き入れによってできた文様の美しさに魅せられ、より美しい刀を手に入れようとし、自分のものとなれば毎日取り出してみては手入れをするだろう。 刀に興味のない人が自分の家に、どんなに名の通った刀鍛冶が作った名刀があったとしても、倉庫の奥にしまわれ、錆びさせてしまう。 じつは、私の家にも祖父が手をかけていた刀が数本ある。しかし戦争を体験した父は刀の手入れをせず、従って私にその嗜みを伝えなかった。40年前、私は父に内緒で友人に刀を見せたことがある。私以上に刀剣の見識のない友人は、静止する暇もなく、興味本位で刃先の部分を親指と人差し指でつまんだ。人の脂が錆のもとになると知っていた私は思わず冷や汗をかいたが、手入れの方法を知らない私はそのまま箱のなかにしまいこんだ。 それ以来誰もその刀を見ていない。 今でも刀の錆びが気にかかる。私の人生のなかの忘れられない小さな汚点である。 父が逝って8年が経つ。近いうち取り出して確かめてみたいと思う。 そして、その時に手入れの方法を覚えるか、手放すか考えてみたいと思う。 物は興味のないものが持って手をかけずにいたら、ゴミ同然に違いない。 物を生かすも殺すも、持つ人のものへの思いによって変わるのだろう。 私から離れて行ったものたちが、誰か素敵な人のもとで輝きを取り戻せたと信じたい。 |
昨日私の知人から、就職が決まったと言うメールが届いた。 歯科医の彼女は一昨年の年末で勤めていた医院を止め、昨年1年間を全く働かず…、46才まで独身で一生懸命働いた蓄えを切り崩して、それまで働いてきたことのうっぷんを晴らすように、1年間で海外旅行に4回もでかけるような日々を過ごしていた。もしかしたら私の知るすべのない人生をリセットしたい理由があったのだろうか…。 年の初めに、彼女から今年は仕事に復帰するとの意思を聞かされた。そして1週間ほど前に二つの医院の面接を受け、どちら受からないだろうと言う弱気な発言も聞かされた。 その時私は彼女に「きっとうまくいくよ!」と囁いた。 この言葉は決して気休めのつもりで言ったのではない。私は預言者や占い師ではないから、この度の面接に受かるだろうと言ったのではない。 私は、彼女にこう続けた。 「もし今回受からなくても、最終的にそのことが将来のあなたにとってベターな結果になると思うよ。」 彼女は、一瞬ほっとした表情を見せた。 昨日は、いっぱい運が良いことがあった。 ・車を運転していて、信号がスムースに変わった。 ・家具を買いに行ってレジでの清算時に会員証の提示を求められ、そのおかげで思いもよらぬ10%の割引をしてもらった。 ・氏神様に行って正月に求め損ねた干支の置物を買おうとしたら、宮司から「日頃よくしていただいているから、お金はいらないですよ。」とただで渡された。 ・リクルート中の歯医者から面接に通ったと連絡が入った。 ・会社の帰りにスーパーに寄って鰯を買おうと思い、店に入るなりスタッフに直行で売り場に案内してもらったら、最後の鰯のワンパックを購入することができた。 運が良いことって…気持ちの持ちようで、現象をきっかけに運が良いと思うことだと思う。それなら、経験するいろいろなことに感謝・感激して生きていたいものだ。 よく考えたら、昨日運が悪いと思えることもいっぱいあった。運が悪い事って…気持ちの持ちようで、現象をきっかけに運が悪いと思う事だと思う。それなら、悪いことも未来の自分の人生に必要なことだと思いたいものだ。そうすれば悪いことだと思わなくなるに違いない。 自分の人生で、前向きに楽しい事をいっぱい感じて思って、幸せな人生を手繰り寄せたいと思う。 |
朝の散歩のときにすれ違う写真館のおじさんがいる。彼は毎朝、自分で歩けなくなったゴールデンレドリバーの老犬を手作りの台車に乗せ、公園まで排便をさせに行っていた。昨年秋のある朝から通いなれた道を一人で新聞配達所まで行きスポーツ紙を買って帰る彼の姿を見るようになった。老犬が死んでしまったことを悟った。 私は今の家に越してきて7年になるが、当時は老犬も彼の横を自分の足で散歩していたことを覚えている。昔からこの町に住んでいる古参の住人に聞いてみると、25年近く前から飼われていたと聞く。犬としては、稀に見る長生きだった。 事故にあい歩けなくなったのか老衰のためなのか分からないが台車を押して散歩する彼らの姿はいまだに老いた愛犬へのほのぼのとした労りの光景として私の脳裏に焼き付いている。 今朝新聞を買いに行く彼とすれ違った時…、彼は私の連れている犬をじっとみつめていた。死んでしまった愛犬を思い出していたのだろうか…。 私と共に散歩する今年で17才を迎える、やはり老いたトイプードルを見ながら、写真館のおじさんが、二度と犬を連れ沿って歩くことはないと思った。 私が最後をみとってやれない動物は、これからは自分の責任において、いっしょに過ごす時間を持たないようにしようと思った。 |
昨日の午後に開かれた知り合いのレストランで行われた牡蠣パーティ―に誘われたが、昼間時間をとれず参加できなかったので、シェフに無理やりお願いしてディナータイムに同じものを出してもらった。 日曜日の夜ということもあり、店は私たちの貸切となった。 出された牡蠣は広島の川崎健さんが作るプリプリのブランド牡蠣で、生牡蠣、牡蠣のコキール、牡蠣の燻製、メインはパセリで包み込んだ羊のロースト、そしてデザートは甘いものを止めてチーズに変えてもらった。 私は、以前牡蠣にあたったことがあり、少し臆病なところがあったのだが、この度は牡蠣本来のおいしさを思い知る一夜となった。 もうなにも胃袋に入らない大満足の状態で店を出た。 昨日の幸せの余韻をひしひしと感じていた今日の昼…、主治医から電話が入り、この間採血した検査結果で、ワーファリンの効きが悪くなっているから薬の量を増やすので来院するように言われた。 幸せはいつまでも続かない。辛いこともいつまでも続かない。なにが起こるか分からない。人生何が起こるか分からない なにかが起こる前に明日病院に行こうと思う。薬の量が増えることは痛く残念であるが、もう少し生きていたいから…、油断しないで、できることはやっておこうと思う。 |