今朝、若者から質問を受けた。“職場の中国人の同僚からおむつの転売のアルバイトを強く勧められているのが、何故か気が進まない。どうしたらいいだろうか?”と言う相談だった。 私は“気が進まないものは止めといたほうがいいんじゃないかな…。『20才でこの人は嫌な人だと思って近づかなかった。30才になって、その人と話し込んだらそれほど悪い人でもないと思っていっしょに仕事をした。40才になってやっぱり最初に思った通り、付き合わないほうが良かった…と思った。』と言う逸話もあるし、気の進まない相手に近づいて、一度自分の懐のなかに入れると、次のステップで思わぬところに引きずりこまれることがある。直感を信じていいのじゃやないかな。きっとあなたのことを、ご先祖様が守ってくれてるんだから…。”と、答えておいた。 悪い気は心の隙間に入り込む。自分が犯されていることに気が付くまでに時間がかかり、負の現象を感じた時にはやっかいなことになっている。 まるで、この間の漏水事故の話しみたいやなぁー。 なかにはどんなことでも人生の肥しとして自分を高めていける人もいると思うけれど…。悪い気に耐えられない人は、最初から拒絶しておくことが無難に違いない。 |
雨漏りというものはやっかいで…、特に鉄筋コンクリートの建物は原因を見つけることが難しい。概して水はコンクリートの打継(コンクリートのつなぎ目)かサッシとの境目か、経年変化で生じた亀裂の間を縫って移動する。 漏水の原因は漏水箇所の近くとは限らない。露出していない、目に見えないところを長い距離を移動することがある。仮に水の滴り落ちる箇所に防水工事を施したとしても、水は他のルートを作って、違うところから滴り落ちる。下手に足場を建てて外部からの侵入経路の予測を立て、そこを塞ぐ工事をしても完全に止まらない可能性が高い。 したがって、落ちているところを止めるのではなく、流れに逆らわずに落ちているところは落としたままにしおいて、受け皿を作って凌ぐことが多々ある。 建物全体の大修繕工事をするまで、だましだまし使い続けるのだ。 雨漏りは、いつ起こるか分からない。起こったらやっかいだ。水は隙間を見つけて入ってくる。最初に単純な構造のしっかりした建物を造っておくことが先ず第一だと思う。 漏水のことを考えていると、人間関係にも同じような関係が存在することが分かってくる。 他人とは、だましだまし付き合うことも必要だと思うのだ。 |
今日は、知人の奥さんの絵の展覧会に行った。作家である彼女は2年前に東京から私の町に引っ越してきた。アメリカで油絵を学び海外の絵本展で参考展示された実績のある作家である。私の町で、これまた日本で有名な絵本作家と同棲している。 なにかと物価の高い東京よりも、空気がきれいで、空路を使えば都心に短時間で行ける…そして住居・食料品等が安い私の町のほうが住みやすいようだ。最近、クリエーターの都心からの移住が流行っているようだ。 なんとなく気に入った小品があり買い求めた。どちらかと言うと彼女らしくない絵である。それが分かっていて買った。おそらく彼女の絵はもう二度と買う事はない。 彼女のようなクリエーターが私の町に住み続けてもらいたいと言う思いからの、私のできる…ささやかな売上協力である。 さて、今のところ求めた絵をどこに飾るか場所がみつからない。もっと大きな家に住みたいなぁー。 |
昨晩、知人とフレンチの店に行った。連休初日と言うこともあり、シェフが“最近、店が静かで…。”と言う店内にも活気が溢れていた。いつものように料理は絶品だったのだが、店に預かってもらっていたシャトー・カントナックのボトルを開戦してもらったら、残念なことに少し酸化していてがっかりした。味の劣化には心当たりがある。店に預ける前に、うっかり家のワインクーラーの電源が切れたことがあったのだ。ワインがデリケートなものだと思い知る。 東京では、この店のクラスのレストランは予約できないほど毎日満席の日が続くのだろうが、震災後私の町では接待が減り、いまだにバブル崩壊以降景気が低迷し、高級フレンチ店は苦戦を強いられている。 昨晩の店のお客で目を引いたのは、一人で食べに来ている男性が二人いたことだ。二人とも常連のようで、メニューのオーダーの仕方も堂にいっていた。 彼らは単身赴任で、自分へのご褒美で来たのか?それとも、心から美味いものが好きな人達だろうか…と、いろいろ想像してみるが、もう一つ彼らの感覚が分からない。 私にとってレストランでの食事とは、ただ食べるだけではなく、気が置けない人と楽しく会話しながら過ごす時間…という意味合いがある。ただただ美味いものを食べる人のことをグルマンだと言うのなら私は当てはまらないだろう。食事を共にできる人を大切にしたと心から思う。 |
知人のfacebookを見ていると、嵐山吉兆での食事会の様子が紹介されていた。両親と奥さんと子供達…総勢6名…おそらく、両親のなにかの祝だったのだろう。 例によって、部屋のしつらえや庭の写真があり、勿論一品一品の料理写真も載せていた。 そこで嵐山吉兆のホーム・ページを覗いてみた。昼も夜もほとんど同じメニューだ。一人5万円前後だから、手の届かない金額ではない。飲み物のメニューを見てみた。一番上にワインリストがあり、一番高いボトルが180万円だ。バブルの時を思いだした。 今、自分が100万円以上のワインを注文できるかどうか考えてみた。…できそうにない。 スーパードライの中瓶が1,296円、日本酒1,555円(180mm)…この価格がやけに安く感じる。 行ってもいないのに、ビールの中瓶を2本飲んで…、日本酒を2本飲んで…と、料理を食べながら酒を注文する様子を頭に描いていたら、よだれがでそうになってきた。 この店へは、一度は行ってみたいと、思うのだ。 |
昨日の町の自治会の定例会に、大手コンビニ業者の本社社員2名が出席し、住人の意向を無視してオープンした店の件で、これまでの経緯の説明をした後に住人に詫びを入れた。 丁寧で誠意があるような話しぶりたが、よく聞いていると住人の要望が取り入れられなかった結果は、地主と前任担当者に責任があると言わんばかり…、自分達も住人と同じ被害者だと言う風に聞こえてきた。 企業には、クレーム処理の部隊があることは知るところだが、すでに開店したという既成事実を逆手にとって、お互いに仲良くやろうと、頭を低くしながらゴリ押ししているクレーム処理の専門家ではないかと思ってしまう。 いずれにしろ、彼らも地主や前任担当者と同罪である。身内の不始末を他人事のように言う担当者のいる企業に、大きなクエッションマークが灯った。 |