私は普段ネットオークションに関わることがないから、3000円の本が10円で落札されることが、ごく普通のことと考えてよいものかどうか分からない。 私が30年前に作った画文集は、ときどきネットオークションに登場する。この本は私の手元にも数冊しかない。3000円という値付けで本屋に並んだことがあるが、今日ネットで見たら10円で落札されていた。喜んでよいものか悲しむべきものか思案する。 以前は作者サイン本でオークションに登場したこともある。その時は知人?の誰が手放したか気になったが知る由もない。 この次オークションで見つけたら、自分で落札しようと思う。その時の値段はいくらにしよう?5000円位にしてこれからのために高値の前例を作っておくか?それとも10円にしてみるか? 今、悩むことは止めておこう。幸せすぎて馬鹿みたい。 |
昨日、契約上の話し合いで相手から厳しい現状を聞かされ、支払いを待ってほしいと懇願された。“自分に関係の深いグループ会社には理解してもらっているし、それにあなただから甘えさせてもらっている。”と言うものだから、“私はあなたのグループではないし、甘えられる関係だとは思っていない。”と、言い返した。 そして相手の提示した支払い計画書をつきかえし、再提出を促した。 話しが終わって思わずため息がでた。 それを聞き取った彼は“溜息つきはりましたね。私は絶対に溜息をつかんのですよ…。”と、私に言った。 あなたには言われたくない…と心のなかで呟いたが、高揚を押し殺して、最後は笑顔で彼を見送りながら、“溜息はつかないようにしよう。相手に心のなかを見透かされるのは嫌だし、あくまでも強気で諦めない姿勢の自分でいよう。”と思った。 他人の前で溜息をつくものではないと、彼から教わった。 |
この世界には、自分が今まで経験した痛みより鋭い痛みに耐えている人がいる。 この世界には、自分が今まで経験した悲しみよりも強い悲しみを味わっている人がいる。 この世界には、自分が今まで経験した喜びよりも、さらに大きな喜びを感じている人がいる。 自分の経験したすべてのことが、人が一生で経験することの、ほんの一部に過ぎないと知って、穏やかに過去を振り返り、静かに未来を見つめる姿勢のことを“謙虚”と言うものではなかろうか? 今日は謙虚に生きたいと心から思う。 |
昨日マダムから、一冊の絵本を渡された。昨年秋のマダム主催がしたボジョレーヌボーの会で、隣の席に座ったセレブのおば様が、自分作った絵本を私に見せてくれると言う話をしていたことを思い出した。 前日に行われたマダムの本の出版記念パーティー(マダムを囲む数組のグループが順番にマダムの店で5~7名で会の開いている)に参加したセレブのおば様が、数か月前の私との約束を守って絵本を私に届けるためにマダムに託したのだ。 その本の絵は見るからに素人作品で、ストーリーもこれと言った教訓、感動、面白さもない。一つ…目についたことには裏表紙にセレブのおば様が作詞した詩と楽譜があったこと…作曲者は町で有名な作曲家だ。お金はかかっているに違いない。 私は、まだ本の御礼を言っていない。実のところなんて言えばいいのか分からない。“あなたらしい作品ですね。”くらいしか思いつかない。その一言を言うためにマダムからおば様の電話番号を聞いて(メール等されていないようだ)電話する勇気も湧いてこない。 ‘あなたらしい作品ですね’と批評された時には、相手が困っていると気が付いた。 3月にマダムの主催する、ジャズライブのパーティーでお会いするから、その時まで黙っておくことにした。 明日はバレンタインデーである。なんとも思わない人から手作りのものを渡されると困ることもある。この度の絵本はまさにそれに近い。 手作りは無暗にプレゼントすると相手が困ることがあるがあると肝に銘じよう。 |
昨日、東京を回ったなかで、一つ書き忘れた場所がある。 建国記念日の“靖国神社”である。 こう書くと、私の東京小旅行の目的が靖国参拝であって、実は私が隠れ右翼なのだと思われた方がおられるかも知れない。確かに私の祖父は頭山満と交流があったようだが、終戦のお蔭で特攻で散りかけた命を拾った私の父は、戦後、いわゆる一般人として生きたようだし、私もそう生きてきた。 あくまでも、まったく偶然…建国記念日に参拝したのだ。 アナログカルチャーのテーマパーク 代官山“蔦谷”… おたくカルチャー “秋葉原フィギュア” … そして日本国を考えるうえで時の聖地 “靖国神社” この三つの文化をかすめる旅がしたかったのだ。 実は、まだおまけがある。2時頃東京ドームの横を歩いていたら、数百人のコスプレ集団とカメラマン集団に出くわした。 それは…それは…近寄りがたい風景だ。 “この国はすごい。一見交じりあいそうもない、いろいろな文化レベルの人達がいっしょくたに生きている。日本は凄くて、面白い。”と、帰りの電車のなかで呟いた。 |
私は8年前、大動脈に一瞬にして亀裂が入る大動脈解離という病気になり死にかけたことがある。生存率12.5%を生き残った。今では、走ることや水泳もできるし、いたって普通の生活をしている。ただし血圧が上がると命取りになるということで降下剤を飲み続けなければならない。それと、動脈硬化にも気をつけた食事を心がけている。 血管を再生する食べ物だと聞き、昼は出汁のきいた蕎麦を食べに出ることが多いのだが、最近少し忙しかったものだから体にいいのかどうかと思いつつ、カップそばなるものを食すことが多かった。その時、いつも塩分が強すぎることが気になっていた。 今日スープを一袋の三分の一だけ入れてみた。すると…とても頃合いのいい味になり、どうして今までこうしなかったのか悔やまれた。全部入れてしまわないともったいない…という固定観念に囚われていたことは間違いない。自分の頭の固さがいやになった。 近くのコンビニには、てんぷらそばしか売っていない。塩分も気になっていたが脂っこさも鼻についていた。今度カップそばを食べる時には、乾燥てんぷら?の量を半分以下、いや入れずに食べてみようと思う。 私は、カップラーメンの食べ方に目覚めたから、必要のないものは思い切って捨てて、自分に一番いい状態のものを食すのだ。 捨てることも大事だと、カップそばから学んだ。 |
昨年12月1日に、私の職場の隣にベルギー人のオーナーが作るチョコレートショップができた。普段は二人で店を切り盛りしている。落ち着いた感じで販売している日本人の女性は多分に奥さんだと思う。 今の季節…私はギフトに手頃だから、よく店を訪ねようになった。 いつも領収書を頼むから顔を覚えられた。先日他に客がいない時、奥さんと話をした。私が以前ベルギーの高級チョコレートの販売をしていたことや、バレンタインデーが大変忙しかったことなど話しをした。 彼らは自分達の話をした。昔北海道で店を始め、そこから東北に移って頑張っていたら震災・津波で店を失い、悩んだ挙句この町に移ってきたと言うのだ。 日本のチョコレート屋は、バレンタインデーで年間売上の3~4割を売り上げる。12月オープンでは雑誌取材が間に合わない。なんとかテレビの取材が入ればいいと思っていたら、数日前に店のなかにテレビ関係者の姿を見た。ほっとした。 日本では6月から9月は暑くて溶けるからチョコレートは売れない。彼らもその間アイスのチョコレートドリンクに力を入れるようだ。 四季のある日本では手づくりチョコレートは難しい商材だ。 私は、そう実感している。 こんどこそ彼らがこの町に根をおろせるように、私もせいぜい売上に協力したいと思うのだ。 |
今日の午前中、小説の挿絵の件で歴史研究家の女性と打ち合わせをした。もともと小説家志望である彼女が書いた研究論文をもとに自身で書き上げた、居留地時代に実在したあるドイツ人貿易商の物語が、タウン誌の編集長の目に留まり、次刊から連載されることになった。 以前から面識のあった研究家と編集長の思いが一致して、私に描いてほしいと声がかかったもので、今日が最初で最後の彼女との打ち合わせである。前日にメールで原稿を送ってもらって目を通していたとはいえ、締切が10日であるから、かなりの急ぎの仕事だ。 彼女に指定だれたドイツ菓子屋のカフェの一番奥にある‘家族の肖像の間’で打合せを無事終えた。 彼女は、原稿料がでないかもしれないと申し訳なさそうに言った。私は“だいじょうぶです。いいチャンスをいただいたと思っています。タウン誌の挿絵作家は町では有名な人ばかりですから…、これは私が目指す仕事を成し遂げるとめに、今やっておかないといけないことだと思っています。”と、言った。彼女は“ありがとうございます。そう言っていただいたらほっとします。”と、頭を下げ、“ここのコーヒの代金は、お支払いさせてください。”と申し出たが、私は“いえそれはダメです。自分の分は払います。”と遮った。すると“そうですね。そうしないと会えなくなりますからね…。”と彼女は納得した。 私が歴史研究者と付き合うようになった初めの頃、“おごり、おごられ…の関係になってはダメだ。割り勘にしないと次に会えなくなるから…。”と、ある年配の研究者から教えられた研究者同士の掟である。 やはり彼女も、この掟を実行する研究者であると分かり、今までよりも親近感を感じた。 私は研究者ではなく、絵描きでもないけれど、研究者同士と話していると、いつもほっとする思いがするのだ。 |