評判の店に、列に並んで待って、入る人は多いけれど、私は並ぶのは苦手だ。 お店の評価は、価格・内容(料理、器)・雰囲気(主人、スタッフ、内装什器)のバランスにあると思う。一つだけ特出するのも(ともかく安い…等)ありだけど、たいていはバランス勝負だ。 忙しい店というだけで、バランスで欠ける部分がでてくる。忙しないと言う欠けを前もって理解して店に入るなら、私は違う店でも満足できる。 暇な店で常連を大切にしている店があるけれど、そこの常連客は店が暇だから来ていることもあり、なにかの拍子に店が繁盛し始めると、ぴたりと足を運ばなくなることがある。それらの常連客のお店の評価基準は一般的でなく、忙しい店が苦手なのかもしれない。 私はと言うと食事は、ゆっくりしたいほうだから、長時間並んでまで食べるよりも、さっさとそこそこの店で食事を済ませてしまう。 予約だけの店はまた違う。客数を制限しているから並ばなくて良い。価格も良いが内容、雰囲気も良い。高いレベルでバランスが取れているのだと思う。 |
育った環境、信仰、金銭感覚、守るべきもの・周囲の人脈等の異なる者同士…意見が対立した場合、 互いに自分が正義であると言う主張を繰り返しても、進展はない。その場合、お互いが相手を勉強する必要があるのだが、もし無理なら自分だけでも相手の考え方を理解しようと努力すべきである。それは、決して自分が一歩引いて相手を認めるためにではなく、相手に自分の考え方を分からせるために必要なのだ。 そして、相手が自分との関わりのなかで、変化することを信じ、自分にも変化する余地があることを頭に置いて待つことが必要である。 試してみて、待ってみて、その後で変化がないようであれば、接触を経つ決断を下せば良い。 国家間でも夫婦間でも親子の間でも、同じような気がする。 |
他人の話を聞いて、100%理解できる人などいない。話しているその人自身だって、自分の話す内容を100%理解して自分の言葉で話のできる人は少ないだろう。 部分的に深く理解しすぎると、話し手の一番言いたいことを違う意味にとらえることがある。だからボーッと聞いて、分かったこと以上に分かったふりをしないことだ。無理せず、あせらず、その時には分からなくても、いつか分かればいい…くらいの気持ちでいればいい。 分からないと話し手に言えることは、その人のことを理解しようとする明確な意思表示なのだから話し手に遠慮する必要などありはしない。もしいぶかしげに見られたら、その人が自分の言葉で話をしていないからに違いない。 私はと言うと、その人の伝えたい事の30%くらい分かれば上々だと思って聞いている。そのくらいのつもりで私は他人の話しを聞いている。自分勝手に全く違う意味に理解するより、ずっとましだと思うのだ。 |
情けないが、今頃風邪をひいた。 体が熱くて、だるくて、しんどい。 それに、頭がまわらない。 昨日内科に行って薬をもらったが、効いている風ではない。 今から昼寝しようかしら…。 |
知人のフィリピン人の女性は、5ヶ月前に英国人のご主人を亡くし、1ヶ月前から気持ちの整理のため、2人が出会った場所…私の町にやってきた。今朝町で彼女に会うと来週フィリピンに帰ると言う。結局日本に来て、なにもつかめなかったと言った。 私は、彼女に“もうすぐ…もうすぐ…自分の道がみつから…”と言って別れた。 すべては、変化する。同じままのものはなにもない。 彼女が国にもどって、強く生きることを祈りたい。 |
昨日、教授と夜中まで話をした。私が町のために今の活動をしているのではない…と、いう事を分かってほしかったからだ。私は教授の人柄に惚れ、教授の夢が具現化していくお手伝いをしようと決めたからだと、言った。でもそれは教授のためにするのではなく、自分が決めたことを守るためにするのだ…と、言った。 すると…教授は、微笑みながら、私は“食の富”のために動いているの…と答えた。 そして、動く理由なんてひとそれぞれでいのよ…。同じ方向を向いていれば…と続けた。 食の富という意味が私には、わからない。今度尋ねてみようと思う。 ともかく、教授には人としての魅力を強く感じるのだ。 |
町で男性から声をかけられた。髪にはかなり白いものが混ざり、顔の皺が目立っていたので、私より年上だと思ったが、名前を聞いて高校の時に留年して私と同じクラスになった同級生だと思い出した。 20年以上会っていなかった彼は、隣町の役所に勤めていたことを思い出した。話をその話題に振ってみると“昨年、定年退職した。”と、かえってきた。 私には学生の時の友人はいないと言っていい。学生時代どころではない。私には友人がいない。友人という定義が私には存在しないのだ。従って寂しさもまったくない。 私と同じように、自分がまだまだ若いと、みんな思っているのだろうか? 彼と出会い、同じ年の人達が定年を迎える年齢になったと知った。 自分が思っているよりも、はたから年配に見られていることを思い知ろう。 |
愛する人のために耐え、尽くし、すべてを捧げる… 我が子を助けるために自分の命を引き換えに救う… 家族や町や国家のために尽くす… いや違う…誰の為でもない。 自分がそれを選びたかったからそうするだけだ。 人の為と書いて‘偽’と言う。 人の為に動くという人は偽に違いない。 |