朝電車に乗ると、一塊になった女子学生の存在感ある声だけが車内に響いている。それ以外の通勤客のほとんどは、うつむいて目を閉じているか、他の客と目を合わせぬように外の景色を見ているか、スマートフォンを見ているか…、以前に比べれば小説や新聞を広げる客の数が少なくなったように思う。 笑顔の人が全くいない。ほとんどの人が申し合わせたように憂鬱そうだ。これから学校や職場で始まる他人との関わりが重荷のように見えてくる。この時間に電車に乗る人は、ひょっとすると今の人生に満足できていないのではないかと思ってしまう。 案外と、乗り合わせた子供達は、電車のなかでこんな大人の姿を見て、社会とは辛く、て面白くないものに違いないと学習するのかも知れない。 さて、私はと言うと、他の客と同じように無表情な顔を決め込んでいる。通勤電車のなかで一人で笑っていると怪しく見られてしまうし…、そう考えると笑顔でないからと言って、別に人生が辛いわけでも憂鬱でもないのかも知れない。多少眉間に皺をよせている人がいても、それが通勤時では普通の顔だと納得すべきだと自分に言い聞かせる。 ただ、通勤時の電車のなかの女性が、美しく見えないのは確かである。人間には笑顔が大切であると電車に乗ると考えさせられるのだ。 |
それぞれの人たちが、それぞれの未来を考え生きている。 小学生の頃は明日の宿題のことで…、高校生になって好きな人のことで頭が一杯で‘今’しか見えない時期ってあるけれど、そのうち進学や就職という現実が目の前に表れ、将来のことを考え始める。自活して生きることに自信がもてた頃に結婚し、家のローンを組み、子供が成人するまでの生活設計をし、子供達が家から離れる頃になって老後の人生を考える。 私たちが考える未来は、たかだか20年先のことくらいだろうか?それも家族単位くらい…自分を中心にしたことばかり。 50年や100年のスパンで未来を見ている人は、世の中にほとんどいないに違いない。 私も、年と経験を重ねて、世の中の流れが見えてきた。 一族や、国や、地球単位で未来を見ている人達の考えに耳を傾けてみようかしら。 きっと、世の中のすべてが今までと違って見えてくるかも知れないな…。 |
先日、知り合いの女性の婚約を祝う会があり参加した。その場には、お相手の男性も来ており、その時点で集まったメンバーは誰も彼の職業をしらなかった。自己紹介の際、彼は50歳で税務署に勤め、以前は査察官(マルサの女みたいな仕事)も経験したと言った。 その集まりには経営者もいたし、税務署の管轄が同じ人もいたから、みんな迂闊なことを言わないように身構えた。自分が脱税しているわけではないが、彼を前にして、自分が儲かっているとは言いにくいし、はなしがもりあがった拍子によその会社の噂話をして、迷惑をかけることがあってはいけないから、話題を慎重に選ばないといけない。 彼は自分からよくしゃべった。さすがに実名はあげないが、際どい話も飛び出してきた。その反面誰かが話を始めると鋭い目をして聞き耳立てている。仕事柄だとは思うが情報収集力と物事を関連付ける能力は際立って見えた。 そんな彼の様子を見ていると、“あまり近づきたくないオーラ”が出ている。彼との今後の関係をどうしようか思案する。距離を保つべきか、それとも踏み込んで親しくなるか? 悪い人ではないのだが、税務署員との付き合いは、なかなか難しいものだと思った。 |
今朝、友人に樋口季一郎の話をしていたら、私自身が感極まり嗚咽し、涙で言葉が出なくなってしまった。こんなことは今までなかった。 樋口季一郎は日本陸軍の武官で、終戦後に北海道守備隊を率いて進軍を続けたソ連軍に抵抗した指揮官である。同時にユダヤ人社会のなかで、同族(ユダヤ人)で、世界で傑出した人物が登録されている『ゴールデンブック』に名前が挙げられており、ユダヤ人から尊崇の念をもって記憶されている。彼はユダヤ人の血を引いてはいない。 日本の表側の歴史教育のなでは、光の当たらない人物であろう。敗戦国故に彼の功績は忘れ去られる運命を辿った。しかし、私にとっては尊敬に値する偉大な人物である。 もし、彼をご存じなく興味をお持ちになったら、一度調べてみられてはいかがだろう。 それにしても、涙もろくなったものだ。これも年をとったせいだろうか? |
2週間に一度、簡単な診察と薬をもらいに、会社の近くで開業する主治医を訪ねている。最近咳が出るので、2日前に病院に行ったときに相談したら、うがい薬とトローチと花粉症の薬を増やされ。この季節、PM2.5や花粉症や風邪やら、私にとってはややこしいい季節だ。 今日、昼に蕎麦屋で昼飯を食べていたら、主人が昨年PM2.5で入院したと言った。日本でも被害が出ていたとは知らなかった。私も影響を受けているのだろうか? もし私が江戸時代に生まれていたなら、もう、とっくに死んでいただろう。長生きは薬の御陰だと重々思うけれど、こんなに薬漬けでいいのだろうか?…と不安になる。ともかく、私はこれ以上服用薬を増やしたく無い。薬に頼らないでいい生活をしてみたいと思うのだ。 |
過去に経験した楽しかったこと、苦しかったこと、痛かったこと、嬉しくて涙したこと、辛くて涙したこと、有難いと思ったこと、緊張して体が動かなかったこと、怒りに心震えたこと・・・自分の経験を全て忘れないでいられたら、今と違う人生が歩めるかしら? 私の多く記憶が薄れ消えていく。 たまに振り返ってみたい。決して完全に忘れてしまうことはできないものだし・・・・。 忘れていくってことは幸せなことなんだろうけれど、私は自分のこれからの人生のためにできるだけ多くもことを覚えていたい思う。 |
クラシックギター教室に通わなくなって14ヶ月が経過した。私はギターが上手くなりたくて習っていたのではなく、ギターで弾きたい曲があったから習っていただけのことで、決して他人に聴かせるために習っていたわけではなかった。 弾いてみて自分(他人ではない)で合格点がとれた時に習うのをやめた。実際弾けるようになってから誰にも聴かせたことがない。 半年前に先生からギターとは関係なく、世間話をしに教室に寄ってくれとメールが入り、近いうちに寄ります返事をしたがそのままになっていた。 10日ほど前に、ギターの弦を替えようとして弦を緩めたら、サドル(張った弦の根元の部分の駒)が二つ何処かに飛んで見つからなくなってしまった。本来サドルは6本の弦全てを支える一体型だが、習っていた先生のギター理論で一弦ごとに分離した仕様に改造されていた。その時以来弾けなくなってしまった。 サドルも修理だけに先生のところを訪ねるのも気が引けて、ギター専門店でパーツを買ってきて自分で直そうと思ったが、その場合削ったりして調整が必要になる。そんなこと普段やったことがないから、上手くできる自信がない。やっぱり先生を訪ねるべきか迷っている。 それにしても、いまだに先生の呪縛から逃れられないとは、すごい先生に習っていたと気が付いた。 先生と話をすることが大切な時期にきたのだ。 これも運命と思う。 人生には、すべて意味があるのだから、先生を訪ねるべき時が巡って来たのだと自分に言い聞かせる。 |
私の言うことを、まともに受け取れない人がいる。言葉を選び探し、時間をかけ焦らず、思いつく限りの例をあげて話をしても、まともに伝わらない。 先ほど、私のひとまわり年上で、アメリカのある民間会社の代表を勤め、定年で日本に戻った尊敬する先輩と話をしていたら、私と全く同じ思いで彼を見ていた。どうして彼が理解できないのか不思議だというのだ。 こんなことで意気投合するのも軽い話だが、共通の悩みを持つ先輩だからこそ“それでも私は彼から多くのことを学びました。思いを伝えることがどれだけ大変なことか…。分かっていると答えても、本当は分かってないことを…。他人は自分の都合良いようにしか聞いていないという事を…。”と、話してみた。 先輩も人の良い人だ。私の言ったことがよく分かると言ってくれた。それで私の心も少し軽くなった。 さて、先輩は私の思いをどれだけ分かってくれているのだろう? あんまり考えすぎると、自分の思いを他人に話せなくなりそうだから、深く考えるのは止めにした。 |
昨日の夕方、スーパーに寄った家の帰り道、一番近い歩行者専用道路の高架下を道へ向かった。この付近には大きな私鉄の駅があるので線路を挟んで車輛が行き来できる一般道が遠い。そのため、この高架下の抜け道には歩行者だけでなく自転車の往来も多い。 今までに何度も自転車と歩行者の接触事故があったからなのだろう…自転車から降りて通行するようにと言う安全喚起の看板が高架そこここにある。おまけに乗ったままの自転車を通りにくくするために、円柱の金属の杭が高架下の出入口の二か所にジグザグに何本も地面から立ち上がっている。 私が“自転車は通れません!”と、ハンドルの高さのところが狭くなったP字型の杭の間を抜けようとした時、後ろから自転車の近づく気配を感じ歩くスピードを落とした。直後に自転車が急に斜め横からスピードを落とさず割り込んで来てP字型の杭の間を抜けようとした。 その時、私が手に提げていた買い物袋に接触し、私は“危ないな!”と小さく声をあげた。すると乗っていた男はブレーキの軋む音をたてた。そして、おもむろに右耳のイヤホンをとり、振り返った。男の顔を見ると眉毛は細く、いかにもやんちゃ顔である。一瞬“なんやおっさん。文句あるんか。”と言われるかと思い腰を引いた。くるぞくるぞと思っていたら、険しい顔で“すいませんでした。”と言って走り去った。 良かった…と思った。最悪、殴られるかと思った。あいつが悪いのに、どうして私がビビらなくてはいけないのか?と思うところはあるが、直ぐに、人生いつも正義が勝つとは限らない。相手が悪くても、突っ込まずに穏便に生きていこうと思いなおした。 今度あの道を通るときは、もっと自転車に道を譲ろうと思うのだ。 |