なんの面識もなく、つてもなく…初めての先に手紙を書く時は神経を使う。特に相手が名の知れた団体ともなると、一字一句に気遣いが必要だ。 要点を端的に伝え、私の誠意を伝えなければならない。 今までに私が書いた手紙なかで、返事が返ってこなかったことがあったことを思い出す。 今書いている手紙には必ず返事をいただきたい。 必ず返事をいただく。 その思いを強くもって、もう一度、いや何度も自分の文章を読みなおそう。 間違えないでください。この年で恋文なんて書きはしませんよ。 メールやラインやSNSの時代…、手紙の重さを感じる私は、もう時代遅れだろうか? |
今朝私が“おはようございます。”と言って、なにも返してこなかった人が2人いた。 一人は20才代前半の若者で美容関係のプロを目指している。彼には社会的な経験が不足している。 もう一人は50才くらいのレストランのマダム。私の喋ったことで気に食わないことがあったようで、以来私に無視を決め込んでいる。 午後から、また二人に出会った。今度は若者のほうから“こんにちは”と言ってきた。それも大きな声で…。 マダムはと言うと、挨拶を返さないどころか目を背けた。 若者は、学習したようだ。 50才のマダムには…なにもいう事がない。その年で学習でもなかろうから…。 私は、これからも二人に挨拶の声をかける。相手がどんな態度をとろうとも、挨拶は挨拶、私は私だ。 若者が健やかに社会人に巣立つことを祈りたい。 |
兄は大企業に勤め、昨年仕事を辞めるまで会社と家庭に人生をささげた。定年前に本社を退職し関連会社の社長を数年勤め、突然解雇され1年半が経つ。 兄は会うなり、今では年金生活の身だからと私に言いった。見ればまだまだ若い。働き盛りだ。今まで働き続けた人間が働けるのに仕事をしないということは辛いことに違いない。 …かと言って私には何もできない。 私も、もう少しで年金がもらえる年になる。 今のうちに作家への転換をはかって、年金は早くもらい、退屈しない余生を過ごしたいと思うのだ。 |
今朝、初めて行く犬猫病院に行った。昨年9月にできた病院だ。建物内の1階に10台ほど止められる駐車場がある。2階には受付と診察室が6室…、他に手術室もある。3階にはセミナー室やら猫専門の部屋、ペットホテルもある。それからレントゲンにCTやらMR1やらいろいろ揃っていて、町場の人間の病院よりよほどお金がかかっているように見える。 私の(息子の)犬は今年16才…背骨が一部砕けており左足の感覚がなくなってきている。歯周病が悪化して膿をもち、1月にほとんどの歯を抜いた。以後くしゃみが止まらず治療を繰り返すが改善しない。今日は鼻の膿を溶かす吸入を始めて試みた。 なんとか健やかに余生を全うしてほしい。 人間も長生きする世の中だが、犬猫も長生きする時代になったのだ。 |
現在と過去と未来が同時におこっている。 こう考えると、いろいろな疑問が解消される。 そう考えないと単に‘不思議’で終わってしまうことばかりだ。 だから、私にとっては、絶対に間違いない仕組みだ。 こんな簡単な仕組みを知らない人が多いことが 私の不思議である。 この世で生きている人が知る必要のない… 今、目の前に起こっていることが、自分にとって、 世界にとっても、すべて初めてのことだと信じて この世界を旅するためには 触れてはいけないことなのかも知れない。 私は、この世では誰か教え、伝える役目を持っていない。 この仕組みを知って私は死ぬことが、それほど 恐くなくなった。 生まれ変わった時には、誰かに伝えることを 始めるかも知れない…と思うのだ。 |
世の中、検定ブームである。実は私は8月に、ある検定試験を受けることになっている。子供の頃から好きなことしか覚えないできた私は試験が苦手だ。 成行きである団体の理事長になってしまい、その関連で検定試験を受けねばならなくなったものだから、落ちるわけにはいかない。かといって未だ何の勉強もしていない。 落ちるはずのないと言われる試験に、もし落ちた時の言い訳を、勉強する前に真剣に考えている私である。 ともかく、勉強するか・・・ |
宇宙人と話をし、握手をしたという画家と再び話をした。数日前、初対面の私が失礼なことを言ったことを詫び、その時の私の本意を説明した。 彼女は決して悪くはとっていないと言い、彼女が展覧会中に出会った…世の中になにかを伝える使命をもった三人のなかの一人だと告げた。 勿論私は、そんな話に心当たりはないと答えた。その後、前回とおなじように私は彼女に、心に浮かんだ事をしゃべり続けた。 しゃべり過ぎたと思った瞬間、‘これは僕がしゃべっているのではなく、天上が喋っているんですよ!’と笑って言った。彼女も笑いながら頷いた。 喋ったことを天のせいにして責任の逃れのようだが、実を言うと、思ってもいなかったことがすらすらと言葉になって出てくるこの現象を、本当に天の言葉を代弁しているように思うのだけれど、あなたはどう思う? |
宇宙人と話をし、握手をしたという画家と再び話をした。数日前、初対面の私が失礼なことを言ったことを詫び、その時の私の本意を説明した。 彼女は決して悪くはとっていないと言い、私が展覧会中に出会った…世の中になにかを伝える使命をもった三人のなかの一人だと告げた。 勿論私は、そんな話に心当たりはないと答えた。その後、前回とおなじように私は彼女に、心に浮かんだ事をしゃべり続けた。 しゃべり過ぎたと思った瞬間、‘これは僕がしゃべっているのではなく、天上が喋っているんですよ!’と笑って言った。彼女も笑いながら頷いた。 喋ったことを天のせいにして責任の逃れのようだが、実を言うと、思ってもいなかったことがすらすらと言葉になって出てくるこの現象を、本当に天の言葉を代弁しているように思うのだけれど、あなたはどう思う? |
私は、ある財団に手紙を書こうとしている。それは、おそらく日本で初めての自然保護財団である。明治時代に日本の農業振興のために活躍したある政治家が設立を提唱し、以後家族がその意志を継いで今に至る。 接触の目的は、財団の創始者が残したもののなかに私たちの町にあったとされる国営農園の写真や関連資料がないか尋ねるためである。いかんせん100年以上前の記録は私たちの町のなかでは見つかっていない。 明治時代には、凄い役人がいたものだ。10代で英語辞書の編纂チームに参加し、20代の初めで日仏後辞典を作り、渡仏、渡米を繰り返し、死ぬまで日本中で日本の未来を見据えた農業の発展に力を注いだ。こんな財団創設者のような政治家は現代見当たらない。 戦争という影の時代はあったけれど、当時の偉人のおかげで今の日本があると思い知る。 そんな血を引く財団に書く手紙に失礼があってはならない…。絶対に返事をいただきたい…。と、言う思いが重すぎて、なかなか筆が運ばない。 |