宇宙人と話をし、握手をしたという画家と再び話をした。数日前、初対面の私が失礼なことを言ったことを詫び、その時の私の本意を説明した。 彼女は決して悪くはとっていないと言い、彼女が展覧会中に出会った…世の中になにかを伝える使命をもった三人のなかの一人だと告げた。 勿論私は、そんな話に心当たりはないと答えた。その後、前回とおなじように私は彼女に、心に浮かんだ事をしゃべり続けた。 しゃべり過ぎたと思った瞬間、‘これは僕がしゃべっているのではなく、天上が喋っているんですよ!’と笑って言った。彼女も笑いながら頷いた。 喋ったことを天のせいにして責任の逃れのようだが、実を言うと、思ってもいなかったことがすらすらと言葉になって出てくるこの現象を、本当に天の言葉を代弁しているように思うのだけれど、あなたはどう思う? |
宇宙人と話をし、握手をしたという画家と再び話をした。数日前、初対面の私が失礼なことを言ったことを詫び、その時の私の本意を説明した。 彼女は決して悪くはとっていないと言い、私が展覧会中に出会った…世の中になにかを伝える使命をもった三人のなかの一人だと告げた。 勿論私は、そんな話に心当たりはないと答えた。その後、前回とおなじように私は彼女に、心に浮かんだ事をしゃべり続けた。 しゃべり過ぎたと思った瞬間、‘これは僕がしゃべっているのではなく、天上が喋っているんですよ!’と笑って言った。彼女も笑いながら頷いた。 喋ったことを天のせいにして責任の逃れのようだが、実を言うと、思ってもいなかったことがすらすらと言葉になって出てくるこの現象を、本当に天の言葉を代弁しているように思うのだけれど、あなたはどう思う? |
私は、ある財団に手紙を書こうとしている。それは、おそらく日本で初めての自然保護財団である。明治時代に日本の農業振興のために活躍したある政治家が設立を提唱し、以後家族がその意志を継いで今に至る。 接触の目的は、財団の創始者が残したもののなかに私たちの町にあったとされる国営農園の写真や関連資料がないか尋ねるためである。いかんせん100年以上前の記録は私たちの町のなかでは見つかっていない。 明治時代には、凄い役人がいたものだ。10代で英語辞書の編纂チームに参加し、20代の初めで日仏後辞典を作り、渡仏、渡米を繰り返し、死ぬまで日本中で日本の未来を見据えた農業の発展に力を注いだ。こんな財団創設者のような政治家は現代見当たらない。 戦争という影の時代はあったけれど、当時の偉人のおかげで今の日本があると思い知る。 そんな血を引く財団に書く手紙に失礼があってはならない…。絶対に返事をいただきたい…。と、言う思いが重すぎて、なかなか筆が運ばない。 |
次号の歴史小説の原稿がなかなか届かないので、昨日催促のメールを作者に入れた。すると今朝には届いていた。 これからの段取りは、原稿を読んで一度作者と出会って、次はどんな挿絵を描くか打合せをする。どんな絵にするか決まると、次に時代考証をおさえての資料集めになる。ネット社会になって以前より格段に調べものも楽になったようだが、それでも少なからず時間がかかる。 今回は、もう一人の歴史研究家に事前に絵のチェックをお願いしているし…考えたら締切までに、もう時間はあまりない。 前回も早めに描き終えるつもりだったが、やっぱり今回もぎりぎりに違いない。 あー…頑張ろ…。 |
昨日、私の知人のすすめで、ある作家の展覧会に行った。会場には知人がいて作者の話しの聞きかじりだろう作品の説明をしてくれた。作家は宇宙人と会話ができるらしい。 知人は作家の描画技術を褒めたが、私には素人にしか見えない。 作家に紹介され、1分も経たないうちに私は彼女に“このタイプの絵を描く人は、なにかが欠けているんですよね。そのことが自覚できていれば将来伸びていくと思います。”と言った。彼女はその一言にひるんでしゃべらなくなった。 私が言いたかったのは、“他人にない秀でた力が備わっている人は、その分なにが劣るものがあり、そのことを自覚して、力を備わったことへの感謝と、足らない部分があることへの周囲への謙虚さが必要だ。”と言うことが言いたかったわけで…、決して悪く言ったつもりはないのだが、上手く伝えられなかったようだ。 それにしても、初めてあった人に言う話ではなかったと反省している。 |
私の場合…同じ風景写真を続けて撮っていると、必ず全く同じ構図の写真がある。おそらく撮ろうとするモチーフを画面のどの位置に配すれば良いか全体のバランスを瞬時に判断しているのだと思う。 考えるということは一瞬でも時間の経過が生じる。感じるということは瞬間、即応できるという事。 頭で考えるのではなく、感じる…このことがプロの条件に違いない。 私はプロではないが、プロとはそんなものだと思う。 私は、すべてを感じて生きていきたい。 |
大きな戦争を避ける核の抑止効果が薄れ始めている。 この現実は、世間ではあまり知られずに進んでいる。 私は、この現実と将来起こり得る戦争を危惧する。 それは、集団的自衛権云々の話しどころではない。 70年間核によってもたらされた束の間の平和が崩れようとしていることに対し もっと多くの人が声をあげてもいのだが…静かなことが不気味で仕方がない。 私は、今自分が何をすべきか分からない。 |
朝、いつもの時間よりはやく家を出た。二つ前の電車に乗ったわけだが、当然乗客はいつもの顔ぶれとはまるで違う。慣れとは恐ろしいもので毎日乗っている車輛の同じ顔が見えないと他所の会社に踏み込んだ感じだ。 微妙な話…時間ごと、車輌ごとに、一つの個性があるような気がする。 自分の通った学校もそうだった。違う学校の生徒は学力や環境で、違うグループだった。 卒業して、再びシャッフルし、新しいグループができて、それを繰り返して今の私がある。 今の私のグループは好きだな。また近いうちシャッフルされるか、自分でシャッフルして、これからも新しい仲間ができるに違いない。 |
家にある小さな鉢植のガジュマロの樹が風で倒れて鉢が割れた。底に穴の開いていない金属のボウルに仮に入れていたら、翌日葉っぱの生気が失せていた。そこで…少し大きな鉢を買ってきて…土も3種類を買ってブレンドして昨日植え替えた。ところが今朝になっても生命力が回復しない。ほんの少し環境が変わっただけでこれだ。 息子が一人住まいをするので、今まで飼っていた犬を連れて出た。犬はたったの半日たっただけで胃の中のものを全部吐き出した。 少しの変化でも、今までの順調なリズムが大きく狂うことがある。 植物や犬だけでなく、環境の変化に人間はもっとデリケートに影響をうけるのだろう。 ある時期、引っ越しを続けてした時、家族の生活リズムを狂わせたことを今反省する。 同時に、それが私の家族の生命力を上げる機会になったのだと思いたい。 |