昨日の夕食後、少し前かがみで洗い物をしていた。急に肝臓の裏?あたりに軽い痛みがはしり、少し休めば治ると思い椅子に座った。しかし、痛みはさらに増し続け座っていることができなくなり床にひれ伏した。喉元が苦しくなりセーターを脱ごうとするが、痛みは爪で床を掻くほどになり、脱ぐという簡単な行為さへできない。 一瞬、このまま死ぬかも知れないという、予感が脳裏をはしる。いっしょに食事を楽しんだ人は、ついさっきまで楽しく会話していた相手が急に苦しみだし、右往左往している。自分で電話をかけられる状態ではなく、救急車を呼んでくれ!と頼みかけた寸前…痛みが少し和らぎ、数分後に嘘のように元に戻った。 1ヶ月前に行った造影剤を入れてのCT検査でも、2週間前に行った血液検査でも異常は一切認められなかった。昨日の痛みがどこの痛みなのか分からない。体の内部の痛みは自分ではよく分からない。 7年前に私が大動脈解離で倒れた時の痛みに似ている。その1年後に、やはり夕食後に自分の死をイメージする同じ痛みに襲われ、直後に検査したが、まったく異常をみつけることができず、昨晩まで、あの痛みの実感を忘れていた。 明日病院にいき、診察を受けるつもりだが、多分原因はわからないような気がする。 きっと、なにものかが、私に突然やってくる死を意識して生きるようにとの警告に違いない。 この日記の更新が、突然ストップしたら、今日の出来事を思い出し、納得していただきたい。 あなたにも、自分死が突然やってくることがある…という事を頭の片隅にい置いて生きてかれることをお勧めしたい。 |
洋画を観ていると、サービススタッフが、ドリンクや手でつまめる軽食をトレイの上に乗せて、会場内を持ってまわっているパーティーを見かけるが、残念ながら私はそんなパーティーに参加したことがない。きっと東京都心あたりでは毎夜どこかで催されているのだろうが、私の住む田舎町では、洗練されたパーティーに対応できる文化度の人間が少ないから、ビュッフェ止まりになるのだろう。 そもそも欧米スタイルのパーティーに参加して楽しく過ごすためには、誰とでも話ができる社交性が必要だ。食べてばかりや、一人でポツンと孤立するような人には向いていない。 実は、私は数年前までパーティーが苦手で…、真っ先に会場を出ていたものだ。以前は東京で外国の公館で皇室の出席するパーティーにも参加したが、皇室が公館を出るのを見送って、後を追うように会場を後にした。 そんな私が来月…、自分の会場で欧米スタイルのパーティーを開くことになった。さて今度は今までのようにはいかないぞ…。名のあるバイオリニストやジャズバンドの演奏というエンターテイメントも入れているが、特にスピーチもなく、ともかく私が、みなさんをもてなさないといけない。 そして、宴の最後にアカデミー賞受賞者のスピーチにあるように、名前を呼んで“有難うございました。”と感謝を述べる…さて思った通りにことが運ぶだろうか? 今までのように、最初に会場を去ることだけは避けたいものだ。 |
母は、先週の水曜日に手術をし、今週の水曜日に退院した。順調な回復である。腎臓を一つとったが、今のところ何の問題もないようである。心配した体力の低下もなく一安心だ。 開腹(手が入るほど腹を切る)手術ではなく腹腔鏡手術と言って患部の周囲に何か所か穴を開け、手を入れずに専門の医療器具だけを体内に入れる手術であった事もあり術後の回復が早いようだ。 術後、本人が麻酔から醒める前…、例によって執刀医から切開した患部を見せられ説明を受けていた時、私は腎臓をカメラにおさめた。いつか母に見せてやろうと思ってのことだが、どうも本人は見たくないようで、その後、写真は誰もみることがない。 私は自分の手術で切り取った動脈を見ることができずに、残念な思いをしたことを覚えている。なんしろ目が覚めるまでに2日間が経過していたのだから…。 普通の人は注射針が自分の皮膚を貫くところを見ないものだと聞くが、同じように切開した内臓の一部など見たくないのかも知れない。 この日記で撮った写真を公開しようかと思ったが、ひんしゅくを買いそうだから止めておくことにした。 ともかく、今後の切り取った患部の検査でも、大きな転移が無いことを祈りたい。 赤の他人ではあろうが、皆さんも、同じように祈っていただけたら有難く思う。 |
今朝、車を運転して会社に来る途中、信号で一番前に止まった私の車の前に、左折してきた一台の大型ベンツが割って入った。見ると、毛皮の襟巻をしたお金持ち風の年配の女性が運転しており、次の信号待ちの間に運転席の窓から火のついた吸いさしの煙草が捨てられた。 私は一瞬目を疑った。昔はヤンキーと呼ばれた若者や、営業マンが平気でポイ捨てする光景をよく見かけたものだが、最近では健康や環境美化問題で喫煙者に厳しい世の中になってきたから、世間の喫煙マナーも改善してきていると思っていたのだが、きっと彼女は見かけは大人だが、ハートはまだ子供…ヤンキーのままなのだろう 煙草のフィルターは、合成繊維でできている。紙や煙草の葉は時間とともに自然にかえるが、フィルターはいつまでも、そのままの形で残る…。手入れの行き届いていない墓地の墓参りに行って花を供える時は、セロファンやリボンは外すように歴史研究家に言われたことがあるし…、山上りでも同じだろう。金属缶やプラスチックなどバクテリアが分解できないものを自然界に放置することは地球を破壊するに等しい行為なのだ。 キアヌ・リーブスが主演した映画で…人間を滅ぼしに宇宙からやって来た創造主に、アメリカ合衆国を代表する人物が“私達の地球をどうするつもりだ?”と問うと、創造主が“あなたたちの地球?人類は地球にとっての害虫だ。”と言うくだりがあったが…。 今度、あのおばさんが煙草のポイ捨てするところ見つけたら、“あなたは、地球にとって害虫だ。”なんて…言ってやろうかと思ったけれど、きっと変なおじさんだと思われるだけだから、また見て見ぬふりをするに違いない。 私も、大人やしな…。 世の中を改善できないおじさんの独り言や…。 |
ピアノ椅子の脚のゴムが一つどこかにいってしまい昨年の11月末にYAMAHAに電話注文した。あいにく在庫がなく取り寄せとなり数日後に入荷の連絡を受けたが、いつでも取りに行けると思い、そのまま放っておいた。 昨日、ふと取りに行こうと思い立ち、もしや定休日ではないかとネットで調べていたちょうどその時、心当たりのない番号から電話がかかってきた。でてみると…なんと、そのYAMAHAからの催促の電話で驚かされた。 YAMAHAからの帰り道、馴染の眼鏡店の前を通ったら、大きなマスクをかけている私を見つけて主人が“どうしてメガネかけてらっしゃらないんですか?”と声をかけてきた。“マスクしてるから曇っちゃうんですよ。”と、世間話が始まった。 しばらくして“実は来月で店閉めるんで、3月になったら50%OFFやりますから来てください。”と、告げられ、思わず“じゃー買いに来なくちゃー、楽しみにしてます。”と、返した。後で楽しみにする…より、残念ですね…と言えば良かったと思ったが後の祭りだ。 主人は“お客様で店じまいのことを話したのは、○○さんが初めてです。”と言った。 不思議なご縁があるものだ。 “偶然”と言う“必然”に違いない。 来月は、眼鏡を新調しがてら、主人の労をねぎらいに行こうと思う。 |
昨年の夏に初めて発表会をしてくれたピアノ教室の先生から、前回…この会場で弾いた生徒さん達の評判が良かったので、また予約が入り、さきほど先生が打ち合わせにやってきた。2月24日に行われる。 幾つかの発表会の予約を受けてきたが、どちらの先生もそれなりに人柄が良い。今朝、打ち合わせを済ませた後に先生と世間話をした。震災で家が倒壊し、傾いて崩れそうな家のなかから近所の人がピアノを運びだしてくれ、家を建て替えた時に20畳のピアノを弾くための防音室を作り、最初は教えるつもりはなかったそうだが、その部屋にやって来た知人が教えてほしいと言うもので、そこから教え始め、それが今では100人ほどの生徒をかかえるようになったと言うのだ。 話を聞いて、私の知人の歴史研究家のことを思い出した。震災でピアノを押しつぶされ、それ以降一度も弾かなくなったと言う。 同じ震災を経験し、ピアノを職業とした者、二度とピアノを触らなくなった者…いろいろだ。 さて震災は、私の何を変えただろう。 すぐに、思い当たらない。 幸い、知り合いに亡くなった人は一人もいなかった。 でもあの時の記憶は、思い出せば湧き出すように蘇る。 私も震災経験者と言う経歴からは逃れられない。 ピアノの先生のピアノの音色には震災の記憶が含まれているに違いない。 歴史研究家が、震災の記憶を携え、いつかピアノを弾く日が来ることを信じたい。 |
ずっと昔…ここでも書いたが、震災の前の年にクロアチア出身のスイス人女性に励まされたことを思い出した。“あきらめちゃダメ!探せば絶対にいい方法がみつかるのよ。”流暢な日本語で彼女は私の目を見て語った。 翌年震災がおこり、その影響もあり数年後に窮地に立たされたが、ある弁護士との出会いによって、最悪の状態を乗り切った。それまでは彼女の言葉が小さな支えであったが、以後心から信じることのできる真実の言葉になった。 彼女は、震災の年にご主人の会社の関西撤退とともにスイスに戻り以後日本訪れることは無く、考えれば20年近くお会いしていない。なんだか急にお会いしにスイスに行きたくなった。 彼女の言葉を思いだすと、今、私の目の前にある壁を乗り越えることができると信じることができる。 有難う。セニアさん…。 |
1974年日本で初めてコンビニができた。その頃のコンビニの売りは“24時間、開いている”“品揃えが豊富で必要な物が揃う。”“対面接客の煩わしさがない。”の三つだったと思う。コンビニが一般小売店よりも名前の通り便利な店だと一般人が認識したとき、コンビニ各社の戦いが始まった。弁当戦争とか、デザート戦争だとか、オリジナル商品の戦いになって、お蔭で我々は美味いものを手軽な価格で手に入れることができるようになった。 その代わりに私達が失くしたものもある。その一つが“物の価値…。” 昔だったら、わざわざ町に出て専門店に行って手に入れていた物が、いつでも手に入るから、持っているかも知れない物でも、探さずに、簡単に同じ物を買い求める。 傘の価値なんて、以前なら高価で大切なものだったが、今では雨が降れば簡単に手に入る消耗品になっちゃった。 コンビニで小銭を使う癖が習慣化したから、お金をコツコツ貯めて、欲しい物を買うなんてことをしなくなったんじゃないかな?若い人が車を欲しがらなくなったと聞くけれど、それはスマートフォンとコンビニの普及も大きく関係あるんだろう。 企業は、人間の欲求を分析し追求し、より簡単に人々の望む物を提供するから…そのお蔭で商品の価値がどんどん下がってしまう。 世の中の流れに抵抗して、高級傘でも買ってみようかな? でも、そんな傘をさして歩くのも恥ずかしい気もするし…、やっぱりビニール傘で充分だ。 どうやら私自身もコンビニの戦略に、まんまと乗せられてるみたい…。 世の中について行けていると喜べない複雑な気持ちだ。 |
なんだか、最近…私の人生が音を立てて変わりつつあるように思える。 3年間毎日弾いていたギターを触らない日があるし、スィミングも始めた頃のように詰めて行かなくなった。英会話も間が開くようになった。毎日書いていた日記も書きそびれる日がある。 続けていたことを中断することは良くないかもしれない。だから止めてしまおうとは思わない。それぞれの今までのペースが少し遅くなったように思う。新しいことに興味が移ってきたのだろう。絵本(絵解き本)の作成と仕事のことに頭が働く。 この数年間は、これからの私の人生のために必要な時間であったと納得する。それが自分で分かるということは良いことだと思う。生命力が充電されたように思う。このことは、きっと気が付かなければ流されてしまうだろう。 未来を生きるために、私は昨日を生きて、今を生きている。 この充実した感覚を実らせたい。 |
今日の午後に、取引先でもあり同時に私の尊敬する方が奥さん同伴でやってきた。1週間前に奥さんからわざわざ私に話したい事があるからと連絡をいただいており、いろいろ思いを巡らせていた。 話を聞いてみると、決して私にとって良い話ではなかったが、私の想像する範囲内のことであった。 残念な内容だったが、出不精の会長がわざわざ出向いて来られたことは、私に礼をつくしていただいたことが充分伝わった。 いずれ起こる得ることが、少し早めに起こっただけなのだ。そう思おうとした。 お二人と話をするうちに、私達の関係が仕事を通しての関係だけではなかったことを改めて思いしらされた。 目の前に現れた条件を整理して、淡々と進むだけである。 悩むところはあるが、今、爽やかな気持ちである。 いいご夫婦と巡り合えたと思う。 お二人が、いつまでもお元気でいらっしゃることを祈りたい。 目の前に表れた設定を理解して、淡々と進むだけである。 |