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台湾のちょっとした街にいくと、いたる所で金の装飾品を扱った個人商店を見かける。 道路沿いから見るとまるで欧州貴族の部屋のような眩さだ。 最近は少なくなったが首、腕に身につけてる男性をよく見かけたものだ。 疑問に思ったので、雑談ついでに通訳に聞いたことがある。 台湾は近年、中国共産派との内戦に敗北した蒋介石が先住民(多くの部族)がいた島に 落ち延びたのが始まりだ。 この後、日本、中国による植民地状態があり現在へと至っているが、統治国の 一方的な都合で、ある日突然自分の財産(自国通貨、紙幣)が紙くず化したことがあった。 この苦い経験があり物すなわち普遍的に信用価値のある「金」を財産として持つ習慣に なったそうだ。 また中国古来からの装飾品である「玉」(ぎょく、翡翠)を身に着けている。(まれに水晶も。これらの店も比較的見かける。 玉は金よりも高価) 玉は中国の信仰的要素が強く護符としても用いられてきたものだ。 感化されやすい性分もあって、一時期、お手ごろな水晶に凝っていた。(金は高価だし、 良質の玉は驚くほど高い。手も足も声も出ない。) 仕事後に滞在先周辺の街、休日などは台北に足を運んだりして様々なものを見て廻っていた。 (なお中国系はどこも夜が深まるにつれ賑やかさを増す。) 水晶といっても実に色んなものがある。 現地語(北京語ちなみに台湾での中国語の標準語、別途自国語である台湾語があるがこちらはハングルのようで未だに分からない)がまだ、ろくに読めなかったが水晶の本を2,3冊買って読んでいた。 ここで漢字についてだが難解さ(オリジナル)順に台湾、日本、中国となる。これは 国策として広く識字率あげるための現実の結果だ。日本語はまだ古字の原型をとどめているが中国の簡体字などは象形文字のようで何がなんだか分からないぐらい簡略化されている。 一方、台湾は数十画もあるミミズの集合体のような難解な文字が数多い。 (私事だが親が苦労したであろう自分の名前も、台湾に行くとよく見られて、なにか 親近感が湧く) 右にそれたが、水晶は意外とその種類も多く百貨店などでも売っている。 透明な中に金糸(財運)、緑の草(藻のようなもの)が入ったもの、紫水晶、黄水晶、 黒水晶その他ある。 当時、珍しいものを少しずつ買いあさったが管理が悪いので、今はネックレスサイズの紫水晶が残るのみだ。 (収集癖は学生時代まであった。切手、コイン、シールの類) 玉も2、3点ある。一般的に宝石とされる硬玉(ミャンマー産で深緑色。高価)と軟玉(中国産で透明、白色、淡緑色)がある。 あるとき台北のパーツ街をうろうろしてたときだ。道路脇にテーブルを囲んで人だかりができている。覗き込むと玉を出しては売る、引っ込めるを繰り返している。後で知ったのだが業者向けのせりだ。 何気なくじっと眺めていると、そばのおやじ(かなり年配の人)が話しかけてきた。 まだ片言しか話せなかったのでおどおどしていると、日本語が分かるらしい。 冷やかし半分に眺めていたと言うと、何かほしいものがあれば自分が競り落としてやるという。(このころの年配者は日本語教育を受けた人だろう。学校で習ったといっていた。 過去、日本が植民地化した周辺アジアの国々の中で、唯一台湾が親日的だ。 理由の一つに、中国統治時代の圧制のひどさに比べ、鉄道敷設・教育など日本人の律儀さに好感をもったことのようだ。) 競りの品は中国の象徴である龍を彫ったものも多く、龍は嫌いではないので、指差して落札してもらった。聞くとミャンマー産の一枚岩から採れたものだという。爆破して砕いたなど持ち込まれるまでの話をしてくれた。価値の分からない者には少々高かったが、市価では何倍もすると言っていた。(ヒスイ輝石50%以上が宝石扱いされる硬玉だが、買ったのは硬玉のうち安い方のものだろう。 宝石に分類される深緑の小ぶりなものは、目が飛び出そうな値段だった。) 買った品だがよく見ると透明度があり白・薄緑色をしている。長年身に着けていると石の色合いが変化するそうだ。 買った当初は現地人同様、首にぶら下げ生活していた。 ところが元々装飾物を身につけるのが嫌いな上、重かったのでいつの間にか外した。(首の吊り下げ紐が目立つらしく、理由を説明すると嘲笑にあうことも多々あった。) 関係ないが、身に着けるものでは腕時計も煩わしく思う時期もあり、腰に懐中時計を着けだ時期もあった 今は小箱に眠っている。 今日はこのへんで 気が向いたら、次回は食の事情について |
そろそろあのいまいましいスギ花粉が飛ぶ季節だ。(その後ヒノキもあるが) 子供のころは何も反応しなかったが、ここ数年来いつも悩まされる。 高度成長期の見境のない植樹により浮遊量が増えたのが、主な要因だそうだが 抵抗できる許容量を超えた人も多いのではないか。 人並みに世間で効用があるといわれるヨーグルト、てん茶などいろいろ試して見た。 が、どれも効いたか効かないか分からず症状に変化がなかったような気がする。 本当にひどい時は吐いたこともあった。春先はかかりつけの医者で薬をもらうようにして いる。(ステロイド系は副作用が怖いのでもらわないようにしている。) 東大の著名な学者が言っていたそうだが、医者が正確に患者の病気を判定できるのは 生涯の診断数のうちごく数割でかなり低いそうだ。 ということはかなりの誤診もある。 それもそうだろう。 患者からの聴診、器材といった外からの判断では人の内面に 起こってことを窺い知るに限界があるだろう。 もちろん、論理だって正確に分かる こともあるだろうが。 自分は疑い深いというか慎重な面があるので、ちょっとした事以外の不調で医者にかかるときは、必ず大きな病院で3つぐらい診断を受けるようにしている。 大きな病院は患者数に比例して診断数が多くより正確な判断ができることに疑いの念は ないと思われるが、医者も人なので各人各様に見識が異なると思う。 (実体験に子供のころ腰から下に激痛があったときこと。近くの街医者に行くとレントゲンで見ても異常はないし一時的に痛めただけという。我慢できないので離れた大手の医者 に行くと同じような写真を見て明日から入院しなさいという。 所詮、人の判断とはこん なものだ。) 最後に自分を守るのは自分だ。専門的な判断は依存するとしてもそれを評価するのは あくまで本人の責任だ。 疑い深いとは書いたが、何でも物事を鵜呑みにせず冷静に自己責任で判断することを本意 としている。(判断というのは他人の話を参考にする、調べるすなわち広く情報収集した上で自己決定することだ。) 薬は物心ついたときから、医者からの処方有無に関わらず極力飲まないようにしている。 抗生物質は体内に蓄積されるし、副作用がないともが限らない。その上、人の自然治癒力の障害になることもある。 若かりし日はそれでよかったが、年をとるとそう入ってられない。 不測の事態とならないよう、最近はできるだけ飲むように心がけている。 (以前は薬の本で何か調べることもあった。最近は、便利になり医者にしても病気にしても薬にしても簡単にネットで調べられるので助かる。) 抵抗力は若いころにつけないといけないと思い、心身を鍛えることがあった。 関係ないが猛暑の日などエアコンを最低温度まで効かせて布団を掛けず、裸で寝ても なんともなっかた。冬場にはシャツ一枚で毛布などは使わず過ごしていた。 (悲しいかな今現在そうはいかない。) 子供のことは分からないが小さいころからできるだけ薄着、裸で居させると外の環境に対して抵抗力が増すと思う。 花粉症の話に戻ろう。 やはり一番の防御策は「君子危うきに近寄らず」である。 最近流行の機密性の高い マスクはなかなか重宝する。 それでも体に付着した微粒子に対しては完全には防げない。 別の方法がある。花粉のある環境に居ないことだ。一見非現実的で無茶な話だがある。 幸か不幸か数年来、花粉飛散の時期に台湾を往来していた。正確に調べたわけではないが 原因となる花粉自体がない?少ない。 仕事で現地に出かけるとぴたっと症状がなくなる。ビザの都合で2、3日一時帰国すると すぐ症状が再発する。また行くとなくなる。 よってこの時期、国内ではなく台湾にいたいと思うことがある。 それにしてもつい春先は雨を期待してしまう。 |
最近のレンタル事情について 最近、一部で高級外車、ブランド物といった高級品のレンタルが流行っているそうな。 もちろん誰にでも手に入るものではないし、いいもの?に対する憧れはあると思う。 普段触れることものできないもの、ことを体感できる機会も持つ、願望が一時的に 叶えられるのは喜ばしいことだし本人が納得できるのであればそれでよいとは思う。 もちろん贅沢品が売れなくなっている現状では、売り手の戦略的な意図がありありで 人の興味を誘発しているのは否めない。そこにお金を出す買い手もいる。 で、高級ブランドのバックを数日間借りるのもお手ごろで比較的人気だそうだ。 ちょっとしたイベントに携帯して出かける(男の自分には分からない感覚だが)ためとか。 当人の価値観なのでとやかく言えるものではないし充足感があればいいのだと思う。 その中に近くに買い物かなにかで外出する、友達とのお茶会に1、2日借りて持って行く ための需要もあると。さすがに「う~ん」と思った。 実物を一時的に所有したいがため借りたというなら兎も角、見栄、体裁のためだけなのか。 うわべだけを気にして楽しいのだろうか? 返却という現実に戻ったとき空しくないのだろうか? 素朴に疑問が湧いてしまう。 こうゆう自分も自己満足のためこれまでいろんなお金の使い方をし、そこには明確な目的やちょっとした思いがあった。(後で後悔することもあるが) まあ、これもおしゃれの一環と言われれば返す言葉がないが。(余計なお世話なのか) 器が狭いだけなのか、自分には理解できない世界ということなのだろうか。??????? たぶん一生考えても回答は見つからないだろう。 |
もう過ぎたが、確かクリスマスの時期だ。 周知の通り、欧米では年中行事の一大イベントとしてこの時期を楽しむ。 一度、この時期米国の某大手工場に行ったときのことだ。 いつも通り夜も明けぬうち、眠い目をこすりながら現場に行った。 (当時、向こうの作業者は朝5時ぐらいに仕事を始めて昼の早い時間帯に 帰宅していた。このため、渋々これに付き合わなくてはならなかった。 早く仕事を終わらせて後は家庭サービスなど自分の時間を楽しむとの事) 仕事の進捗を確認していると、何か不自然な光景が目に入った。 おや! 時々、横を三輪車に乗ったメールボーイ(社内便集配のおやじ)が通るのだが目を疑ってしまった。 普通に周辺ラインは稼動しているが、赤い頭巾、衣装をまとったのが平然と横を通り過ぎた。 サンタクロースだ。 思わず噴出してしまった。 しばらくすると、今度は三輪車に乗ったトナカイ(被り物が角のようだったので多分そうだろう)が通った。 なんだろう。今日は平日だし、周りは普通に仕事をしている。自分自身、しばらく状況を理解できなかった。 こんな光景に遭遇したことはないし、決して日本では観ることはないだろう。もちろん実害はない?のだが、これが許されるのがアメリカなのかとつくづく思う。 これがユーモアのセンスの深さ・違いだろう。 ある意味ふざけているが、捉え方によっては感心する。 分野、テーマ問わず講演などうまい話というのは必ず、要所にユーモアが盛り込まれているような気がする。 教養といった他、人間性豊かな人ほどこうゆうセンスが長けているし、人を引きつける。見たり聞いたりするとつい感心する。 やはりどんな環境、状況にでもユーモアは大事ではないか。今更ながら思う。 ただ、いたずらにつまらない話(大半が作り話だろう)を並べた、昨今の風潮・娯楽はいただけない。 ○○首相ではないが、「いかがなものか」である。 もちろん楽しむこともあるし、何でもつまらないと否定するわけではないが、流行か何か知らないが幼稚な笑いといったものが最近とくに多いような気がする。 一度「すべらないはなし」なるものをみたが、明らかにうけを狙った作り話の羅列か誇大話のようで、誹謗・中傷の類の話を面白おかしくしているだけだろう。 当方には珍しく米国人が来客としてきた。(製品チェックのため) 仕事柄、当然中身のチェックは厳しいが、合間にその場を和ませるようなジョークが入ってくる。単調さや一方向に固まりがちな流れの中で、ひと時ほっとする。 (自分でも公私問わずちょっとした事を織り込むように心がけているが。突然、変なことを言いだす思ってのだろう。よく周りは笑っているようだ。) 現状の厳しい環境は専門家が至る所で述べているのでここでどうこう言うことはないが、 彼らは金融危機の震源地の真っ只中にいて、少なからず影響はないこともないだろう。 しかし、見ている限り悲痛な面すら感じられない。(勝手にそう思うだけかもしれないが) どこも周りは深刻な状況だが、現状を受け入れそこに適応していけばいいと自分自身は思う。(楽観的すぎるのか?) 彼らの習慣なんだろうが実際に触れてみると、見習いたいと思う次第だ。 |
今日、話題の日本人が二人いた。 そう、村上春樹氏と中川何某。 かたや表彰式、かたや公務で日本から離れた中東、欧州にいた。 同じ日本人としてこうも違うのか。 中川何某。話題に触れるのもばかばかしいが、なんとも情けない。 もともと欧米人と日本人では体格も体質も違う。 向こうはワインはお茶代わりに飲むほどだし、その他の酒も時間、量問わず飲んでいる。まず、アルコールに対する体の分解・処理能力が比べものにならないくらい違う。 (少し飲んだくらいでは日本人のように酔わない。) それにしても何度となく酒席での醜態をさらしていながら、懲りてないのか。 国内では笑い話で済まされるかもしれないが、世界での大事な会議というのに自制心がもてないのか。(学習能力がないのか) 同じ日本人ましてや要職にある政治家なのだから始末に置けない。 体調不良ならば(幻聴、睡魔ならともかく、呂律のまわらない薬剤症状など聞いたことがないが)、その場を欠席すれば良いだけの話しで苦し紛れにしては往生際が悪すぎる。 言葉にならないほどあきれた話だ。 その一方、村上春樹氏は周囲の外圧を押しのけて、決して望まない環境であえて自分の思いを伝えた。 その言動たるや現地で「詩的」と表現されたり、各方面で絶賛されるほどのものだ。 よく見るブログの一つ(内容は非常に専門的で難解。よく著述・著者を鋭く批評し、人を賞賛するのが珍しい。経済学者)に村上氏を次のように書いていた。 「イスラエル人の前でこのようなスピーチを行うことは、受賞を拒否するよりはるかに困難な決断だ。彼の小説はデビュー作が『群像』に載ったときからすべて読んでいるが、このスピーチは彼の最高傑作だ。よくやったよ、君は日本人の誇りだ。」 これが全てを物語っているように思える。 |
一般に中華料理は火を通す料理が基本だ。 炒、焼、炸(揚げる)、煮・・・など調理法が多種だ。 特徴の一つが料理に使うの油の量が兎に角多い。 訪台の当初、特に油物を敬遠していた時期で数ヶ月間はチャーハンばかり食べていた。他の料理と比べ油の量が少なく、海老・牛肉・豚肉(ビーマンと和えてチンジャオロース)・玉子などと日替わりにしていた。もちろん、お冷サービスなどなく甘い飲み物が多いので仕方なくコーラとセットにしていた。後で触れるが備付けのお茶はとても飲めたものではなかった。 まず鍋もの屋が多い。夏冬関係なく、むっとくる暑さでもお構いなしだ。 鍋といっても美味いだし、味付けスープは少なく、お湯か深紅の辛いスープ(麻ら鍋)に具材を入れ、醤油または胡麻味噌の漬け汁に薬味(にんにく、ねぎ、唐辛子など)を加えて食べる簡単なものだ。(ちなみに、鍋物を火鍋という)日本にある焼肉食い放題のような店も多く、バイキング式のところも少なくない。 かわったところでアヒルの鍋(チェーン店多い)、漢方(こちらは薬草など色んな物が入っており健康に良いのだろうが独特のツンと鼻を刺激する味がする)など。 具材は一般に食べられるものは質が悪く決して美味いとはいえない。 未だに受け入れられないのがトマト切身を温かい中にそのまま入れることだ。 その他には鉄板焼き(文字通り、鉄板の上で海鮮、肉、野菜などを焼いた料理)も多い。セットでモヤシ、キャベツなどの炒め物が付いてくるがこちらの方が味付けが良い。 最近は店が減ったような気がする。 あと麺をよく食べる。(どちらかというと米より多いかもしれない。) スープは日本のラーメンのように味にコクはなく、薄い。スープのだしなどあまりとってないような気がする。面の材料は小麦粉だけではなく、米粉、冬粉(春雨のようなもの)もある。 もう一つは炒め麺(焼きそば)だ。当然ソースではなく油の多い中華味だ 誤解はないと思うが、ちゃんぽん、皿うどんはない。(日本独自のもの) 店で出される料理は味がしっかりしているが、一般には薄味で、味気ないものも多い。 スープにしても鳥が入っているだけの味や、生姜だけの味(モヤシだけの簡単な具材のみ)といった具合だ。(辛いものは別として素材の味が中心の簡素なものも多い。) 基本的には料理をしない女性が多い。まわりに惣菜や弁当屋が多くあり、買って済ませることも多いようだ。朝など朝食屋(サンドイッチ、麺、饅頭など)で買う人が多い。当人らに聞くと「買ったほうが安いから」とか「便利だから」とか言う。 料理の調味料としてよく使うのは塩、こしょう他、にんにく、生姜、ブラックペッパー、唐辛子、オイスターソースなどだ。 ほとんどの日本人がだめなもの。 臭豆腐、香菜、烏龍玉子だ。 臭豆腐。とにかく臭い。喩えようがないが、外国人が納豆に持つ印象いやそれ以上かもしれない。食べる以前に匂いで敬遠してしまう。(感じとしてはきつい腐敗臭) 次に香菜。これは野菜の葉っぱのようなもので小切りにして料理の風味付けに使う。これも鼻にツンとくるような独特の刺激臭がある。 烏龍玉子。これは、烏龍茶の一種か?なにか分からないが鼻に刺激のきつい煮汁に玉子を浸けたもので(どのコンビニにもおでんのような感じで置いてある)、店に入ると匂いだけですぐ店を出たくなるほどだ。 欧米化、日本食化の影響か? はたまた、敬遠しがちになったのか? 香菜以外は、以前ほど見なくなった。 甘いものも結構多い。お菓子の類(落花生ベースのシンプルなものなど)、紅茶(ミルクテーをはじめ兎に角、種類が多い)、緑茶など。(マヨネーズまで甘い)お茶の話は別の機会にするとして、ペットボトル入りの緑茶、烏龍茶他には砂糖分含む甘味料入りだ。日本で売られている純粋なお茶は希少で、「無糖」、「日本茶」と明記されてないものは全て甘かった。それでも近年健康志向なのか、逆に「無糖」やヘルシアのような「油」に効果のありそうなお茶が増えた。(油分の多い料理、甘いものなどカロリーが高いものを摂取していたので肥満化が社会問題化している。男性は多い) いろいろと負の面ばかり書いたが、美味しいものも沢山ある。 空心菜といわれる野菜の炒め物だ。どこにでもある単純な炒めものだが、飽きない味でとにかく美味い。知る限り日本人で嫌いな人はなく、台湾人も良く食べる。(日本でも最近栽培されだしたという話もあるようだが) 餃子。日本では焼いたものだが、向こうでは水餃子を指す。よく食べていたので自分は食べ飽きてしまった。焼き餃子もよく見かけるようになった。 小龍包(しょうろんぽう:シャオロンパオ)。どこにでもはないが南部に安くて美味しい店があり良く言っていた。(台北に行けば何でもあるだろうが。)千切り生姜を薬味に酢醤油ベースのたれつけて食べるところが多い。 ピーナツ・鷹の爪・肉の炒めもの、たまご料理、野菜料理その他、まだまだ、たくさんの料理があるが、きりがないのでこのくらいにしておく。 (だだ、サラダなど生ものは注意した方がいい。不衛生なのか、水が悪いのか以前は一撃必殺であたっていた。トイレから離れられなくなる。ホテルの洗面所には歯磨き時のうがい用などのためか?どこも水のペットボトルが置いてある。最近はかなり改善され水質も良くなっていると思う。水道水を飲めるのは知る限り世界の中で日本ぐらいだろう) 中華料理! 調理法のバリエーションは多く一つの具材に複数の料理がある。敷居の高いところでなくてもちょっとした大きな店に行くと調理法をリクエストしたり、聞いてきたりすることがあるので味わったこのない料理を体験できる。 暑い地方なのでやはり辛い料理が多いのも特徴だ。ピリカラではないが、好きな人にはたまらないだろう。 (文章が長いので、「食べ物 その2に次につづく) |
(台湾 食べ物編 その1からのつづき) 言葉について気になったことを思い出した。 よく日本で使うカタカナ中国語を現地の言葉だと思い込まれていることが多いが、外来英語みたいなもので現地では通じない。多々あるので誤解なきよう。因みに焼き飯(炒飯)は「チャーハン」ではなく、「ツァオファン」だ。また、日本に方言があるように中国圏でも方言が多い。(香港は広東語で「ホンコン」で、北京語では「シャンカン」だ。 北京オリンピックのときだった。NHKを代表する男性アナウンサーがさよなら(再見)を「ザイチェン」と言っていた。また、別の日に現地にいる有名な女性アナも同じような発声をしていた。 「ツァイチェン」だ。濁らない。たぶん、ピンイン(はっせいおん)の「zai jian」をローマ字読みしたんだろうが、最初何を言ってるのか分からなかった。 言葉はできるだけ正確に発音しないと相手に伝わらない。特に中国語は同じ文字に対し、発音一つでまるっきり意味が変わる。 現地実況にも関わらず、四声とまでは言わないがアナウンサーともあろうものが挨拶ぐらい正確にできないのかと思った次第だ。 脱線したが、最後に一つ。 1~2年前だったか。仕事の一区切りで客先始めとする関係者の食事会があった。地方の老舗風の専門店だった。最初のうちは食べたことのある定番料理の品々が次々と出された。酒ばかり飲んでいて、料理にあまり手を付けずにいた。酒も入って周りが賑やかになったころ、半透明のスープが出てきた。小皿にとって食べると未体験の味だ。でも、味に深みがある。なんだろう?お代りするほど癖になるようで、まわりも盛り上がっているし「ちょうどいいや」と黙々と食べていた。あまりに美味いのでいつの間にか大鍋の2/3ほど一人で食べてしまった。ちょうどそのとき現地人がきたので何かと尋ねると、「フカヒレ」とのことだった。 さすがに中国三大珍味の一つと言われるだけあって、ひたすら頷きながら変に納得していた。 |
村上春樹氏のエルサレム賞でのスピーチ全訳が下記サイトにあるので一読を。 すばらしい内容だ。 http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php |
酒田市。 「おくりびと」が日本の映画史に残る快挙を残した。 その内容については見てないので分からない。きっといい作品だろう。 雑感ながら、今のご時世、米国を始めナイーブになっており、日本の伝統文化の一つに目新しさもあって共感したといったところだろうか。 日本人が創る日本の純朴さをうたった他の作品も数々あるが。(なお、とある有名な評価所では他作品がダントツだったそうだが。) 今回はその撮影地となった酒田市について かれこれ訪れたのを忘れるくらい前のこと。会社の同僚と談笑(当時社員寮)していた時だ。 夏の連休に岐阜から下北半島までぐるっと一周する同行者を募っていた。 言い出し含め2人いたがガソリン代節減のため、もう一人いないかとのこと。そのうち一人が年上(同期だが大学院卒で3つ上のKさん)だが同郷が近かったよしみもあり、仲良くしていた。 で、いつの間にか一緒にいく羽目になってしまった。 (旅は複数だと、個々の意見を尊重・調整する必要がある。基本は一人で出かける。好きなときに好きなように行動できないような行動の制約があると、旅の醍醐味が半減する。もちろん、多人数での楽しさはあるのだが。) まず富山方面に出て日本海沿いを北上した。 一人は大の酒好き、Kさんは酒好きだがすぐ酔っ払って寝てしまうこの二人が是非、酒田の酒蔵に行きたいと訪れたのが最初だった。 印象はというと漁港をもった日本のどこにでもある平凡な街だ。 そもそも三人の共通点は酒が飲める(自分は日本酒は好まないのだが)、新鮮で美味い海の幸を好むことぐらいだろうか。 酒田に寄ったのはこの単純な理由からだった。着くや否や二人の目的の酒蔵に行こうということになり(半ば連れて行かれた)、市の中心部に現存する唯一の酒造所に行った。 当方の勝手な都合にも関わらず、酒造所の方が懇切に対応頂いた。Kさんは何かと好奇心旺盛な人で根掘り葉掘り質問攻めしていた。 毎年、酒の品評会に出すこと(吟醸酒:米の良いとこ3割のみ使用して製造)、杜氏による手作りメーカとして酒田最後の一軒であること(他メーカは全て機械化に換装)など興味深い話を聞けた。 ちなみに一度、全国品評会で受賞した吟醸酒を頂いたが、日本酒のだめな自分でも水のような感覚で味わえた。良いものは癖がないというが実感した次第だ。 わざわざ宿は海辺近くの民宿を選んだ。やはりこの辺りの日本海の魚は一味違う。かきも広島産とは違い、どちらかというとカナダ産に近いほど大柄だ。 翌朝、漁港市場に行く。新鮮な上、考えられないぐらい安い。入り口付近で保冷庫らしきものがあり、覗くと溢れるほどのシャコ入っている。聞くと横のざる一杯すくって1000円。(記憶が定かでないが300円だったかも)。蒸してもらい即食べる。 先に行くと拳大のホタテ3つの串焼きが、150円。 (なおこの北陸あたりは周辺各地から越前かにの日帰りツアーが多い。生のかに刺身など) 今でも強く印象に残る。 東北地方の特徴か。 独特の訛りとゆったりとしたどこか素朴な話し方は心地よい。 冬の北陸というと豪雪のイメージがあるが、海岸沿いは雪が積もらないらしい。海からのすさまじい強風のためだ。道路沿いにはこの地方独特の防風壁がある。 2度目に山形を訪れたときは寒い時期で、海から少し離れた場所でも突き刺すような風に見舞われたのを思い出す。 なにはともあれ、よいとこだ。 |
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