今日は、友人に誘われ少し正月気分を味わった。 午後から今話題の映画“レ・ミゼラブル”を観に行った。 ビクトル・ユーゴ―の原作を知らない私は、小学生の時に読んだ社会背景の希薄なストーリーしか頭になかったし、映画に対する予備知識がないまま、座席についたもので、映画が始まってすぐに歌劇仕立てでフランス革命が時代背景にあることに驚いた。 私は映画評論家ではないから、私の感想など気に留めることはなかろうが、3時間弱の長編大作は評判ほどのことは無く、観終わって心に残るものが無かった。おそらく私にはオペラとフランス史に対する免疫が無いからだろう。無知な私に言わせれば、どうして世界中でヒットしているのか分からない。 しいて良かった点をあげるならアン・ハサウェイが魅力的だったことと、ヒュー・ジャックマンがラッセルクロウより格段に歌がうまかったことくらいだ。 最近私は、わりと映画館に足を運んでいるが、めったに座席の半分も埋まる映画に出くわすことはなかった。昨日、当日の上映4時間前にインターネットで予約した時にはすでに一番前列に2席空きがあるだけだった。おかげで上映中はいつもより首を上に向けた姿勢をとらねばならず、近すぎて画面の全体を見渡せないものだから、首を左右上下に振って展開を追わねばならなかった。この無理な体勢も映画評価を辛口にした原因の一つかもしれない。 普段正月には仕事をしているか外出を控えていた私は、この混雑ぶりに遭遇して、これが一般人の正月だと思い知った。 |
今日は少しゆっくりと家を出て会社に向かった。 途中、大阪湾の見渡せる車道沿いの展望台から見ると、今日は靄がかかっていたので昨日撮影した山の上の展望台には寄らずに町に下りた。 会社は無人である。コンクリート打ちっ放しの階段に置かれたベンチに腰掛けギターを弾いた。 気を留めるなにもなく、自分の出した音の跳ね返りをおもいっきり楽しんだ。 さて、これから静かなホールを見渡す私の部屋で仕事をしよう。 こんな素敵な環境だからこそ、いいアイデアが生まれてきそうな気がする。 みなさんも、みなさんなりの素晴らしい正月を過ごされますように…。 |
今朝、毎月の慣例で、月初に氏神様に供えていただく奉献酒を持って神社に行った。 鳥居をくぐって帰りの道すがら、一般的には“宗教とはなにか?”と言う疑問が頭に浮かんできた。宗教の世界に浸かっていない私は、戻ってネットで調べてみた。 「宗教とは?」 「一般の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念形態にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。」(ウィキペディア) 「人間生活の究極的意味を明らかにし、人間問題の究極的解決に関わると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象であり、その営みとの関連において神観念や神聖感を伴う場合が多い」(宗教学者、岸本英夫による定義) 「実在界を科学すること」(幸福の科学) 「神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。古代から現代に至るまで、世界各地にさまざまな形態のものがみられる。→原始宗教 →民族宗教 →世界宗教」(国語辞典) よく分からなかった。 普段私が考えている“宗教”を思い返してみた。 自分を強くするもの…命を投げ出すことのできるもの…相手を否定するもの…戒律のあるもの…神に責任転嫁できる集団…自ら検証せずに信じる事…仲間を作る基礎…愛…対立の芽…未熟な知識で考えてみるが、すべてに当てはまるものが見つからない。 まだ、私のなかで漠然としている。 私には、現実を見る限り宗教が私の思う世界に平和をもたらすとは思えない。この世界では、あくまでも宗教は人間の世界を構成するための漠然としたファクターの一つに過ぎない。集団の成熟と個人の成熟とは違う。 経験を通して私自身が成熟するためには宗教というファクターは必要ではないように思う。 考えても分からない。宗教と信仰の区別もついていない。 神社に酒を届けに行って、こんなことを考えた。 私は、暇である。 |
相手から、自分に…してもらったことは忘れてしまい…。 自分から、相手に…してあげたことは忘れない…。 と、よく言う。 今年を振り返って自分がお世話になったか方の顔を、ひとりひとり思い浮かべてみる時がやってきた。 今年もたくさんの方の助けを借りて生きてきた。 してもらったことを、忘れない自分でいたい。 そのことを、今一度…心に刻んで新しい年を迎えたい。 ありがとうございました。 |
今朝歴史研究家と本年最後のミーティングを行った。駅の近くの喫茶店(今時のカフェではない)での待ち合わせである。研究家は、いつも約束の時間の15分前にやってくる。出会った最初の頃、私は約束の10分前に到着するように心掛けていたが、いつも遅れをとったので、少しづつ早く着くようなり研究家の行動パターンを解明した後は20分前に到着するようになった。 最近では後からやってきた研究家からの最初の挨拶は“私のほうが遅かったですか…。である。研究家も待たせることが嫌いなのだろう。そのうち30分前にはお互い到着するようになるかも知れない。 研究家は煙草を吸う。打ち合わせ場所が何故駅の近くの喫茶店かと言うと、店のなかに喫煙室があるからだ。私は煙草を吸わないから禁煙室にしてほしいのだが、喫煙室側に資料を広げられるテーブルがあるし煙が気にならなければ…と言う研究家の最初の申し出を受け入れたがために、受動喫煙の真っただ中でのミーティングが慣例となった。 煙草を止めてはいかがですか…と言いたいところだが、尊敬する目上の研究家には言い出せずに、いつも1時間弱ほど燻製になるのである。この喫煙室での打ち合わせはこれからも続くだろう。 何事も最初が肝心だ。今時のことだから、目上と言えども、しばし禁煙をお願いするだけの勇気を持っても良かったと反省する。 煙草の話はさておき、絵本の件に関しては、次回来年1月までに私がさらにビジュアル化をすすめ、それをもとに打ち合わせを重ねることになった。夢を叶える年を迎えるにあたり、お互いその覚悟を再認識して喫煙室を出た。 会社への帰りに東急ハンズに寄って絵具と筆とボードを買った。今年中にやり残している絵を描くためだ。絵具も使わないでいると硬化して使えなくなる。思い切って2セット新しい絵具を買った。新年に引きずらないように今年中に描いておかなければならない。正直言って時間が足らない。絶対足らない。とやかく言う前にこれを書き終わったら、描きはじめようと思う。 皆さんも、今年やり残したことを、今からでもチャレンジしてみてくださいね。 気持ち良く新年を迎えられますように…! |