今日、イタリア街(と言えば聞こえは良いが、実態は新橋のJRA近辺・苦笑)でこんな出来事が。 アルバムジャケットの撮影をしていた時、左側(道の真ん中)に異物を発見。 そこには両足首が折れて?しまって前のめりになっている椋鳥。 苦しんでいたので、撮影を中断して木陰に移動させた。 周りを確認すると、案の定烏がいる。 恐らくすぐ発見するだろう、と言うことと、椋鳥は長生き出来ないだろうと言うことが重なり、これは迂闊に介入しない方が良いと、そのまま撮影を続行。 五分もしないうちに烏がやって来て椋鳥を捕獲し連れ去った。 可哀相であるが、この場合、善意で動物病院に連れていくのはどうかな? 椋鳥は野鳥だ。 人為的な事で足が折れたとは思えない。 烏も野鳥。 弱っている野鳥を捕獲するのは自然の摂理だ。 人間の偽善で、一時の感情で介入するのは良くない。 以前、巣から落ちた雀の雛を掌に乗せて保護しようとしたら、親の雀がやって来て遠巻きに見ていたので、保護することをやめた。 だって拉致だしね。 その後どうなったかは雀の親子の問題。 要は可哀相だと思うのは人間の勝手であって、動物の立場から見れば 『余計なお世話』 なのかもね。 だからこそ、傷付いた犬を連れ回して募金活動をしている人達に胡散臭さを感じる。 傷付いた犬を連れ回して『可哀相だから募金お願いします』ってさ、可哀相なら連れ回さないで自分で病院に連れていけよって。 テレビで言えば24時間テレビとかもそうだし、捕鯨を邪魔するグリーンピースも、俺から見れば全てが偽善。 自然じゃないんだよな。 残酷と思えるものから学びとれるものだってあるんだよ。 |
甘い言葉は時には必要だろうけど、其処には本当の優しさなどないような気がするね・・・
たまには心の足の裏のツボを押されたほうがいいぜ?ほら、痛いけど気持ちいい、みたいな、アレです・・・