今朝は、通勤時にちょっと余裕をもって家を出たものだから、電車のホームの一番端まで歩いていった。すると、案の定入口付近に並ぶ人の列が短くて、なんと…座ることができた。いつも乗っている階段付近の車輛はまさに寿司詰めだというのに、天国と地獄のようである。 その代わり電車を降りてからは、いつもの改札口まで遠くなった。ホームを歩きながら、どのくらい余計に歩くか計ってみた。だいたい1分半ほどである。乗るときは1分ほど歩いたから、合わせて2分半余計に歩けば電車のなかでゆったりできることになる。 私は、これに味をしめて、これから毎日ホームの端まで歩くことにした。 私のように、他人と違うことをやりたい人間ばかりが一番空いているところに固まるように思う。 一般人は込み合うところが好きに違いない。 電車だけではなく学校や就職先も同じようなものだ。私の価値観は多数派とは違うと思い知る。 いっそのこと、もっと空いている時間に電車に乗ろうかしら…。 |
私が30才代に出会ったクロアチア人の女性から、私があることでギブアップしそうになった時、流暢ではない話しぶりで“諦めちゃだめ!探せば道はあるのよ!”と、言われた事がある。そしてしばらくして、彼女の言ったとおりに、望む人との出会いが叶った。 それでも、その当時、彼女の…目を見開いて真剣に話す印象だけしか記憶に残らなかった。 15年後、私がもっと大きな壁にぶち当たった時に、震災の後、国へ帰った彼女の顔と言葉が再び思い出された。私は“諦めちゃだめだ。探せば道はあるんだ!”と、頭のなかで何度も呟いた。それでも自分の力では道は見つからなかった。そのうちある弁護士との出会いがあって急激に形成が変わり窮地を切り抜けることができた。 自分の力では、どうしようもないことは、他人の力を借りることも大切だと思う。 もし、本当に道が見つからず、全てを諦める時間しか無くなっても、ギブアップした時のダメージを減らすための努力は続けなければならない。 “諦めちゃだめ!探せば道はあるのよ!”というクロアチア人の言葉は、年を重ねるにつけ輝きを増す私の教訓となっている。 |
浮気をするには、お金と頭の切り替えの早さが必要だ。 お金がなくてする浮気というものは、むしろ本気のように思えるし、ボーッとしている人よりも、忙しくて時間がない人のほうが浮気できるタイプのように思う。 私の周囲を見回しても浮気してる人は、一度に幾つもの仕事をこなしている。 できる人は、これから後は違う仕事…、ここまでは仕事…、ここからはプライベート…というケジメがきっちりしていて、趣味も本気でかかるから、かなりのレベルに達しているよな…。 私のように、一つのことにかかりっきりの人は、浮気なんてできやしない。 もう少し私も仕事ができたら浮気してただろうけれど、もう、しそうにないなー。 現役引退やし、いまさらなー。 今日は、なに言ってんだろう? |
今朝テレビを見ていると、登校拒否の子供を持った親子が徐々に普通の生活を取り戻す実話が紹介されていた。 私たち親子も、子供が中学生のときに同じ境遇で、二人だけで生活していた当時のことを思い出した。 あの頃、心を閉ざす…という事が、どんな状態か分からなかった。心を開け…と、抱きしめると子供は、かえって厚い殻を身に付けた。そのままの彼への私の姿勢が一切の好転を生まないことに気が付くまでに時間がかかった。 子供よりも私の心が委縮していることに気が付かなかった。 ある時、後退に入ったギアを前進に入れるには、ニュートラルの瞬間が必要だと気が付いた。 そう悟った時に、ゆっくり…ゆっくり…、進み始めた。 円滑な人間関係において、お互いが黙っている時間、好きなことをする相手を見ている時間、相手との距離をとる時間が大切だということを、あの頃に覚えたような気がする。 かけられる時間があるならば惜しみなく待ってあげたい。特に大切なひとには、そうしてあげたいと思うのだ。それが愛だと思うのだ。 |
店や会社が10年続くと大したものだ…と言われる。 20年も続くと二流の上くらいだろうか、30年続くと一流の仲間入り、50年続いてやっと老舗と言うランク付けをしてみたがどうだろう? よほど読みが悪いか努力の方向が間違っていない限り、誰でも2年くらいはなんとかやっていけそうな気がする。 それまでは自分の勢いだけで突っ走っても倒れない。人生には山と谷が巡ってくるのだから、勢いだけでは倒れそうになる時が必ずやってくる。谷に入った時には支えが必要だ。親兄弟だったり、友人だったり、金融機関だったり、弁護士だったり、宗教家だったり、その人達は自分自身の人生の経験とともにより優れた専門知識と経験の持ち主へと広がっていく。 自分の力だけでは成長に限りがある。自分にないものを受け入れる器を磨くために自分の生きる理由があると知る者だけが、成長を継続することができるのではなかろうか? さて、今頃このことに気が付いた私は、これから、どこまで成長できるだろうか? |
居留地時代にドイツ人貿易商と京都の舞子さんとが結婚した史実を研究し、その研究をもとに2人の物語を小説に書いている女性歴史研究家からメールが入った。 物語が完成し、あるタウン誌に連載されることになり、その雑誌の編集長の推薦もあって、私に挿絵を描いてほしいと言うのだ。 私は即答せず、一度お会いしましょう…と返事を送った。 自分としては、絵を描く能力を認められていることは喜ぶべきことだと思うのだが、今から絵描きで名を売ろうとは思わないし、なにより雑誌の挿絵となるとタイムリミットを守れるかどうか、他の活動を考えると少し自信がない。下手に承諾して作家に迷惑をかけることもできず、躊躇するものがある。 お断りするにしても、お会いしてとのこと…と思い、来週直接会ってお話しすることになった。 最近、私の周囲がとても良い感じで回っている気がする。新しい動きが見えてくる。 さて、どんな答えを出すことになるだろうか?どんな結果になろうと、今なら最善の選択ができるような気がする。 |
先日、町に飲みに出て、3軒目に以前覗いたことのある高架下の焼鳥屋に入った。その店は狭いが3階まであり、前回は2階の壁に向かって座る狭い席に案内された。その席からカウンターで店の責任者らしき鳥を焼く男の顔が見え、彼が私をちらちらと様子見しているのが伺えた。 今度は1階のカウウンター席に案内され、目の前にその責任者らしき男が立って、注文を聞いてきた。料理を出し終わって、暇になった彼は自分のことをしゃべりはじめた。以前は大阪でバーをやっていたが、今はこの店のオーナーにマネージャーとして呼ばれ大阪から通ってきている…。この間、東京に行って焼鳥屋を何軒か梯子したが、どこどこが不味くて、どこが良かった…私が聞いてもいないのに彼の方からどんどんしゃべりかけてくる。おまけにカウンターから出てきて私の後ろからも話かけてきた。私はいやと言う素振りもせずに話を聞き続けた。 店を出る時、一言彼に声をかけた。“いつか、あなたは経営者になる人だと思います。きっとそうなると思います。”彼は、ニコッと笑って“ありがとうございます。”と、頭を下げた。 私は続けて言った。“この店にいるうちに、話をしないでもお客様との関係がおさまる何かをみつけられたらいいですね。”と、言った。 彼はもう一度“ありがとうございます。”と、言った。 あーッ、なんて私はいやなおっさんなんだろう。そんなこと…言わなくてもいいのに…。悪意がないことは確かなんだけれど、分かってくれたかな? などと…店を出てから落ち込んだ。 |
昨晩フレンチ店の主人と食事をした。彼は20代前半にフランスで修業し、日本に戻って町場のレストランの料理長を任され、20年ほど前に独立を果たし今年50才になる。古典的なフレンチのスタイルをしっかり継承しているが日本やフランスで手に入る最高の食材をうまく使った一皿を提供してくれる。ワイン好きで自ら薦めるワインと料理のマッチングは私の舌をうならせる。 “今度、料理本として関西で一番有名な雑誌にトップ記事で載ることになりました。この間編集長が名前を隠してやってきて、食べ終わってから取材させてほしいと言われたんです。もし気に入らなかったら黙って帰るところだったんでしょうね。”と、シェフは自慢そうに話した。シェフは編集長のことを知っていて、店を調べに来る人はなんとなく分かるから、そんなことだろうと分かっていたというのだけれど、話を聞いて私も嬉しい限りだ。 昨今、日本ミシュランとか言うランキング雑誌が話題になっているようだ。 シェフの店がどうしてランク外なのか私的には不思議でならなかった。以前はシェフの店もいくつもの雑誌で紹介されたことがあったけれど、そういう類の雑誌の記者は新しい店とか若いシェフの店を取り沙汰するから、最近彼のところは、とんと取材がなく、また世の中、ちゃんとしたフレンチを食べに行く景気でもなく、お客の入りも今一つというところだった。 アベノノミクスの影響か、ここのところ心持景気回復の兆しが見え、この度は編集長クラスが50才になったシェフのちゃんとした店を取材をしてみようと思ったに違いない。 まぁ理由はともあれ、知人としては喜ばしい。彼の店が以前のように忙しくなるように、そして日本経済がますます明るくなるように、美味しいものを食べながら期待したいものだ。 |
別宅の庭で松の樹を見つめている会長のお姿は、初めてお会いした時と比べると肩の肉が落ち腰が曲がり、小さくなられた。 同時に自分も同じように年を重ねているのだと気が付く。 通された居間の大きな一枚板のテーブルには、いつものように会長の横にいつの間にか奥様がお座りになった。 仕事の話を済ませた後、出会いの話や、若い頃には仕事の後にネオン街を豪遊した自慢話とか…雑談に終始した。 2時間ほど経過し、私が夕方の会議のため席を立つ前、神妙な顔で会長の目を見つめて語りかけた。 “この度の結果は残念だということを前提に、私が言うのは、立場上おかしなことかとは思いますが、人材のことを考え、周囲の状況を考え、将来を見据えたうえで、人の力量を見定められ、先をみることのできる会長が、このたび私どもとの契約を解約すると結論を出されたことは、正しい判断であったと信じます。長い間有難うございました。”と、言って頭を下げた。 “そう…分かってくれるか、あなたにそう言ってもらえるのは本当に嬉しい。”と、隣で聞いておられた奥様と同じように涙をにじませた。 尊敬する会長を讃える私の言葉が通じたと思った。 例え二度と会えなくとも決して忘れることのない人との別れの時だと自分に言い聞かせて別宅を後にした。 |