風邪もほぼ全快だ。昨晩3週間ぶりに水泳教室に行った。もちろんその間プールに入ることも一度もなく過ごしたから、バタ足も呼吸法もすっかり忘れていたらどうしよう…と言う不安も少しあったが、レッスンが始まると、そんな心配は無用だったと気が付いた。 むしろ続けて通っていた時より、何と言うか…感じがつかめている。いい感じなのだ。おそらくこの感覚は、先生も他の生徒も分からないと思うのだが、以前どれだけ頑張ってもできなかったことができかけていると感じたのだ。 近いうちに私のクロールは一皮むけそうである。年内にクロールをマスターするという目標だが、あと2回のレッスンで結果を出さなければならない。まさにタイムリミットまで残り僅かとなった。 昨晩は呼吸法のレッスンとして水中で鼻から息を吐き、空中に口が出きった時に“パッー!”と声を出せと言われた。そうしたら自然に必要量の空気を吸い込むことができると言うのだ。しかし周りを見渡しても誰も声をあげていない。私も最初は恥ずかしくて声が出なかったが、思い切って大きな声を出してみた。プール中に響き渡る“パッー!”である。 おそらく、自由に泳いでいる人達は(いや、レッスン中の他の生徒も)苦笑いしていただろう。おまけに他の生徒の指導に気を取られている先生までビクッとしている。 それが、また面白くて余計に“パッー!”を大きくした。羞恥心を忘れた私は呼吸法もほぼマスターできたように思う。 さて、“パッー!”と言うのを、いつ止めればいいだろう。 それとも私が、ずっと言い続けていたら、他の人もみんな叫ぶようになるだろうか? あちこちで“パッー!”“パッー!”と聞こえ出したら、きっとうるさいだろうな…。 照れとか、かっこ悪いとか、恥ずかしい…とかあるけれど、指導を受ける立場になれば、先ずは言われるままに素直に実行するのが得策かも知れない。 |
昨晩、偶然流れていたテレビ番組を観た。妻子に見守られての…心臓の大動脈弁の復旧手術と大動脈瑠切除と人口血管への付け替え手術のドキュメンタリーであった。 番組の途中手術の解説のため映し出されたホース状の人工血管は、おそらく私の体のなかに入っているダクロンと言うポリエステルの繊維とフィラメントと同じものだと思い当たった。ダクロンの耐久年数について主治医に問うたことがあった。ダクロンは人間の血管よりもずっと丈夫だから半永久的に取り換えることはないと説明を受けたが、私が半年ごとにレントゲンや造影剤を使ってのCT検査を行っているのはなんのためだろう?すでに術後7年が経過するが、まだまだ私自身が主治医の思惑で知り得ていない未来があるに違いない。 私と同じ病名で手術した患者が数年後…自分の血管と人口血管の接合部から血液が漏れ、その改善手術を、全国で複数の心臓血管外科の医師を集めた会場を結んで、モデルケースとしてライブオペを行うドキュメンタリー番組がテレビで放映され、その最中に患者が死んでしまうという結末をみた。 いずれにせよ解離がそのまま残っている私は、今でもやっかいな病気を抱えている。 私が救急車で運ばれたあの日…連れて行かれた病院で正しい病名の判定が行われず、私は、家人に心配をかけまいと当日の見舞いを控えるように指示した。そして痛みのために一睡もできない夜を一人個室で過ごしたことを思い出す。10日後退院日を予告された数時間後、大動脈解離と判定され緊急手術が必要だと説明を受けた。最初の病院の主治医が救急車に同乗して転院し、直後に新たな病院の執刀医に説明を受けたことには発症後6時間以内に手術が行われなければ死亡する確率が87.5%だったと説明を受けた。 私は生存確率12.5%を切り抜けて生きている。 誰にも看取られずに死んでいた可能性も限りなく高かったのだろう。 結局私の手術には、家人も立ち会った。昨晩の患者が妻子に見守られ手術を乗り越えた様子を観て、家人の支えの大切さを改めて思う。 私は、生死の瀬戸際をさまよった運の悪い人間だろうか?いや、死の瀬戸際から戻ってこれた幸運な人間だと思って、これからも生きていきたい。 |
「地産地消」とは、「地元で生産されたものを地元で消費する」という意味で言われています。 近年、消費者の農産物に対する安全・安心志向の高まりや生産者の販売の多様化の取組が進む中で、消費者と生産者を結び付ける「地産地消」への期待が高まってきています。 国は、本年3月に地産地消を食料自給率の向上に向け重点的に取り組むべき事項として、「食料・農業・農村基本計画」の中に位置づけて、全国展開等を積極的に推進することとしています。(農林水産省「地産地消推進検討会中間とりまとめ」から) 昨今、我が国の電気産業・IT産業が周囲の外国の攻勢に押されて弱体化してきていると聞くが、農産物と同じで国内製品を我々が率先購入することに勤めることは大切だと思う。 今のところ私が、地産地消に関連して実践していることは、本年年初より月初めに氏神様へ奉献する日本酒は神社の近くの酒屋で買うようになった。価格が安い遠くのディスカウントショップで買うよりも多少高くても地域内でお金を落とそうと思ったのだ。 物の購入動機が価格だけだと言うのは悲しい話だ。勿論安さは大きな魅力ではあるが、地域の発展を頭に置いた購買動機を自分のなかに持っておきたい。 日本国民の半数が、誰からの命令でもなく、自らの意志で地産地消を徹底して実践したら、国内の経済は活性化すると思うのだけれど…どうだろう? これからは、電気製品を買うなら国産にしようと思う。だから国内の電気メーカーさん・IT関連企業さん…安くていいもの作ってくださいね! |
昨日、水泳教室の忘年会に行った。20人近く集まっていたが、先生と同じクラスの4人以外は初めて見る人達だ。仕事関係者がいない会だから気楽と言えばそうなのだが、おそらく私がクラスの一番新参者であるし、でしゃばらないように…目立たたないように…と、様子を伺いながらの参加であった。 それでも、一人が私に趣味はなにかと聞いてきたので“クラシックギターです。”と答えたところから、私に視線が集まりロックボーカリストの水泳のレッスンコーチとコラボを…とかなんとか、酒の席という事もあって無茶な話題が顔を出した。 私は適当に答えていたのだけれど、成行きで…小説家を目指していると、夢の話を持ち出したら、横にいたスキンヘッドの46才の男性が“今日集まった人のなかで、夢に向かって生きている人は、先生とあなただけです。と囁いた。 先生の夢と言えば、ロックボーカリストとして身を立てることだろうが、他人の夢は大変実現が厳しいように思う。しかし私が小説家として認められることは、それほど難しいことだとは思わないのだが…。 世の中“夢”に向かって生きている人は少ないということは分かるが…そんな人には、夢を追いかけてみたら…と、言うしかない。 “私は、楽観的で、自分に甘く、厳しい現実を見ることができていなかったのだ。”…と、言う納得を3年後にしないように、せいぜい精進努力しながら夢を信じて生きていきたい。 |
100才まで生きたいかどうかと問われたら、どう答えよう。 7年前に生死の境をさまよった私は、その後…あまり長くは生きられないものと思って生きていたが、今年になってから70才を越えるくらいまでは生きていられそうに思うようになり、70才で消滅する生命保険の見直しをおこなった。 一時は60才までは絶対に生きられないだろうと思っていたから大きな変化だ。 大病を患って余命○○年なんて宣告された人が、その後の生き方が変わると言う話を聞くが、まさにその通り…私も死を前提に物事を考えるようになっていたものが、数年経った今、もう少し生きていられるように思いが変わってきた。だからと言って100才まで生きていられるとは到底思わない。うまく生きられたとして70才を少し越えたところくらいに思っている。 高齢化社会に向かう現代…寿命が延びて平均寿命が90才を越えて100才に近づくのだろうが、私には別世界の話だ。 私も70才位なら、他人の世話にならずに生きていられるだろう。 その位生きたら、それでいい。それ以上はいい。7年前に術後ICUのなかで、自分ひとりでは何もできない数日を過ごした私は、心からそう…思う。 そんなことを考えつつ、明日なにがおこるか分からないことも肝に銘じて生きている。 |
父が逝ってから早いものでもうすぐ10年が経過する。 私の父は、終戦間際に人間魚雷“回天”の操船訓練を受けていたと聞くが、戦中のことを話したがらなかったから、あまり詳しくは知らない。戦後、親戚一族の面倒をみなければならないこともあり、母と共に自営の道を選んだ。会社に勤めたことのない父は、あまり他人に頭を下げることはなかったように思う。 私が苦境に立たされた時に、特攻の訓練を受けた父が“命まではとられんは…。”と、言った言葉に重みを感じた。 別れの時に、絶対に振り向かないで真っ直ぐ歩き始める姿は、子供ながらに男を感じた。 しかし、癌になりホスピスに入った際…、病室を去る私の後姿を見送っている視線を感じたことは、かえって悲しかった。 もう10年が経過した。 この間に父が経験しなかった多くの経験をし、楽しいこともあったけれど苦難にも遭遇した。 “父の言葉や生き方は、今でも好きだ。” 私も、これからの人生…誰かにそう思われるように生きていきたい。 住職が早めの月命日で家の仏壇に経をあげにきた今日…ふと、思った。 |
朝の散歩時に心の中で真っ先に唱える言葉の一つに、“漏水・雨漏り・水漏れがないように…。”というものがある。三つとも同じようなものだが、敢えて同じことを繰り返すには意味があり…、水に関わることは、大きな問題につながるという教訓があるからだ。 水は、普段気が付かない壁や天井の隙間を縫うように入ってきて災いを引き起こす。全く気配をみせず災いが忍び寄ってくるのだ。そんな経験を何度もした。 問題が起こった時に、すぐには原因がわからない。目の前の対応に追われる。災いが過ぎ去ったように思えても、原因が分からない。 目に見えないところが蝕まれているからだ。見えないところの原因をつきとめるために多くの時間と労力とお金を費やし、結局分からないこともあった。 私は、この水に対する経験を、人間関係にも当てはめて教訓としている。 悪人とは思えないからと言って…友達だからと言って…常識がある人に見えるからと言って…他人を自分の懐深くに入れすぎないようにしたほうが良い。あなたも振り返ってみたら、悪い人に見えない人…友人だと思っている人…裏切りそうにない人が、知らぬ間にあなたを苦しめていたことがなかっただろうか? 水の道は、なにも起こっていない時から徐々に引かれる。目に見える災いが起こるずっと以前から浸食が進み始めている。 水は防備の弱いところを突いてくる。人生に対する甘さを嗅ぎ分け近づいてくる。 平和な関係、幸せなひと時の裏で浸食がはじまっている…その気構えを持って生きていることが、災いが起こった時のダメージを小さくするに違いない。 私は、明日も“漏水・雨漏り・水漏れがないように…。”と唱えるだろ。 |
今月は、ギター教室を休むつもりでいた。 教室は休んでも自宅で、好きな曲だけ思う存分弾いていようと思っていたのだが、今朝起きて朝ごはん前に、ケースから引っ張り出して音を出してみると、とんでもない音が鳴った。調律を試みるがどうもおかしい。 第3弦のペグが空回りしていた。私のギターは、1974年製造のスペイン製だが1昨年から2年間かけて、ギターの先生が自分のギター理論に基づいて改造を加え、勿論ペグの部分も先生お手製のものに交換されている。先生でないと直せない。 このままでは、全く弾けない。気が向く時まで先生の教室の門をくぐることはないと思ったが、ともかく明日教室を訪ねてみようと思う。 これぞ、先生の怨念に違いない。 まだまだ私を放さないというのだろうか? |