私の知人の大学教授がfacebookにコメントを寄せていた。私は“いいね!”をクリックした。100%賛同するわけではないが、日常、武装警備員の警護が必要であったと言う事は、関係者にとっては、この結末は充分想定内だったのだろう。 知人のコメントを紹介させていただきたい。 『勿論、社員は会社の被害者だ、という考え方もありますが、意識していたかどうか、五十歩百歩でしょう。子供じゃないんだから。 アルジェリアの事件の被害者は、所謂「自己責任」です。「自己責任」はだいぶ前に流行った(?)言葉ですが、あの時、国中が彼ら/彼女らを責めました。今回も、いや、今回の方が自己責任だと僕は思います。 奇しくも日揮の部長さんが口を滑らしました。「こことは友好に…」と言った直後に「ここは大きなマーケットだから…」。 そうなんでしょう、まずは「マーケット」なんでしょう。』 この度、地の果てで命を落とされた武器を持たない企業戦士のご冥福と、そのご家族の方々に日常での平穏がはやく訪れることをお祈りいたします。 |
昨日映画を観に行った。最近封切られた話題の洋画が2本ある。一つは“テッド”生きているテディーベアー?の物語。もう一つはブルース・ウィルス主演の“ルーパー”だ。チケット売場では“テッド”のほうが売れ行きが良かったようだが、SF好きでアクション好きの私は“ルーパー”を観ることにした。 面白い映画ではあったが、前評判ほどではなかった。日本の漫画(劇画)の影響を大きく受けていると思われるカットがそこかしこにあり、おそらく原作者は日本のアニメをかなり参考にしているに違いない。 私の子供の頃は日本は物真似上手で、安価でしかもコンパクトに物作りすることだけが取り柄と言われていた。車のデザインにしても欧米車に比べ、なんだか垢抜けなかったけれど、最近ではデザイン力も世界トップクラスだし、アニメの世界を見ても発想力、想像力、展開力は外国の追従を許さない。 そのかわり…昨日の話じゃないけれど、“大鵬”を知らない人が増えて来て、“戦争”や“光化学スモッグ”や“学生運動”や欧米に必死で近づこうと必至で戦った企業戦士のことは忘れ去られつつあるんだろう。 戦争を知らない私が、しんみり言う話じゃーなかったけれど、なんだか私の年になると忘れ去られることに寂しさを感じる。 この世界は、いつの時代でも少しづつ変化していて、若い時にはいつも自分が流れのなかにいると思っているけれど、年をとってふと時代についていけなくなった自分を知る時がやってくる。 日本の旬のアニメ作家の人達も、いつかそう感じる時があるのだろうけど、若いうちは、どんどん自分のいいと思う作品を作り続けてほしいものだ。そうしたら、そんな今の作品を見て育った未来の若い作家が、まったく新しい物語を紡ぐのだろう。 それはそうと“ルーパー”と日本アニメの関係について書かれた評論はまだ目にしない。ひょっとすると私は大きな勘違いをしているのかも知れない。 |
昨日、水泳教室の新年会に行った。年末には忘年会があり、この度新年会もあり、どうやらこのスクール外活動は、生徒のレッスン離れを防ぐ営業活動の一つだと思い当たった。 4月にカリキュラムの再編成があるようで、先生がレッスンの時間帯を引き続き受け持つためには今の生徒数を維持しておきたいのだろう。どんな仕事でもみんな裏での努力が大変なんだ…。 普段私が接点を持つことのない人達ばかりの集まりなので、話題に困ることもあるが、みんな素朴な人達ばかりだから、ある意味…気を使わずに過ごすことができる。考えたら私の周りには結構癖のある人が多いようだ。きっと私もそうなんだろう。 大鵬親方の話題になった。7名中5名が話題の輪に入った。“巨人・大鵬・卵焼き”が通じたのだ。年齢を尋ねてみると私が男性のなかで一番年長で、先生を除く女性は全員私より年上だった。5名の年齢は50才を越えている。30才半ばの先生と47 才の男性は誰の事か分からなかった。ここで年齢ギャップを大きく感じた。この話題が一番盛り上がった。みなさん相対的に静かな方々である。 私は午後9時5分からのクラスに参加している。この時間帯になると、さすがに専業主婦はおらず、みなさん仕事を持っておられるようで、おそらく午後のクラスの生徒に比べたら社会性のある方達だと思う。 いい人達ばかりだから、もうしばらくはこの人達とお付き合いすることになるのだろう。 もう少しクロールが自分のものになるまでは、ロックボーカリストで水泳の先生のもとで頑張らせていただこうと思っている。従って次回飲み会にも参加しようと思う。 |
“この世界に神はいると思うか?”と、問われる。 “おられると思う。”と、答える。 “神とは、この世の創造主のことか?”と、問われる。 “そうだ。”と、答える。 “神は、この世のすべての疑問に答えることができるのか?”と、問われる。 “もちろんだ。この世の全ては神の意志の下にある。”と、答える。 “神は、何故この世に人を放たれた?” “分からない。”と、答える。 “人の営み、経験を神のものとして共に受け入れるためではないのか?”と、問われる。 “分からない。”と、答える。 “神は、あなたになにを望む?”と、問われる。 “私が、いつも神の身元にいると信じる事。”と、答える。 “そう信じることで、どうなる?信じないとどうなる?”と、問われる。 “………………” “信じるものが天国へ行き、信じないものが地獄に堕ちるのか?”と、問われる。 “いやー……………” “神は、あなたの疑問に答えてくれたことがあるのか?”と、問われる。 “言葉としてはない。でも、私の周囲の変化を通して神が道を示されたと感じたことがある。”と、答える。 “神は、あなたの人生のすべてをすでに知っていると思うか?”と、問われる。 “知っていると思う。”と、答える。 “あなたのこれからの人生は、あなたはまだ知らないが、神はすでに知っておられるのだな。”と、問われる。 “そうだ。”と、答える。 “あなたは、神がなにものか知っているのか?”と、問われる。 “何ものか?…何も知らない。”と、答える。 “あなたは、自分がなにものか知っているのか?”と問われる。 “何ものか?…何も知らない。”と、答える。 すると…“私は知っている。”と、話し相手が答えた。 |
一昨日描いた絵を写真に撮って知人数人に見せたら、そのうちの一人が“なにこれ…、ただの庭やん…。”と、言った。恐れていた反応だ。他の人達は適当に話を合わせていたが、思いをはっきり言う知人がいた。 実は、描いた私も同じように思うところがあった。現場を知っている人は、“あー空から見たとこね…。”くらいには思ってくれるかも知れないが、知らない人は“なんやこれ………。”という程度の絵だなと自分でも思っていたのである。 正直にいってくれた知人に感謝しよう。 ちょっと、自信喪失している自分がいる。 でも、これが私の実力なのだろう。 |