昨年4月に、小学校4年生の時の担任の先生の80才を祝う会があった。久しぶりに出会った同級生の半数以上は私の記憶から消えており、話をするうちに思い出す人もいたが、会が終わってからも思い出せない人も数人いた。 私の記憶から忘れ去られた同級生の一人から、“クラスの課外授業で耐寒登山した時に、町を見下ろす高台で、私に向かって雪を投げていたら、他の生徒と違うことをしている二人が担任先生の目にとまり、みんなの目の前で二人ともビンタをくらった。あの時は巻き添えにして悪かった。”と、告白された。でも、その時の記憶は蘇らなかった。 でもそれが真実だとしたら、それが体罰だったのだろう。そう言えばその時の担任の先生は悪い事をした生徒を、よく叩いていて、生徒から恐れられていたように思う。しかし卒業以来45年経って初めて行われた先生を囲む会ではクラスの半数以上が集い、先生が生徒から慕われた存在であったことが証明された。 校内や家庭での体罰はよくないことである。この考え方は分かる。分かるのだが…クラブ活動という強制ではなく自分の意志で参加する場で、体罰の規制云々の前に、いやなら辞めると言う生徒の意思が尊重され、辞めるという生徒の意思を指導者は文句なく受け入れるというシステムが作れていなかったことの方に問題があるように思えてならない。家庭でも学校でも子供が命を絶つという結論を出す前に、一旦ギブアップした人に対して再び起き上がることを支援するシステムや環境が必要に思えてならない。 私は、決して体罰賛成を唱えているのではない。度が過ぎた体罰は暴力以外のなにものでもないことは分かっている。 そのことはご理解いただきたい。 |
長らく私のホールで週に1回コーラスの練習をしていたグループの代表がやってきて、来月から先生の都合で他の会場に練習場を変えると言った。 “私たちはこの会場を使わせてもらえたから、ここまでやってこれました。有難うございます。”と深々と頭を下げられた。寂しくもあるが、その態度、気持ちは嬉しかった。 7年間のお付き合いであった。このグループは町のコンクールで上位入賞するまでに成長した。 私は“町で会ったら、挨拶してくださいね。”と言った。 ビジネス上だけの関係ではない、人として心の通じ合う関係の仕事がしていたい。 これからも、離れていくグループの成長を祈りたい。 ありがとうございました。 |
“気”の意味を調べてみた。 1.生命・意識・心などの状態や働き。 2.天地に生じる自然現象。空気・大気や、水蒸気などの気体。 3.あたりに漂う雰囲気。心に感じる周囲のようす。 4.ある物がもっている特有の香りや風味。 5.昔、中国で1年を24分した一つの、15日間。さらに3分した一つを候といい、気は3候からなる。 “気”という言葉の意味は状態・現象・雰囲気・ようす・香りや風味・暦?候… もやーっと、しているものだな。 誰もが同じように、目に見えているものではなさそうだし、数値化しにくいものだろう。 最近“景気”という言葉をよく耳にするが、やはり…もやーっとしているものだろう。 景気なんて、すべての人が同じように感じるものではないに違いない。 景気が悪いと言われる世の中でも、儲けている人はいるだろうし、景気が悪いから儲かる人もいるのだろう。 世の中一般的な景気と個人で感じる景気は違うんだ。 景気が悪い世の中でも、自分は景気よく生きていたいものだね。 少なくとも、そう思って生きていたい。 明るい気持ちをもっていたいね。 自分の気持ち次第で、周囲を変えることもできるような気がする…。 そして、それが自分に戻ってくるんだ。 |
先月ギター教室を休んだ。その間ギターを弾かなかったわけではない。弾きたい曲は毎日弾いていた。 先生が私に新しく教えようとするバッハの曲が私の練習意欲をそそらず、私にも新しく弾きたいから教えてくださいと言う曲がみつからないのだ。 以前はレッスンよりも先生との会話が楽しくてレッスン室に入る楽しみもあったけれど、先生の話す内容も奥行が見えだしたし、私も先生に伝えたい話題がなくなってきた。先月、1か月間休むことは先生に伝えたが、今年になっても教室に行こうというモチベーションが上がらない。さてどうしようかと思っていたら、年初から、またペグが空回りし始めた。先生にしか直せないから先週の土曜日に先生の家を訪ねた。昨晩修理の完了したギターをいただきに行ったら…オーストラリアから娘さんが親子で里帰りしており、初めて青い目をしたお孫さんをみかけた。孫といっしょに過ごす時間を大切にするために今週の土曜日までレッスンを休みにしているようだ。まだレッスンがないと分かり、ホッとする自分がいた。 さて、土曜日にレッスンに行こうか?…もう少し先にしようか?…まだ悩んでいる。 先生にギターの修理代金を尋ねた。先生は“1億円”と言った。私は“木の葉に変わる小切手でもいいですか?”と、答えた。 なんだか会話に冴えがない。 新婚気分が抜けてきた夫婦関係のようだ。さてこれからが先生との深いお付き合いのスタートだと肝に銘じよう。 まだ、離婚は考えていない。 |
自分が誰かを傷つけたことがあるか考えてみた。 そうすると…数人…心当たりがあった。 自分では普段は正直に、そして他人を傷つけずに生きているつもりだが、私と接触することでマイナス面の影響を受ける人が必ずいると思っていい。波は左右にできるものだから…。 他人のことを考えないで好き勝手に生きている人は、きっと自分のことだけ考えて、他人が傷つくことなんか考えていないに違いない。 私は、人が他人を傷つけながら生きていることを、これからちゃんと自覚していよう。これからは、そう思って生きよう。 今日から、相手を叩き潰さない程度に意識して他人に刺激を与えていこう。 人は刺激を受けて成長していくのだから…。 心を広く持つ…っていうのはそういうことだと思うんだけどね。 |
毎年12月に私の会場で、毎回違うゲストとともにクラッシクからポップスまで幅広いジャンルの歌を披露し、100人ほどの聴衆を集める女性歌手がいた。いつもなら半年前の7月くらいに予約が入るところなのだが昨年は連絡がなかったので、きっともっと大きな会場に移っていったのだろうと勝手に考え、少し寂しく思っていた。 今年届いた年賀状のなかに、見覚えのない苗字があった。よくみてみると彼女の名前をみつけ、ご主人の姓(これまでは旧姓も書かれていた)だと分かった。手書きで“また、お世話になると思うのでよろしくお願いします。”と書かれており、会場の浮気ではなく、きっとお子さんが生まれて手が離せなかったのだろうと想像した。次回はきっと赤ちゃん連れでコンサートを開いてくれるに違いない…などと勝手に推測をして、しばし葉書を見つめた。 IT時代が到来し、年々年賀状の数が減っていると言われるが、逆に年賀状の良さを認めている人がいるから一気になくならないのかも知れない。 時代に反して、手から手に思いを運ぶ手紙や葉書を、これからもっと有効に使っていきたいものだ。そうすることがシュッとしてると言われる年齢に、私が到達したように思う。 |
今から30年前…私が若かった頃、スペインを旅していた時、マドリードからバルセロナに向かう夜行列車のコンパートメントの客室で、一人のスペイ人の若い男性と同室になった。彼はスペイン語とフランス語とイタリア語を話した。私は日本語と片言の英語しかしゃべれないものだから二人の会話には少し無理があった。それでも話のなかにでてくる単語や互いの表情をみながらコミュニケーションをとろうとお互いが向き合った。 彼は“なにをしにスペインに来た?”と、聞いてきた。私は“観光”と、答えた。 “どこへ行った?”と、聞いてきた。私は“アルハンブラ宮殿とプラド美術館。”と、答えた。 “ゴヤの絵を観たか?”と、聞いてきた。私は“裸のマハと着衣のマハも観た。”と、答えた。 “ゴヤはスペイン民衆の英雄だ。それを知っているか?”と、彼は言った。私は、何も言えなかった。 “ゴヤは圧政に苦しむ民衆の気持ちを代弁した絵を描いた勇敢な作家なのだ。”と、彼は言った。私は何も答えられなかった。 “スペインのことを何も知ろうとしないで観光とはいいご身分だね!”と、彼は鼻で笑った。 私はこの時の会話を今でも鮮明に覚えている。言葉の通じない者同士の会話だが、内容に大きな間違いはなかっただろう。 当時長く続いたスペイン戦争の余韻が残る時代で、都市部から離れると治安が不安定だと聞いていた。 私は、偶然乗り合わせた名も知らぬスペイン人との会話で、芸術を理解するためには宗教や文化や歴史を学ばなければならないことを知った。 昨日観た“レ・ミゼラブル”も、私がフランス革命について造詣が深ければ、ビクトル・ユーゴ―の伝えたかった物語の本質に近づくことができたのだろう。 私が昨日の映画を理解できなかった理由が、その点にあるのは明らだと思う。 |