次号の歴史小説の原稿がなかなか届かないので、昨日催促のメールを作者に入れた。すると今朝には届いていた。 これからの段取りは、原稿を読んで一度作者と出会って、次はどんな挿絵を描くか打合せをする。どんな絵にするか決まると、次に時代考証をおさえての資料集めになる。ネット社会になって以前より格段に調べものも楽になったようだが、それでも少なからず時間がかかる。 今回は、もう一人の歴史研究家に事前に絵のチェックをお願いしているし…考えたら締切までに、もう時間はあまりない。 前回も早めに描き終えるつもりだったが、やっぱり今回もぎりぎりに違いない。 あー…頑張ろ…。 |
昨日、私の知人のすすめで、ある作家の展覧会に行った。会場には知人がいて作者の話しの聞きかじりだろう作品の説明をしてくれた。作家は宇宙人と会話ができるらしい。 知人は作家の描画技術を褒めたが、私には素人にしか見えない。 作家に紹介され、1分も経たないうちに私は彼女に“このタイプの絵を描く人は、なにかが欠けているんですよね。そのことが自覚できていれば将来伸びていくと思います。”と言った。彼女はその一言にひるんでしゃべらなくなった。 私が言いたかったのは、“他人にない秀でた力が備わっている人は、その分なにが劣るものがあり、そのことを自覚して、力を備わったことへの感謝と、足らない部分があることへの周囲への謙虚さが必要だ。”と言うことが言いたかったわけで…、決して悪く言ったつもりはないのだが、上手く伝えられなかったようだ。 それにしても、初めてあった人に言う話ではなかったと反省している。 |
私の場合…同じ風景写真を続けて撮っていると、必ず全く同じ構図の写真がある。おそらく撮ろうとするモチーフを画面のどの位置に配すれば良いか全体のバランスを瞬時に判断しているのだと思う。 考えるということは一瞬でも時間の経過が生じる。感じるということは瞬間、即応できるという事。 頭で考えるのではなく、感じる…このことがプロの条件に違いない。 私はプロではないが、プロとはそんなものだと思う。 私は、すべてを感じて生きていきたい。 |
大きな戦争を避ける核の抑止効果が薄れ始めている。 この現実は、世間ではあまり知られずに進んでいる。 私は、この現実と将来起こり得る戦争を危惧する。 それは、集団的自衛権云々の話しどころではない。 70年間核によってもたらされた束の間の平和が崩れようとしていることに対し もっと多くの人が声をあげてもいのだが…静かなことが不気味で仕方がない。 私は、今自分が何をすべきか分からない。 |
朝、いつもの時間よりはやく家を出た。二つ前の電車に乗ったわけだが、当然乗客はいつもの顔ぶれとはまるで違う。慣れとは恐ろしいもので毎日乗っている車輛の同じ顔が見えないと他所の会社に踏み込んだ感じだ。 微妙な話…時間ごと、車輌ごとに、一つの個性があるような気がする。 自分の通った学校もそうだった。違う学校の生徒は学力や環境で、違うグループだった。 卒業して、再びシャッフルし、新しいグループができて、それを繰り返して今の私がある。 今の私のグループは好きだな。また近いうちシャッフルされるか、自分でシャッフルして、これからも新しい仲間ができるに違いない。 |
家にある小さな鉢植のガジュマロの樹が風で倒れて鉢が割れた。底に穴の開いていない金属のボウルに仮に入れていたら、翌日葉っぱの生気が失せていた。そこで…少し大きな鉢を買ってきて…土も3種類を買ってブレンドして昨日植え替えた。ところが今朝になっても生命力が回復しない。ほんの少し環境が変わっただけでこれだ。 息子が一人住まいをするので、今まで飼っていた犬を連れて出た。犬はたったの半日たっただけで胃の中のものを全部吐き出した。 少しの変化でも、今までの順調なリズムが大きく狂うことがある。 植物や犬だけでなく、環境の変化に人間はもっとデリケートに影響をうけるのだろう。 ある時期、引っ越しを続けてした時、家族の生活リズムを狂わせたことを今反省する。 同時に、それが私の家族の生命力を上げる機会になったのだと思いたい。 |
もめごと・ややこしいこと・避けて通りたいこと…の種は、それまで目の前にあった大きく育った難題を刈り生れるもので、自分の目の前の問題が解決する扉が開いたと思ったその時には、すでに幾つかの新しい問題が育ち始めていたことが、今分かる。 目の前から、問題が消え失せるなんて、この世で生きていたらありゃしない。 病気と同じで、戦うか共生するかしかないのなら、真正面から向かい合わずに、ある程度問題を抱えて生きていることを楽しく思って生きたほうが…、以前より多くの…同時に起こった問題に対応できるようになって、自分も進化してるんだ…くらいに…人生を斜めに構えて生きた方が楽しいだろうな。 |
農学部の教授と話をしていて、実を付ける果樹の育て方のなかで、形を整える剪定を行なわず、樹の活力を上げるやり方があると聞いた。 人の子供も、あれがダメ、これがダメと制限をつけ親の思い通りに子を作るのではなく、辛いことも苦しい事も、敢えて経験させて生命力を養う育て方があるのだと思った。 |
2009年9月9日から、ここで書き続けている。途中半年間ほど休んだことがあったが、ほぼ5年弱毎日書いている。最初の頃は、なにを書くかテーマを探すのが大変だった。書きはじめれば、見た人がどんなに思うか気になった。最近はなにも考えずに真っ白な画面を開いて、そのまま書きはじめる。あまり読んでくれる人のことは考えなくなった。 書き慣れるということが、手を抜くことではなく、味のあるものになればいいなと思うが、なかなかその域には達しない。 |