パートナーという言葉を辞書で調べてみた。 1.共同で仕事をする相手。相棒。 2.ダンス・スポーツなどで二人組になるときの相手。 3.つれあい。配偶者。 子供の頃に私の家から一本通りを越えた所に住んでいた大地主の男性いた。彼は事業の失敗から6年前に全ての財産を失い、今はつましい生活をしている。 私が、仕事上で悩んでいた時に彼から優秀な弁護士を紹介してもらい、問題を乗り切ったこともあり、6年前に私の会社の代表者をお願いしたことがあった。しかし、近づいてみると仕事の進め方すべてに甘さが目立ち、任せられないと判断し3年前に解任した。 私は彼のことを今でも尊敬しているし好きだから、できる限りの援助を続けている。しかし最近、私の足を引っ張ることが続き、昨日“甘えてもらっては困る。これ以上に助け舟が必要だと言うなら一線を引く…。”と、かなりきつく忠告した。 彼は、“あなたの言い分はよく分かっている。甘えてはいない。固く考えないで…パートナーなんだから、これからもよろしく!”と言って、握手のために手を差し出してきた。勿論私は無視して部屋の外に出た。私の思いが彼には全く通じていないことがよく分かった。 私は、彼から大切なことを学んだ。一つは話の途中で“分かっている!”と言う人は、実は何も分かっていない…という事。もう一つは話の途中で“甘えていない!”と言う人は、自分に対してすこぶる甘い…という事。 彼に教えられた重たい教訓である。 仕事やダンスのパートナーであれば、通じ合わないと思えば、或いは今以上の高みを目指すなら、そう思った瞬間から互いに別の道を歩むことができる。しかし、つれあいや配偶者となれば、それまで培った感情や思い出の蓄積やしがらみが、別離の決断を鈍らせる。 私に課せられた運命は、しがらみを乗り越え、彼と一線を引くことだと肝に銘じる。 その決断は、自分自身を大きくし、彼に自分の本質を知らしめる良い機会になるのだと…自分に言い聞かせる。 |
今年もボジョレーヌーボーが解禁になった。 私はそのワインの存在を30年前に知った。日本中が浮かれていた…後にバブルと言われる時代が始まるまでは、ワインはお金持ちの嗜好品で一般人には馴染のない酒だったように思う。私もなにかの記念日でレストランに行った時にだけ、味を楽しむというより雰囲気を味わう程度に口にした。当時一般的に飲まれていたウィスキーやブランデーやらとは事なり、水で薄めることのない割高の酒だという印象が強かった。 一昔前のボジョレーヌーボーの解禁日と言えば、高級ホテルやレストランで、新しいもの好きの金持達が集まって騒ぐ日だったと記憶している。マダムの店でも当時は樽買いしてレストランの顧客と朝まで酒盛りをしたと聞く。あくまでもワインという特別の酒のなかの、そのまた特別の酒と言う扱いであったように思う。 ところが今年あたり、フランスに畑を持つという大手コンビニが自社ブランドのボジョレーヌーボーを日用雑貨棚の横に陳列していた。猫も杓子も…という表現が適切かどうか分からないが、ボジョレーヌーボーがこれだけ日本で一般化すると…いったい誰が予想したろう? 私は、今年もマダムの店でボジョレーヌーボーを口にした。昨年の味も…、一昨年の味も…、その前の年の味も覚えていない私は、喉元過ぎた瞬間から、色も、香りも、味も抜けて行って、今では何の記憶も残っていない。 味覚・臭覚に優れた人はそんなにいないと思うのだが、私のような雰囲気だけ感じている人が大多数だと思うのだが、そんな素振りは見せずに、全国民がこの季節…えせワイン通になっている。 …なんて私が愚痴ることはない。 今年はブドウに病気が蔓延して、悪いところを丹念に取って、そのうえで収穫時機を遅くしたワイナリーのワインだけがおいしいらしいよ…なんて…マダムの話を受け売りしている私がいるのだから…。 私も典型的日本人の一人に違いない。 自分だけがワインの味が分からない…と言う話で止めておいたほうが良さそうだ。 来年も同じことを言いながら、ワイン会に参加している自分が見えた。 |
昨晩、晩飯を食べ終えメールのチェックでパソコンの前にいた時、電話がかかってきた。懐かしい声である。最後に出会ったのが震災の前…私がまだ家族3人の家庭を持っていた頃だ。もう20年近く前になるのだろうか。 8年前に逝った父の友人で、フランスに永住し北アフリカとユーロ圏の総師範を務めた偉大な空手家の次女からの電話であった。今夏…日本に住む彼女の姉が、私の父の墓前に手を合わせたいと言って訪ねてきた折、偉大な空手家の死と、フランスで共に生活する母親と妹の便りは聞いていた。その妹からの国際電話であった。 物心つく前からフランスで生活した彼女がフランスの学校を卒業し、日本で就職することを希望し、東京にある某フランス企業の日本法人で研修期間を終えた時、自信があったにも関わらず不採用との通告をフランス人社長から言い渡され、あまりにもショックが大きく、日本で知人のいない彼女は東京を離れ関西の私の家に転がり込んだ。1ヶ月弱の間、共に生活したことを今でも覚えている。 姉から聞いた話によると、その後一旦フランスに戻ったものの、フランスでも就職難のため、数年後に再度日本での就職を試みたがうまくいかず、空手家の父の秘書として再出発しようとした矢先に、偉大なる父が亡くなり、結婚しなかった彼女は今でも母親と共にパリで細々と生活していると聞いた。 日本で同い年の友人のいない彼女は、ハートが全くのフランス人である。当時心からフランスという国を誇りに思っていた。見た目が日本人でハートがフランス人の彼女は、日本では気の強い変わった日本人として映るようで、日本での生活には障害が多いと心当たった。 さて、この度は仕事で関西に足を延ばすから久しぶりに私に会いたいとのことであった。良い仕事が見つかったのだろうか?そうあってほしいと心から願う。来月出会うのが楽しみである。 私も、彼女の母上様にお会いしに、パリに行ってみようかしら…、考えれば35年間お会いしていない。 時の流れの速さを…ふと思った。 |
私の父も、その兄も膵臓癌を患った。母の妹も同じく膵臓癌で逝った。所謂癌になる確率の高い家系であると考える私は、日頃の生活では煙草は吸わないし、食事を含め健康全般に気を使っている。そして癌保険でも備えていて、癌と診断された時点で100万円を受け取れ、入院日額3万円、さらに先進医療費用無制限の保険に入っている。 保険内容を手厚くすることはお守りみたいなもので、そんな人ほど長生きするとの話も聞くが、それは保険屋さんのセールストークで…、やはり自分は癌にかかる確率が非常に高いと肝に銘じる。 今朝、いつものように車のなかでラジオを聞いていると、毎朝聞いている番組の水曜日のアシスタントが17日に急逝したとパーソナリティーが神妙な声で語った。一瞬自分の耳を疑った。先週の水曜日には彼女は番組に出ていたし(確かに少し呂律が回っていないようにも思えたが…)、番組を続けて聞いていくと彼女の死に至る様子が語られた。番組の翌日、木曜日に便秘がひどく検査に行くと、肝臓に転移した癌が大きくなり機能しなくなってしまい、その場で入院となり、金曜日から声が出なくなり大きく衰弱し、土曜日に死亡したという様子が説明された。私より若い53才だった。 その後番組では、彼女が生前のラジオ番組でしゃべった声を放送した。ちょうど1年前、同じ番組のなかで、彼女は涙ぐみながら乳癌が肝臓に転移したことを告げ、乳がんの発見が遅れ転移したことを悔やみ、自分と同じ思いをしないようにと、リスナーに乳癌のマーモグラフィー検診を受けるように…早期発見を切実に訴えていた。 私も今、若くして逝った彼女の思いを継いで、あなたに伝えたい。 早期発見の芽を自ら摘まないでください。癌健診を受けてください。 一瞬にして人は死んでしまう。そう考えると保険なんてかけていても役に立たないかも知れないが、今自分にできることは、すべてやっておきたいものである。 彼女のご冥福を祈りたい。 |
マダムの店は一人で取り仕切れる小さなスペースで…12名しか入れない。 マダムは毎年この時期にボジョレーヌーボーのワイン会を催しているのだが、その時には40名近くの顧客がやってくるものだから、場所を私の管理するホールに移して行うことが慣例化されてきた。 今年も、来週の火曜日にホールの予約が入っていたが、5日ほど前にキャンセルしてもいいかとマダムが言ってきた。どうやら、人数が思うように集まらなかったようで、バッフェ料理を頼んでいるフレンチの店に場所を移して開催したいとの意向であった。ワイン会の日程は、いつも料理を依頼するフレンチの店が平常営業に差支えずに作れるようにと…定休の火曜日に設定していたから、店を使わせてもらえることになったようである。もちろん私は、快くキャンセルを了解した。 マダムの店の顧客は、大学教授や企業幹部、役人等社会的地位の高い人が多いようだが、みな年寄だ。フレンチの店を廃業する理由の一つに…顧客の高年齢化があったと思う。今のスタイルでイベント的な催しには参加してきた顧客も、この度のワイン会で店場離れしてきたに違いない。 マダムは、来年はボジョレーヌーボーとは関係なく、忘年会とぶつからない10月頃に日程を変更すると言っていた。顧客の不参加の理由が他の会とぶつかっているから…と言う理由が多かったのだろうと推測されるが、それだけではないだろう。 根本的に新たな顧客の獲得が急務だと思う。70才前のマダムの年齢から考えれば難しい話のようだが、今回のワイン会の参加者の17名は今の場所に移ってからの顧客である。マダムの人柄は若い人にも受け入れられると思う。マダムなら新たな顧客を増やしていけるだろう。 力のない私ではあるが、これからもマダムを応援していきたい。 ボジョレーヌーボーの会だからではなく、マダムに魅かれて参加する私は…そう思う。 |
昨年の7月に、車で追突事故を起こした。 その日は…、雨が降っていて通勤路に曲がりくねった山道を通ることを避け、幾分運転しやすいトンネルを抜ける近道を通ることにした。トンネルを抜け直線の急なくだり坂から大きなカーブに差し掛かる直前に、反対車線に車線減少のための三角コーンを見つけ、事故があったと予感して現場を見ようと脇見した直後に前方の渋滞に気付くのが遅れ、前の車に突っ込んだのだ。 今朝も、雨が降っていたので、カーブが続く山道を避けトンネルを抜ける道を選んだ。 トンネルを抜け、谷をまたぐ大きな橋を渡り…この道唯一の信号に先頭で停車した。青に変わった瞬間…後ろにいたオートバイが私の車を追い越していった。私は追いかけることもなく自分のペースを守って運転した。オートバイが30 m前方の急カーブに差し掛かかった時…、一番アールのきついところで、後部車輪がかすかにふらつき、その後一旦持ち直したかに見えたが、直後に車体が左右にくねるように大きく揺れ、運転者は道路の中央に放り出されるように転倒した。間一髪で対向車輛との接触を逃れるところを目撃した。 私は数メートル手前で停車し、冷静に一部始終を目撃した。 幸い運転者は、けがもなくすぐにオートバイを起こして走り出した。 雨だからと言って安全な道を選んだとしても、事故や災難は避けられないのかも知れない。ただ、私は昨年の事故の経験から追い抜かれても冷静さを保つようになった。これが学習の成果というものだろうか…? もしもオートバイを追いかけていたら、私は新聞の三面記事に載っていたかもしれない。 これからも安全運転を心がけようと思った。 |
一昨日、近くのホテルの営業のチーフマネージャーと話をする機会があり、最近の町の動きについて情報交換をしたり、ホテル業界の裏話を教えてもらったりして、ひと時を過ごした。 彼は、身長185cm位あり最初立って話している時には威圧感があった。しかし座って話し始めると営業特有の柔和な笑顔で話しやすい。卒業校を聞いて合点がいった。日大アメリカンフットボール部…フェニックスのOBだった。今でも東京出張があれば部室を訪ねるというから、現役時代にはさぞ優秀な選手だったと推測された。 彼は、着なれたスーツ姿からごく普通のサラリーマンに見える。頭が少し薄くなって目尻に皺が刻まれているものだから、てっきり私より年上だと思って話をしていたら、逆に4歳若い…と話の流れで分かり…驚いた。結局、その場では自分の年齢を言うことなく話を終えた。 考えれば、私の年齢と言えば定年まじかである。営業の第一線で私より年下の人はあまりいないことに心当たった。 しかし、私には目尻に皺はないし、目立つ豊齢線もないし、髪の毛も白いものが混ざっていない。日々のアンチエイジングの成果だと思って、密かに自分では40歳なかばくらいに思っているのだが…。同席していた知人に“ホテルの営業の人が、てっきり私より年上だと思った。”と、もらしたら…。“いやーそんなことはありませんよ。やっぱりあなたの方が年上に見えますよ。”と、一括された。 知人は、年齢とは関係なく私の方が落ち着きがあるよ…と、言ってくれたのかも知れないけれど、結構ショックを受けた。 他人の目は、それほど甘くないと肝に銘じよう。 いかに自分に甘く生きているものか…と、思い知ろう。 これからは、自分が年相応だと思って、生きていこう。 それにしても…若くありたいものだ。 こんなことで悩んでいるなんて…えらい年齢になったものだ。 |
今朝銀行に行ったら、いつも感じいいな…と、思って見ていた窓口の女子行員が、やけにそっけない態度だった。なにがあったのか…、面白くないことがあったのか…、今日はやる気が起こらないのか…、今日は彼女の本質が現れたのか…、なんだかがっかりした。でも、客にそう思われるってのは…彼女にはプロ意識が足らない。 昨晩スイミングスクールに行ったら、レッスンのはじまる前にあまり話したことのない生徒の一人から突然、“ライブ行きませんか?”と言われ、“なんのライブですか?”と聞いたら、“先生ですよ。このレッスンの…、彼女はボーカルやっていて、今月末にライブハウスでソロライブやるので、みんな行くんですけど…。”と言われた。私は日時を聞いて参加すると答えた。 水泳の先生は、いつも水着でスッピンなもので、ロックのボーカルをやっているとは思いもよらなかった。家で検索してみたら、個人のH.P.もあるし、ツイッターも結構更新していて立派なロックミュージシャンだと分かった。そう言えば…しゃがれ声だし…、あれでシャウトしたら結構雰囲気いいかもしれん。 先生は、レッスンしながら、おじさんやおばさんのファンを沢山獲得しているようだ。 私は、化粧の濃い人は、その人の本質が隠されてしまうように思って苦手なのだが、スッピンで付き合い始めるというのも、本質を分からなくしてしまうことがあるものだと思った。 他人の本質って…なんだろう? 私だって、面白くない時は顔に出てるしなー。私も自分の本質は、いつも隠してるしなー。他人の本質なんて簡単に分からんしなー。自分の本質と言われても良く分からんしなー。 そんなことを考えていると、女子銀行員が無愛想だったことも、少し許せるように思えた。 |