昨晩、私が子供の頃からお世話になっている老婆を車に乗せて動物病院に行った。彼女の犬(トイプードル)が足を引きずるようになり診てもらいに行ったのだ。思っていた病院ではなく診察室が並びカットやリハビリ施設もある…人間で言うところの総合病院風であった。人間並みの対応である。 レントゲンを見せてもらうと背骨の圧迫骨折で明らかに骨がへしゃげていた。 実は…飼い主の老婆も4年ほど前に、やはり同じ圧迫骨折で手術をした。まったく同じ症状である。 飼い主とその犬が良く似ると言うが、病気まで同じという話はあまり聞いたことがない。 私は、彼女もその犬もどちらも腰のレントゲンを見たけれど、S字に曲がった彼女のほうがやっかいに思えた。 さて人間でも年老いた病人どうしが、いたわり合うことはお互いの負担になると言うけれど、この関係ではどうだろう? 身よりのない老婆の境遇を考えると、どちらか一方が死を迎えると残ったものも影響を受けるような気がする。 どちらも、長生きしてほしいと思った。私の出来ることは手を貸そうと思った。 |
一昨日、息子と久しぶりに会って話をしていたら、一本の電話がかかってきた。ディスプレーを見ると、15年前にお世話になった超能力者からであった。当時息子が小学生だったと思う。家族3人で月に一度はご自宅を訪ねた。 超能力者と言っても予言やらスプーン曲げができる訳ではない。一度も入ったことのない私たちの住まいの間取りを透視したり、突然聞こえてきた得体の知れない鈴の音を電話の向こうから止めてみたり…そのくらいの力は見せてもらった。しかし、それが私たちにとってどれだけの助けであったかは分からない。それよりも最初に話を聞いてもらったあとに、背中にまわって両手をかざし、パワーを入れてくれて‘だいじょうぶや!’と言ってくれることが、有難かった。 その後、超能力者との交流は途絶え10年のブランクがあった。その間一度も訪ねることも話をすることもなかった。3年ほど前にどうしても当時の御礼が言いたくて久しぶりにご自宅を訪ね、それ以来盆暮れにはささやかな品を贈り続けている。 このたび贈った歳暮の御礼の電話がかかってきた時に、そばにいた息子に電話を渡し、話をさせた。息子は、最初びっくりしたが、そのうちに‘あーのおじちゃん’を思い出して懐かしそうに話を続けた。 一度…お世話になった方、助けてもらった方への、父の感謝とお礼の気持ちが息子に伝われば嬉しく思う。 |
今朝早くから、まち造りコンサルタントから電話が入った。今晩行われる会議での私の発表内容を変更したほうが良いとの提案だった。それを受け会議の長である町のゴッドマザーに電話すると、本日の議題が多種多様で、しかもメンバーのなかに感情的になっている人がいて、時間がかかりそうだから、発表を早く切り上げてほしいと告げられた。 せっかく今日から事業のスタートだと思っていたのだが、かなり縮小気味の船出になりそうだ。 その後…ゴッドマザーは、話をややこしく言いふらしている会議のメンバーの愚痴を私にぶちまけた。冷静な彼女にしては珍しいことだ。よほど腹が立っているに違いない。 私は返す言葉が見つからず、‘私には何も言えませんが、今晩の会議ではいつものように冷静に対応してください。’とだけ言っておいた。 心の中では、自分の発表時間が短くなったことと、携帯で話をしている時間が長くなっていくことの方が気がかりだった。 |
息子の車に乗せてもらって、移動中…車内に私の好きな曲がかかっていた。ビル・エバンスのアルバム‘Waltz for Debby’である。思わず音源がラジオかどうか確かめた。それはハードディスクに録音されたものだった。 十代の頃、私はブルーノートのレコードを集めていて、この手の音源は大好きなジャンルだった。しかし、そのことを、いままで息子に話したことは無かった。 私が若かりし頃に聴いていたアルバムを、今息子が聴いているとは、なんという不思議…。 彼に私の集めたレコードを渡す日がくると確信した。 年末ジャンボ?の販売最終日…いつものように半年前に買った…まだ番号を確かめていない宝くじをもって売場に行った。10枚で3,300円返ってきた。そこで私は新たに20枚買って帰った。 結局徳した感はない。宝くじは儲からないようにできている。夢を買うものだと納得する。 |
人の話を、普通の人はどのように聞いているのだろうか?一字一句発せられた言葉の意味を理解し、表情や仕草から裏に隠された本心を見抜こうとし、その人がなにをいいたいか完璧に理解できる人なんてめったにいない。 先日会議に出ていて、ある人の発表で聞いたことがない頭文字のローマ字があって、意味不明だったものだから、会議のあとで出席者10名ほどに尋ねてみた。そうしたら誰からも答えが返らなかった。その場で自分が分かっていないということを知られるのが恥ずかしいという気持ちもあるだろうが、分かっていなくても、私も含めそういう場で質問せずにやり過ごす人が大半に違いない。 サバーンのように経験した全てを記憶できる人なんて極稀にしかいないから、一言二言…言葉の意味が分からなくても、ほとんどの人はなんとなく感じとって都合よく理解するのだろう。 考えてみたら、芸術の評価と同じだと思った。同じ作品を見ても気に入る人、全く興味のない人それぞれだ。私は細かいところを観察しすぎないで、理解しようとする前にたっぷり、ぼんやり…と眺めていられる人になりたいな…。そのほうが全体のバランスや本質がわかるような気がする。 |
誰かのことを思って…心配して…なにかをしてあげている…なんて口に出して言う人がいるけれど、そんな人は得てして、もしもなにか起こると自分の身をかばって、してあげている人のことを簡単に切ってしまうように思う。 いや、むしろ誰もが自分を優先するのだろう。 だから、誰かのことを思って…なんて、他人の前では言わないほうが無難に思う。 |
最近、スマートフォンを触りながら歩いている人をよく見かける。 おそらく、彼らはなんとなく流れに乗って歩いているから、接近してくる自転車には気が付かないし、信号の確認だって自分ではしていないだろう。 周囲の人を信じ切っているというか…油断しているというか…人間も動物なんだから表に出たときくらい自分の安全にもっと神経使うべきなのに…。 このままみんなが触り始めたら、事故が多発するに違いない。そうしたら自動車運転中は電話していけない法律ができたように、歩行中はスマートフォンを見てはいけない…なんていう法律ができるだろうな…冗談じゃなく。 その点、ガラ系携帯は、安全だ。 あとはアイパッドを使いこなすだけ…、私にとっては、なかなか手ごわいツールである。 |
ある町に貧しくも慎ましく生きる若い夫婦がいた。 夫の自慢は父親から譲り受けた懐中時計…しかし鎖が切れて今は持ち歩けない。 妻の自慢は母親譲りの長くしなやかな栗色の髪。 愛する伴侶のためのクリリスマス・プレゼントに…妻は懐中時計の鎖を…夫は妻の髪をすく鼈甲の櫛を買いたかったが、共にお金が無く思案していた。 クリスマスイブの夜…プレゼントした時の妻の喜ぶ顔を思って夫は妻に鼈甲の櫛を渡そうとした。しかし櫛ですくための妻の自慢の髪は短く切られてしまっていた。 妻は、髪の毛を売って買いもとめた時計の鎖を夫に渡そうとした。しかし夫の自慢の懐中時計はすでに人手に渡っていた。 オー・ヘンリーの短編の代表作‘賢者の贈り物’とは、こんな物語だっただろうか? クリスマスイブには、毎年…この物語を思い出す。 |
今日、マダムの店でランチを食べていたら、何度か店で顔を合わせて名前を覚えてしまったマダムと同年代のご婦人が入ってきて、隣のテーブルに座った。そこには、やはり同年代の男性が先に席に着いていて会話が始まった。 別に聞き耳を立てたわけではないけれど、その男性は最近大きな手術をしたらしく、どうやら快気祝いのような再会だと分かった。 病気の話から始まって‘死とは?’なんて話になってきた。若くはない者同士が真剣に死について語り合うのを聞いていると、さすがに重たい空気が流れたが、そのうちお互いに、いい話し相手を紹介して欲しいと言いはじめた。どうやら二人とも伴侶をなくしているらしい。 年をとっていても、男と女の緊張感のある関係は面白い。二人には多少駆け引きがあるように思えた。ひょっとすると二人は仲良くなるかも知れない…と、思いながら店をでた。 死が目前に迫っても、適当に誰かに恋していたいものだと思った。 |